【祝10刷】編集者が本気を出すということ:わたしにしか、編めない本は、ある
■ 万感の祝10刷
重版はいつも嬉しいが、今回は特別な感慨がある。
近藤康太郎さんの著書で私の担当書『三行で撃つ 〈善く、生きる〉ための文章塾』の10刷が決まった。2020年12月の発売以来、勢い衰えることなく売れ、ここまで来た。プロのライターや、日常的に書いている人たちから特にご高評をいただき、SNS、note、Amazonでは数えきれないレビューが並ぶ。立派なロングセラーに育ってくれた。嬉しい。
げに、テクストが、よく肥えてくれました。
ここからは『三行で撃つ』を紹介しつつ、「編集者が魂を込めて本を企画するということ」について書いてみたい。本書、そう容易くできたわけではないのである。
■ 文章術で『三行で撃つ』の壁は超えられない、著者も私も
10刷の決定はすぐに近藤さんに伝えた。
「『三行で撃つ』を超える本を書くのは今後なかなか難しいよ」
そんなことは知っている。私はこの一冊を出すまでに、二十年近くかかった。そしてあなたは、三十五年たゆまず続けた「書く」という営みのすべてーー技術と思想とを、この一冊に注ぎ込んだ。
人生を賭して実らせた果実なのである。人生が、近藤康太郎という人が書いて生きた道筋が、25発の技巧(散弾)になぞらえられた。禁則、語彙、起承転結、文体、といった文章技術はもちろん全て網羅するが、それだけにとどまらない。なぜそのテクニックが有効なのかを徹底して掘る。哲学がある。文章とは何か、書くとは、世界と対峙するとは、生きるとは。世界を味わい尽くして生き、考え抜き、自分だけの言葉で書く。善く、生きよ。
わたしにしか、書けないものは、あるーー
著者には本書以上の文章読本は書けないし、私には本書以上の文章読本は編めないだろう。これは現時点、双方が認めていることだ。それだけすべてを込めたのだ。
■ 世間が知らない著者の魅力を発見するということ
最近、自分はあと何冊をつくることができるだろうか、と考えることが増えた。残された時間を考えると、「行きがかり上」などという舐めた態度はやめたいと思うようになった。そして『三行で撃つ』は、間違いなく私が全力を注いだ一冊だった。
書籍編集者には、いろんなタイプがいる。売れる本をつくるヒットメーカー、旬のネタ/人を本にするのがうまいトレンドセッター、PR上手で担当書を話題にしてしまうプロデューサー、他の編集者が思いつかないような本をつくるアーティスト、いい本だと評価される本づくりをする職人。
私に何か得意があるとするなら、著者の「まだ発見されていない(本になっていない)良さ」を愛でる才だろう。『三行で撃つ』は典型例だ。
文章家としての、近藤康太郎。
これこそが私にとっての「まだ世間に発見されていない著者の魅力」だった。
■ 出版社あるある:先例(類書)がないという洗礼
しかし、知っていただきたいのだが、こうした企画は編集会議を通すときに苦労することになる。先例がないためだ。オリジナリティーはアドバンテージどころかディスアドバンテージに働く。出版社は笑っちゃうほどリスクを取りたがらない。
近藤さんは新聞読者にはたいへん人気の人だ。しかし新聞はいまや高齢者のものとなりつつあり、全くもってマスじゃない。新聞を読まない若い人たちは近藤さんを知らない。新聞で書いているテーマは、狩猟や米づくりを通して見える資本主義や社会だ。それがなぜ、文章術の本なんですか? 狩猟ではなくて? うるさいよ。狩猟じゃないからいいんだよ。
とはいえ、企画を通してしまえば、私にはいい本をつくれる勝算があった。つくる前から名著になる予感があった。だから押し通す覚悟があった。いい本にすることができなかったら? そのときは、編集者を辞めるつもりだった。
■ わたしにしか、編めない本は、ある
なぜいけると思えたのか? 私は二十年にわたる近藤さんの熱心な読者だったからだ。この点において、誰にも負けない自信があった。新聞、雑誌、もちろん書籍、あらゆる手段を使って、その文章を探し、読んできた。文章の巧さ、硬軟自在なスタイル、思考の掘り方、物の見方や哲学、そんなものは、たぶん世界中で誰よりも、知悉していた。
「Lilyはおれの文章を、おれ以上に愛してくれている」
何度も言われてきたことだが、その通りなのだ。
■『三行で撃つ』11万字、メール15万字
校了までに交わしたメールの文字数は15万字を超えた。『三行で撃つ』の字数より遥かに多い。話してきたのは映画、本、音楽のこと、笑ったこと、考えたこと、腹を立てたこと、つまり人生について、表現について。
仕事の話はあきれるほど少なかった。しかし、すべてが『三行で撃つ』のスパイスになっている。編集の仕事、それは著者と何を話せたかだ。熱となり、表現となり、それらは著者の文章から滲み出す。否、滲んでしまう。その養分に、私はなりたい。
『三行で撃つ』は名著になった。私は近藤さんの文章に裏切られたことは、いちどもない。
■ 10刷に込めたメッセージ
さて、今回の10刷。大きく修正したところがある。「10刷だからもういいよね」ということになったのだ。どれくらいの人が気づくだろうか? 誰も気づかないかもしれないな。でも、これは私と近藤さんにとっては、とても大切なこだわりだ。出版とは「こうしたもんだ」に対するささやかなアンチテーゼ、いかにも私たちらしい美意識だとも思う。ひっそり隠し持っていた小さな美学が、10刷でようやく、本に宿る。
あとは読者に。テクストがより肥えて、太くなりますように。テクストは読者によって完成する。〈賽は投げられた〉、のだ。
文・写真:編集Lily
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