森下典子先生「日日是好日 -『お茶』が教えてくれた15のしあわせ-」を読んで、「これは楽器の練習にも通じるのではないか」と考えた部分を抜粋してまとめました。
「形」から入る
私は、どうしても考えから入ってしまうところがあります。
しかし、練習とは「運動の自動化(無意識化)」であることは認識しており、まずそれを目指すべき、ということなのかなと考えました。
考えるな
「運動の自動化(無意識化)」を実現するにあたり、思考というものは邪魔になるのかもしれません。
今に集中しよう
「運動の自動化(無意識化)」を実現するにあたり、「考えない」と並行して「今に集中する」ということが必要なのでしょう。
これは瞑想やマインドフルネスにも通じます。
つまり、練習を瞑想化する、ということなのかもしれません。
おそらく瞑想の心理状態は楽器を演奏する大事な要素である気がします。
練習に「心地良さ」を求めよう
「瞑想化された練習」とは即ち、心地よいという状態を目指す、ということなのかもしれません。
少なくとも延々と「やりたくない」というメンタルで続けるものではないと思います。
続けよう
「運動の自動化(無意識化)」を目指す。
練習を瞑想化する
心地よいという状態を目指す
を実現する上で、「継続」が大事だということです。すぐに結果は出ません。
特訓などは意味がありません。
茶道に限らず、華道、剣道、柔道など「道」がつくものは、「人生」に通じるのではないでしょうか。
「道」とは人生という長いスパンで考え、その上で「成功」とは別の成果なり、その人なりの得るものを目指す、ということなのかもしれません。
であるのであれば、その姿勢で楽器練習を続ければ、人から評価される成功はなくても、楽器演奏というものが人生に資するものになる、ということなのかもしれません。