読書感想:恋と呪いとセカイを滅ぼす怪獣の話 (MF文庫J) 著 さがら総
【同じ物を眺めていても、捉え方はまるで違う世界で】
星堕ちにより呪いじみた異能を宿した少年達のひと夏の物語。
主観と客観が、両輪の軸になる事で世界は成り立っている。
では、その均衡が崩れればどうなるのか?
孤島に、社会から隔絶された孤独な子供達が集う。星が堕ちた影響により、異能を宿した子供達。
そこで、繰り広げられる青春は一味違う。
各々の視点で、主観と客観が入り交じるが噛み合う事の無い歪さを抱いて。
根本的には相互理解などが無くとも、それなりの幸福に辿り着けるのだろう。
「人の感情に触れられる」呪いを持つ真久良。
彼に対し、外面はつっけんどんとしながらも内心では妄信的な思いを向ける「時間を五秒だけ追加する」呪いを持つ稀音。
彼等が暮らす星堕ち島へ、本土からの転校生として「視界を映像記憶に変える」呪いを持つ春が現れ。
「怪物を視る」呪いを持つ少女、うづ花も巻き込んで。
何とはなしに集まった四人の、孤独な者達のひと夏の青春は、始まる、筈だった。
他人に世界がどう見えているかなんて、分かるはずがない。
複雑怪奇な人間関係も。
しかし、普通ではない少年達は嫌でも分かってしまう。
誰にも見えない少女、特別ではない青年、格別な少女、噛み合わない二人。
主観と客観が入り混じり、コミュニケーションとディスコミュニケーションが交差する果てで、人と人は分かり合えないという根底の中で、だからこそ関わり続ける人間らしさを突きつけてくる。
見える物は捉え方次第。
善だと思った物が実は悪だったり。
主観で世界は汚くも美しくもなる。
大切なのは、何が見えるかではなく、自分がどう見たいのか?
人を本質的には孤独な生き物だ。
他人の痛みに気付いてやれない断絶を越えた、心と心が繋がれるごくありふれた幸せな終着点は、人である以上、誰もが心のどこかで望んでいる事かもしれない。
自分は認識できる物が他人からは見えていない可能性もあって。
もしかしたら別々の世界を見ているかもしれない。平行世界線として始まり、最終的には他者を理解し世界が統一される。
決して交わらない。
決して理解することはできない。
それでも、同じ景色を、別々の主観を持ちながらも、共に過ごす中で見えてくる物もある筈だ。
人の数だけ正解があって、他人の答えに耳を傾けて理解する事で、自分だけの凝り固まった閉じられた世界から脱出して、ひと皮剥けた大人へと成長していく。
人とは、異なる違う物は気持ち悪いかもしれない。
理解出来ない物は、嫌悪してしまうかもしれない。だけど、それこそが、「個性」の延長線上として捉える事も出来る。
たとえ、世界は違えど、そこに交わされる思いの丈は同じ。
自分だけの世界を持つ、だからこそ、その世界が交わるのなら。
世界の見え方は変貌し、もっと世界は面白くなる。
他人の価値観にも寛容になれば、自分の世界は更に拡がっていく。
それは時間の壁も夢の壁も越えていく。
各々の立ち位置で見ている物が違うからこそ、密かに抱く恋や思惑からの嘘や謎に振り回されるばかりだったが、いつだって大切な物は眼には見えない。
見る物は同じでも受け取り方はまるで違うのだから。
それでも、揺るぎなき想いを貫いて手繰り寄せた結末は。
確かに少年達にとって忘れられない大切なハッピーエンドだったのだ。
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