紫陽花の季節に
アジサイはどこにでもあるし、庭に植えようと思えば植えられるし、道端でも見かける花だ。
けれど、わざわざたくさんのアジサイが咲いている神社やお寺、公園などに足を運んで同じ花を見に行こうとする。そんな人たちも多くいるだろう。
日曜日、わたしは最終面接まで進んだ会社の不合格通知を受けて、とても暗い気持ちだった。
気分を変えないと、3週間前に訪れた神社へジョギングに行き、結果を報告しようと思った。
3週間前にも同じアジサイが咲いていた。あの時は神社には他のお客さんもいて、お参りしたり、小さな池のおたまじゃくしを取る子どもなど、それぞれを楽しんでいる日曜日だった。わたしはその時も、アジサイの花の写真を撮っていた。
そして今回もまたアジサイの花の写真を撮る。
この神社に行く途中、誰かの家の庭に咲いているもの、喫茶店のオーナーがお客さんに見てもらうために、道端に植えたもの、たくさんのアジサイを見たはずなのに。
いや、前の日に実家に行った時も、母が植えた庭のアジサイを見た。
それなのに、3週間前に見たあの時のアジサイの写真を撮る。
特に珍しいかたちという訳でもなく、鮮やかな色をしている訳でもない。むしろ白っぽい淡い色をしていた。
だけどわたしの思い出として記憶に残っているものだ。良い記憶では無いけれど。
こんなふうに、思い出として頭の隅にあるから、そのアジサイを見に行く、アジサイじゃなくても他の花でもいいのだけど、近くに同じ花があるのに、わざわざ遠くまで花を見る目的ってこういうことが多いよなぁと思う。
誰か好きな人と見に行った思い出とか、あの時大変だったという思い出とか、ふと立ち寄った場所に咲いている花は、その後どうなっただろう。というふうに。
わたしにとっては今回は良き思い出ではなかった。
今度はいい思い出として、なにか印象に残る季節の花を撮りたいなと思うのです。