読書記録:負けヒロインが多すぎる! (5) (ガガガ文庫) 著雨森 たきび
【甘くて苦い秘密に彩られた友情と心を手放す覚悟】
世は空前のバレンタイン。佳樹が贈る本命チョコを巡り、その真相を突き止めるべく、和彦は桃園中学に潜入する物語。
ライトノベルの作品では、お約束のように主人公に想いを寄せる妹と幼馴染は、不遇の顛末を辿るのが多い。
恐らく、純粋無垢な権化の象徴である妹と幼馴染が、主人公と生々しい関係になるのが、読者は忌避感を示すだろうという、作者なりの配慮があるからだろう。
ましては、血の繋がった兄弟が恋愛関係を進展させていくのは、近親相姦であり、一般的な趣味嗜好を持つ人々には受け入れがたい。
だからこそ、どんなに兄に想いを寄せていたとしても、妹とは産まれながらにして、究極の「負けヒロイン」なのかもしれない。
年明けして、早一か月。
迫ってくるのは節分、を通り越してバレンタイン。恋する乙女にとっては勝負の季節。
そんな中、気合を入れて手作りチョコを準備している佳樹が何かを、自分に隠している様子に、温水は猜疑心に揺れていく。
ブラコンな妹が自分以外の相手の為にチョコを作ろうとしている。
その事実に心を痛める和彦だったが、どうやらその秘密はいわくつきの物で。
檸檬の提案で、千早と共に佳樹の通う中学に潜入する事で知る意外な真実。
壮絶な化かし合いを経て、将を射んとする者はまず馬を射よの精神で佳樹がチョコを贈ろうとしている事実を知った和彦。
佳樹とその彼女の友人にスポットが当たる。
これまでのように温水やマケインたちを翻弄する様子はもとより、珍しく感情をあらわにする場面や心情を吐露する場面もあって、いつも以上に彼女らしさが垣間見えた。
煙に巻く行動を示す事が多かったので、佳樹が気持ちを言葉にしてくれた事を嬉しく思う温水。
佳樹の本命チョコの相手とは誰なのか?
彼女が温水にチョコを渡さなかった本当の理由。
中二には、恋なんてまだ早いと大騒ぎして、いつものメンバーから呆れられる温水。
同級生男子の陰もちらついて、気が気じゃ無い温水が振り回される。
佳樹のブラコン具合はしばしば語れたが、温水のシスコンっぷりはだいぶえげつない。
でも、それはお互いをかけがえのない存在と思っているからこその表現である。
積み重なった人と人の関係とその在り方を、『盆栽とは何であるか』に例えるのは、非常にウィットの効いた粋な表現であった。
八奈見とは食い歩きデートや、進級裏課題で中学へ指導に行く焼塩に便乗しての調査してみたり、小毬は真実を探るはずが佳樹に何故か、ゴスロリを着せられる。
志喜屋の猛アタックや馬剃の空回りもカオスの中で、丁寧に描く。
才色兼備な佳樹が必死に欲しくても手に入らないもの。
実妹という立ち位置である故に、確実に負けヒロインになってしまう。
佳樹の意味深な小説の切なさもさることながら、友人であるアサミの恋模様もビターエンドで佳樹が背中を押そうとした気持ちも分かる。
温水がヒロインとの会話の中で、佳樹との過去を振り返り考え直していく。
そして、温水は妹との今の関係は永遠ではないが、しかし、これまでの過去が無価値にはならないという結論に至る。
無条件に兄妹の繋がりを肯定出来る所は、温水の人柄の良さでもある。
これは温水の今までの思想として、シリーズ全体で表明されている。
人生は確かに思い通りにならないことが多い。
努力がちゃんと報われる時の方が少ない。
どんな紡いできた絆でもいつか離れ離れになる日が訪れる。
だけど、未来は如何なる時でも、過去の積み重ねから生まれる物である。
どんな積み重ねでも、未来に必ず影響してくる。
極論、言ってしまえば、無駄に思える事も無駄ではない。
だから、好きな人の温もりを抱きしめて、愛しい人と笑える瞬間を、少しでも増やしていけばいい。
温水の考えは明示されているが、佳樹が兄との別れが予感されて追い詰められていった事も明かされていく。
クリスマスの目撃、橘くんの打ち明け、小鞠の来訪の中で兄との関係の変化が予感された事なとが、積もり積もって書いたのが、佳樹の「小説」ではないだろうか。
兄への情念を込めて書いた、禁断の短編集。
佳樹はこれを小鞠の来訪の後で、一晩で書き上げている。
自らを仮託した「妹」を「過去」に置き、家を出る「兄」を「一人で決めてしまうズルい人」と詰ったのは。
妹である自分は兄が自分から離れていってしまうという状況をどうする事もできないという無力感と絶望感を表現したかったからだろう。
ぼっちだった温水を一番近くで見続けてきた佳樹。
しかし、負けヒロインと関わる中で、一端のラブコメ主人公へと進化した温水。
佳樹は、置いていかれたような一抹の寂しさを抱えた。
彼女の本当の気持ちに気付いた温水だったが、彼の周りにはいつの間にかヒロインが集まっている。
恐らく、今が彼の最頂のモテ期の瞬間。
小鞠は明確に温水に対して好意を持ったかと思えば。
焼塩は友愛のような歩み寄りを見せたり。
ただ、八奈見の行動だけは未だに読みきれない。
しかし、彼は無自覚にラブコメフラグを折る恋愛クラッシャーであり、そう一朝一夕に恋愛は発展しない。
唐変木な彼に鈍い通常運転の中でも、バレンタインや文化祭といったイベントを経て。
確実に彼を取り巻く状況は変化してきている。
友情と闇の狭間で、取捨選択をした佳樹。
これからは違う形で、兄の恋の行く末を見届けよう。