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茶道に見た「楽器練習の極意」
森下典子先生「日日是好日 -『お茶』が教えてくれた15のしあわせ-」を読んで、「これは楽器の練習にも通じるのではないか」と考えた部分を抜粋してまとめました。
「形」から入る
「お茶はね、まず「形」なのよ、先に「形」をつくっておいて、その入れ物に、後から「心」が入るものなの」
(でも、「心」の入ってないカラッポの『形』を作るなんて、ただの形式主義だわ。[中略]意味もわからないことを、一から十までなぞるだけなんて、創造性のカケラもないじゃないの)P45
「そうやって、頭で覚えちゃダメなの。稽古は、一回でも多くすることなの。そのうち、手が勝手に動くようになるから」P55
とうてい覚えきれるものではない。ある日、お稽古中にメモをしようとした。そのとたん、「ダメ! お稽古中にメモなんかしちゃ」
「熱心でエラい」と、褒められこそすれ、どうして叱らなければならないのかわからない。私はきょとんとなった。ことごとく、学校とは違う。P56
手が勝手に蓋に伸びた。
先生が、こくりとうなずいた。
突然だった。何も考えていないのに、手が動く。まるで何かにあやつられているみたいだった。だけど、何だか気持ちいい・・・
(あの不思議な感覚は、なんだろう?)」。P58
一つ一つの小さな仕草を正確に繰り返すことで、たくさんの「点」を打つ。「点」と「点」が、いっぱい寄り集まって、だんだん「線」になる。P59
あれほど、「人を型にはめるがんじがらめの世界」だと思っていたのに、実はすべてが自由だったのだ。P229
私は、どうしても考えから入ってしまうところがあります。
しかし、練習とは「運動の自動化(無意識化)」であることは認識しており、まずそれを目指すべき、ということなのかなと考えました。
考えるな
「あなたは、すぐそうやって頭で考える。頭で考えないの。手が知っているから、手に聞いてごらんなさい」P60
「いいの。夏のお手前のことは、忘れなさい」
(あんなに小さなことまで注意して、何十回も繰り返し、やっと手が動き出したのに「忘れなさい」ってなぜ・・・!)
せっかく作りかけたものを、ぶち壊される。積み重ねが無駄になる。頭の中をめちゃくちゃにかきまわされているような気がした。P65
ややこしいから間違える。間違えまいとお手前に没頭した。すると、何も思わず、考えない「真空」のような数秒がやってきた。そのときすべてから切り離された気持ちよさを一瞬、感じた。P67
「運動の自動化(無意識化)」を実現するにあたり、思考というものは邪魔になるのかもしれません。
今に集中しよう
決して立ち止まられてくれなかった。過ぎた過去にしがみつくことは、許されなかった。
「さあ、気持ちを切り替えるのよ。今、目の前にあることしなさい。『今』に気持ちを集中するの」P70
「若いってことは、だめねえ。全然落ち着かない」
先生は、独り言のようにつぶやいた。
「ちゃんと、ここにいなさい」
「・・・?」
「お釜の前に座ったら、ちゃんと、お釜の前にいるのよ」P141
[前略]焦りはいつの間にか消えていた・・・。
その時、私はどこへも行かなかった。百パーセント、ここにいたのだ。P145
二十年お茶とやっていても、私はちっとも「無」になんてなれない。頭の中が、「考え事」に占領されている。P203
「運動の自動化(無意識化)」を実現するにあたり、「考えない」と並行して「今に集中する」ということが必要なのでしょう。
これは瞑想やマインドフルネスにも通じます。
つまり、練習を瞑想化する、ということなのかもしれません。
おそらく瞑想の心理状態は楽器を演奏する大事な要素である気がします。
練習に「心地良さ」を求めよう
手が勝手に蓋に伸びた。
先生が、こくりとうなずいた。
突然だった。何も考えていないのに、手が動く。まるで何かにあやつられているみたいだった。だけど、何だか気持ちいい・・・
(あの不思議な感覚は、なんだろう?)」。P58
ややこしいから間違える。間違えまいとお手前に没頭した。すると、何も思わず、考えない「真空」のような数秒がやってきた。そのときすべてから切り離された気持ちよさを一瞬、感じた。P67
先生の手元を目で追っていると、なぜか頭の中が、心地よかった。P79
沈黙の数秒。頭の中が、真空になった。
何も思わない。何も考えない。頭の中に、眠りよりも深い安息の数秒が訪れた。
息をつめ、ただ気持ちいい。短い死のような安息だった。P205
(「生きてる」って、こういうことだったのか!)
ザワザワッと鳥肌が立った。
お茶を続けているうち、そんな瞬間が、定額預金のように時々やってきた。P7
「瞑想化された練習」とは即ち、心地よいという状態を目指す、ということなのかもしれません。
少なくとも延々と「やりたくない」というメンタルで続けるものではないと思います。
続けよう
世の中には「すぐわかるもの」と「すぐにはわからないもの」の2種類がある。P5
人は時間の流れの中で目を開き、自分の成長を折々に発見していくのだ。P8
「ねぇ、いまの人『お勉強』って言ったよね」
お寿司を口に運びながら、私はミチコに言った。
「うん、言った・・・」
「あの年になった人が、どうして今さら勉強するんだろう?」P101
世の中は、前向きで明るいことばかりに価値をおく。けれど、そもそも反対のことがなければ、「明るさ」も存在しない。P201
だけど今は、そのころわからなかったことが、一つ、また一つと、自然にわかるようになった。十年も十五年もたって、ある日、不意に、
「あ〜!そういうことだったのか」
と、わかる。答えは自然にやってきた。P226
けれど、お茶をわかるのに時間制限はない。三年で気づくことも、二十年で気づくも本人の自由。気づく時がくれば気づく。成熟のスピードは、人によってちがう。その人の時を待っていた。
理解の早い方が評価されるということもなかった。理解が遅くて苦労する人には、その人なりの深さが生まれた。P228
「運動の自動化(無意識化)」を目指す。
練習を瞑想化する
心地よいという状態を目指す
を実現する上で、「継続」が大事だということです。すぐに結果は出ません。
特訓などは意味がありません。
茶道に限らず、華道、剣道、柔道など「道」がつくものは、「人生」に通じるのではないでしょうか。
「道」とは人生という長いスパンで考え、その上で「成功」とは別の成果なり、その人なりの得るものを目指す、ということなのかもしれません。
であるのであれば、その姿勢で楽器練習を続ければ、人から評価される成功はなくても、楽器演奏というものが人生に資するものになる、ということなのかもしれません。