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イジメから教職へ:ある教師との出会いが変えた人生

中学校に入学した直後、私の生活は一変しました。無理解な同級生からのイジメが始まり、それはある日、教室で弁当が食べられないほどにまでエスカレートしました。机には牛乳で汚れた雑巾が置かれ、その臭いに耐えられず、私は孤独にトイレで昼食を取ることを余儀なくされました。

それを知った母親に、泣きながら全てを打ち明けたのは中1のゴールデンウィーク明けでした。しかし、私の告白は担任教師には理解されず、「彼らはいい子だからそんなことをするはずがない」と言い返されました。その結果、私は不登校になりになりました。

中1の2学期になると、学校側から出席数の確保を求められ、生徒と顔を合わせない時間帯で別室登校をすることになり、そこで一人黙々と自習に励んでいました。先の見えない日々を送っていたある日、それまで交流がなかった理科の先生が別室にやってきました。「実験をしよう」と彼は言いました。内容は今となってはあまり覚えていませんが、それは私の心に深い影響を与えました。

先生は私の状況について何も触れず、私が実験を進める様子をただ静かに見ていました。今思えば、担任も持つ中学教諭が私一人のために割いてくれた時間は、貴重なものでした。

中2になり、クラス替えがあり、私は再び学級への復帰を決意しました。しかし、それでもイジメは絶えませんでした。それでも、私が耐え抜くことができたのは、その理科の先生が私の新しい担任になったからでした。

その先生は、私が高校入試を迎える際、私に小さな希望を与えてくれました。「先生、書き間違えちゃって、あなたの内申表に1年次の欠席100日・2年次の欠席50日・3年次の欠席30日って書いちゃった」と。その言葉を聞いたとき、私は深い感謝の念と共に涙を流しました。ちなみに後になって知ったことですが、高校入試(一般試験)では欠席数は一切考慮されません。

高校に進学しても、まだ中学時代の私を知る生徒がいて、陰湿なイジメは続きました。私には週5日休まずに登校する体力がなく、欠席日数が増え、進級が危ぶまれました。しかし、中学校時代の理科の先生の影響を忘れることができず、私は中学や高校の教員を志すことを決心しました。そして、そのために理系大学に進学し、教職課程を履修しました。

進学した大学は、私が尊敬する理科の先生の母校でした。しかも、私が選んだ学部学科はその先生と全く同じでした。これはまったくの偶然で、私はその事実を知ったとき、深い感慨に包まれました。

これまでの苦難を乗り越えて、私は教職につく道を歩み始めました。これも全ては、あの理科の先生の影響のおかげです。彼の行動や態度、そして彼が私に与えてくれた学びは、私の人生における最も大きな影響の一つでした。私を今日の場所へと導いてくれました。

今、私は自分が接する全ての子どもに対して、理解し、支援し、指導する教師になりたいという思いで活動をしています。子どもたちが自分自身の道を見つけられるように、最善のサポートをすること。これこそが私の教育者としての使命であり、私が進むべき道です。

#忘れられない先生 #イジメ #不登校 #教育


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