己と対話し続ける覚悟 = f(一ノ瀬はじめ)
あらすじ:満員電車でのいざこざから、怒りの感情について考え始めたやまびこ。もやもやしつつも頭に浮かんできたのは、一ノ瀬はじめというアニメキャラクターだった。平和とは、怒りとは、敵とはなんなのか。対話するとはどういうことか。痛みに向き合い続けるその姿から、負の感情との接し方を考える第九弾。 / やまびこ恵好
アドラー心理学
前回、自分の怒りに向き合うという内容の記事を書いた。この沸き立つような真っ赤な感情に対して、私たちはどう対処すればいいのか。いや、そもそも対処すればそれでいいのか。
怒りに対処する、予防するためのフレームワークは、近年目まぐるしい発達を遂げてきた。アンガーマネジメント、マインドフルネス、コーピング、アサーティブコミュニケーション/アクション、それからNVC。
これらは全て、少なからずアドラーの心理学の影響を受けていると言われている。あのベストセラー『嫌われる勇気』も、このアドラー心理学に基づいて書かれているので、誰しも言葉くらいは耳にしたことがあるだろう。
氏曰く、「怒りは排泄物である」。そして湧き上がるこの想いへの対処法は、感情を目的達成のツールとして捉え、感情を発生させる認知の方を修正することだという。
要は、「感情の原因を突き詰めてたところで何の解決にもならないから、その感情が生じた本当の目的を考えて行動しよう」ということだ。アドラーの考え方が「使用の心理学」と呼ばれる所以がこのあたりにあるのだが、詳しくはまた別の機会にしておこう。
とにかく、私たちが現代のストレス社会を生き抜くために、かなり効果的な思考の枠組みだと言えるだろう。
なんか違うんすよね
しかし毎日のように満員電車に揺られながら、この頃の私はこう思う。そうは言っても、やはり感情は私の一部と言えるのではないだろうか。見るに堪えない糞尿の類であったとしても、自分の肉体から生じたものに違いはない。
感情をうまく乗りこなすとか、発散させるとか、そういうことではなく、自分の心の一部として大切にできるような考え方はできないのだろうか。
この答えのヒントを探して、私は自身の怒りをたしなめてくれた心の声、その主である一ノ瀬はじめの物語を紐解いていくことにした。
負の感情とガッチャマンクラウズ
©タツノコプロ / ガッチャマン クラウズ製作委員会
『ガッチャマンクラウズ』は、タツノコプロの伝説的アニメ『科学忍者隊ガッチャマン』のリバイバル企画として、2013年に放送されたテレビアニメだ。
「ギャラクター」、「総裁X」、「ベルク・カッツェ」、「バードゴー!」。原作の懐かしいキーワードをちりばめつつ、SNSの発達した近未来の問題に対して鋭く切り込んだ傑作。
イラストレーターのキナコがデザインするポップでスタイリッシュな絵柄とは裏腹に、人間の内面に潜むどす黒い感情に迫る、思想的なメッセージに富んだストーリーでもある。
ヘヴィーな内容に胸やけしそうになりなつつも、土日を使ってイッキ観を果たした私は、記事を書こうとデスクに向かった。
なにかBGMでもと思って適当なアニソンEDMの動画を再生したのだが、聴こえてきたのは「バードゴー!」。あろうことかガッチャマンクラウズのRemixが流れ始めたではないか。
これが運命でなかったら何だというのか。私は俄然やる気がわいてきた。宜しければ皆さんもこれを聞きながら読んでいただきたい。
※ここから先は『ガッチャマンクラウズ』の重大なネタバレを含みます。
最悪この記事に戻ってこなくても全く構いませんので、本編を観てからお読みいただくことを強くおすすめ致します。
「どうせ観ないからいいや」という方だけ、このまま続きをご覧ください。
一ノ瀬はじめ
©タツノコプロ / ガッチャマン クラウズ製作委員会
最初に一ノ瀬はじめについて話そう。公式サイトのプロフィールの説明はこのようになっている。
立川市内の「私立立川鳳雛学園」に通う2年生。
一人称は「僕」。
元気で明るく、パワフルでエネルギッシュ。
「美しいか、美しくないか」「かわいいか、かわいくないか」を判断基準とし、マイワールド全開で突っ走って行ってしまう、ちょっと変わったアーティスト系変態萌え少女。
特に文具が大好きで、ハサミやペンのフォルムに超萌える。
調子良く毎日を過ごしている実感はあるものの、物足りなさも感じており、「人生に一味足りないなぁ~~」とぼんやり考えていた。
そんな時、評議会のメンバーである宇宙人「J・J・ロビンソン」にガッチャマンに任命される。
これだけでも、ざっくり彼女のアバンギャルドさが伝わったことだろう。
真っ直ぐな心とアブノーマルな嗜好を併せ持つ彼女が、そこいらのアニメヒロインたちと一線を画す存在であることは間違いない。
ただ、はじめの魅力はキャラクター性のみに留まらない。彼女は正義の変身ヒロインでありながら、敵と戦わないガッチャマンなのだ。
まだ出会ってないだけ
©タツノコプロ / ガッチャマン クラウズ製作委員会
その片鱗は物語の序盤で登場する地球外生命体、「MESS」との関わりから読み取ることができる。
人を内部に取り込んで行方不明にしてしまうモザイク柄の生き物、MESS。普通の人間には認知すらできず、何もかもを「めちゃくちゃ」にしてしまうことからそう呼ばれる。この外敵を、秘密裏に排除するのがガッチャマンたちの使命だった。
ガッチャマンになりたてのはじめは、しかしMESSを攻撃することを頑なに拒む。
その意思はMESSにとどめを刺そうとする先輩ガッチャマンの必殺技を妨害してしまうほどに固く、彼女はしきりに、自分たちはまだMESSと出会ってすらいないことを主張した。
そしてあろうことか彼らとコミュニケーションを図り、ついに意思疎通に成功してしまう。言語や理屈の通じない相手でも、まずは体当たりで対話を試みる。これは物語全体を通して一貫されたはじめの特徴だ。
「MESSは平和を脅かす敵である」というガッチャマンたちの常識は見事に打ち破られ、MESSは人類に無害な存在に変化した。
「本質を問う」、「前提を疑う」、「広く高い視野をもつ」、「敵との対話を試みる」。10代半ばの少女にあるまじきこの悟りの開きっぷりには脱帽せざるを得ない。この対話の思想が、感性から行動にダイレクトに現れている点も彼女の魅力の一つだろう。
暴走する車とふたつの思想
彼女の対話の姿勢は、ポップでかわいい宇宙生命体に限定されるものではない。
©タツノコプロ / ガッチャマン クラウズ製作委員会
例えば通学中、細い道で暴走した車に遭遇する場面。居合わせた先輩ガッチャマンが「危ないじゃないか!」とキレ散らかす中、はじめは淡々とそれを諭す。
「何か事情があるんじゃないっすかね?」
「もしかしたら、急病の人を乗せてるかもしれないっすよ?」と。
もちろん真実は誰にもわからないが、はじめは「ちょっと怒る気、減ったんじゃないっすか?」と、この考え方がフレームワークであると本能で理解していた。
流行するアドラー心理学とはじめの思想が大きく異なる点はここにある。両者とも怒りを覚える自分を認めた上で、考えを前向きに持っていくためのアイデアであることに違いはない。
しかし、アドラーは感情の原因を探求することは無益で、目的に着目すべきであるとしたのに対し、はじめはその原因の広がりに思いを巡らせ、負の感情にポジティブな理由や意味を持たせようとしている。
ストレスを受け流すでもなく、発散するでもなく、納得できるところまで考えを広げる。一見すると理不尽の理由を探求するという生産性のない行為のようだが、そこには対話という、怒りの感情に対するひとつの回答が示されていた。
悪意の権化:ベルク・カッツェ
©タツノコプロ / ガッチャマン クラウズ製作委員会
こうして、はじめが小さな平和をコツコツと積み上げていく一方で、悪も世に蔓延ろうとしていた。初代ガッチャマンの敵役から名前を受け継ぐ極悪宇宙人、ベルク・カッツェである。
元ガッチャマンでありながら、これまで7つの星を滅亡に導いてきた彼(もしくは彼女)が次に目をつけたのは地球。日本国、東京の立川だった。
カッツェはキスした相手の姿形をコピーして変身できる力を持っていて、通りすがりの人間のちょっとした悪意や心の隙間につけ込み、奪った姿で犯罪を繰り返していた。
決して自分の手は汚さず、誰かになりすまして悪事を働くその姿は、Web上での匿名性を盾にやりたい放題してきた私たち人間を彷彿とさせる。
カッツェの口調が「ワロスワロスwww」など、一昔前のネットスラングや煽り文句で描かれているのも、このイメージを強化することが目的だろう。
SNSと悪意の行く末
©タツノコプロ / ガッチャマン クラウズ製作委員会
そしてこの悪意を更に強大なものにしたのが、インターネットに広がる巨大なSNS「ギャラックス」だ。
ぱっと見アメーバピグのような、どこかゲーム然とした内観。しかしその実は、超高性能AIの力を借りて、数千万人規模でのマッチングサービスを行っているリアルな社会性にあふれたアプリケーションだ。
ユーザーが困っている人を発見して通報すると、それを解決できる技能を持った最寄りの人材を紹介するという仕組みになっている。
私たちの世界同様、ガッチャマンクラウズの世界でも東日本大震災に相当する災害があったという設定があり、ギャラックスはその際に大いに役立ったネットワークとして社会に浸透していた。
宣伝文句は「世界をアップデートするのはヒーローじゃない。僕らだ」というもの。そのコンセプト通り、問題を解決したユーザーには、世界をアップデートした報酬としてポイントが付与される仕組みになっている。
一般の市民曰く、救急車よりもギャラックスの方が早いとかなんとか。
カッツェはこのネットワークを乗っ取り、不特定多数の人間に超常の力を与えることで、立川を壊滅に陥れた。
SNSが乗っ取られてリアル社会が崩壊する作品としては、細田守監督のサマーウォーズが有名なところだろう。ゲームだと思っていたことが現実に波及する恐ろしさ、そしてだからこそのネットワークの可能性を示している。
精神力の戦い
崩壊した立川で、本来正義のヒーローであるはずのはじめはカッツェを攻撃しない。それどころかやっぱり、「カッツェさーん、どこっすかー?」と、明るく積極的なコミュニケーションを試みる。
はじめが他人の痛みに無神経な人間であるというわけではない。作品の随所で、はじめが件の大災害の被災者であることが描かれているし、悲劇への共感性はむしろ人一倍高いことだろう。
自分の住む街がめちゃくちゃにされてしまった光景を見て、はじめの心は深い悲しみと激しい怒りのうねりに苛まれていたはずだ。
でも、カッツェは他人の怒りや憎しみ、殺意を利用して戦う宇宙人。一度でも本心を、カッツェへの殺意を見せてしまったら、それを利用されてしまう。
猛る感情は胸にしまったまま、立ち向かうためにカッツェという負の感情からは逃げ出さない。受け流さず、取り込まれず、でも反発もしない。
©タツノコプロ / ガッチャマン クラウズ製作委員会
物語の終盤は、はじめとカッツェの精神の駆け引きがメインに描かれている。ナレーションは無し。陰影の効いたカットと、独特のセリフ回しだけで表現されている点が秀逸だ。
「え、え、え?はじめたん泣いてんのw
いつもニコニコなはじめたん、まさかの涙目ぇ?www」
「泣いてないっすよ」
「正直になってみ?今超ムカついてるっしょw
ミーが死んだら嬉しくて堪らないっしょww」
「.........」
「ボクは君を殺さないっす。約束するっす!」
「ウッソクサw」
「嘘じゃないっすー」
「嘘じゃないっすーwww あ~ホンマ反吐が出るわ!氏ね!」
カッツェは純粋な悪意をぶつけて、ひたすらはじめを煽る。彼女がどこにでもいる平凡な主人公だったなら当然、これに勇気の拳で応えたことだろう。
でもはじめは動じない。無視もしない。堪えもしない。ただ淡々と対話を継続するはじめに対して、悪意という武器は何の効力もなかった。
そうしてずるずると時間稼ぎをしながら、カッツェを人々から遠ざける。怒りや悪意から他者を守り抜くために。
その間に他のガッチャマンたちは立川以外の全国民にも超常の力を開放し、戦いの行く末を人々の善意に委ねることにした。
無秩序な個人同士の正義がぶつかり合い、情勢はより多くの人々が正しいと思う方向に傾く。ほどなくして混乱は集束し、物語は幕を閉じた。
社会というシステムの脆弱性
もしカッツェが立川を滅ぼしていたとしたら、それは人間の悪意が善意を上回ったということになる。そうなれば立川に限らず、ほかの全世界で同じ戦法が通用してしまっていただろう。
散々煽りまくった挙句、はじめとデートの約束をとりつけたカッツェは、争いが静まってしまった立川を目の当たりにし、愕然とする。
さっきまであれほど充満していた人々の悪意が見当たらない。善意の集合として動き出した立川に付け入る隙は見つからず、カッツェは「頭わるっwお前らセンスなさすぎィ!!」とだけ叫んで、忽然と姿を消した。
滅ぼせないもの
©タツノコプロ / ガッチャマン クラウズ製作委員会
正直、このまま話が終わってしまえば、はじめは相手の悪意をポジティブに脳内変換できるだけの現実逃避系お花畑女子で終わってしまうところだ。放送直後も、SNSでは物語の説明不足を嘆く書き込みが多かったように記憶している。
しかしその後、制作の都合上カットされてしまった部分が12.5話として公開されたことで、私の解釈は一変した。
「カッツェさん、こんちわっすー!」
最終話のあらすじのあと、はじめは約束通りカッツェと立川の改札前で対峙する。
「はじめた~ん!何だかんだ言って、ミーのこと好きなんすねぇwww」
「好きっすよー。カッツェさんのこと、たくさんたくさん考えたっすよ!」
「ウソコケぇ!こんな極悪宇宙人、好きなわけないや~んww」
「好きっすよ!でも許せないっす」
「ほら本音キターww
やっぱはじめたんムカついてるやーんww
ミーのことぶち●しにきてるや~んwww」
「違うっす。許せないから、どうしたらいいかずっと考えてたんす」
最終回の続きが始まる。はじめは迷わない。
悪意をぶつけているはずのカッツェのほうが、なぜかどんどん不機嫌になっていく。ありったけの罵詈雑言を投げつけるも、はじめはそれに笑顔で応えた。
「いいっすね~カッツェさん!もっと言って欲しいっす。もっとっもっとカッツェさんの本当を教えてほしいっす!」
受け容れる。カッツェは力でねじ伏せても消えない悪そのものだから。怒りとか、悲しみとか、憎しみとか、その他諸々。それは誰の心にも存在する負のエネルギーだ。
どんなに汚くても、臭くても、自分の一部であることに変わりはないから。
「カッツェさんはボクっす!ボクらっす!!」
そしてはじめは、カッツェの精神をまるごと自分の体内に取り込んでしまう。それは自分が死ぬまで、負の心と対話し続けるという決意の表れだった。
はじめは都合のいい解釈で現実逃避などしていなかった。これから始まる無限とも思える対話の日々を覚悟した彼女に、ただ相手をねじ伏せたいだけのカッツェが勝てるわけがない。
「死なないっす、殺さないっす」
怒りには屈しない。でも滅ぼそうともしない。淡々と向き合い続け、対話し続ける。感情の意味を問い、あっけらかんと雑談を繰り広げる。
今日の私たちのような、あらゆるものごとにインスタントな解決を求めたがる人間には辿り着けない境地に、彼女はひとり立っていた。
決して滅びない悪に対して、来る日も来る日も毅然と立ち向かい続ける。ヒーローとはきっと、こういう人のことをいうのだろう。
己と対話し続ける覚悟
私たちが怒りの感情にぶち当たったとき、それがどんなに理不尽でも目を逸らしてはいけない。放っておいてもねじ伏せても、頭ごなしに理解した気になっても、それはそもそも自らの一部だからだ。
脳裏ではウルトラマンコスモスの主題歌が流れ始めていた。
覚悟ひとつで、人は誰でもヒーローになれる。怒りや憎しみといった醜い自分を直視し、矯正せず、無視せず、戦わず、愛し、しかし決して許さない。
必要なのはありのままを受け容れ、死ぬまで対話を続ける覚悟だ。気の遠くなる、吐き気のするような覚悟だ。
まだまだ修行の足りない私だが、醜く寂しい自分との対話は忘れずにいたいと思った。
今日の関数:
己と対話し続ける覚悟
= 0.5*死なないっす + 0.5*殺さないっす
ご読了ありがとうございました。
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