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読書記録:神様の御用人2 (メディアワークス文庫) 著 浅葉なつ
【神も人も元を正せば一体で、世俗に塗れた苦悩も心ゆえに生まれる】
【あらすじ】
名湯探しに家探し、井戸からの脱出の手伝いに、極めつけは夫の浮気癖を治して欲しい。
困っている神々の望みを叶える事で、神様が納得してくれれば、宣之言書にお印を頂ける使命。
そんな神様達の無茶ぶりを、今回も御用人である、フリーターの良彦とモフモフ狐神である黄金が、粉骨砕身の覚悟で解決していく。
名湯探しに家探し、井戸からの脱出、夫の浮気癖を治すといった神の願いを聞き届ける良彦の元に、官司の娘である穂乃香が現れる物語。
日本にはあらゆるものに神が宿る、八百万の神々の信仰が根付いている。
昔の人は、物を大切に丁寧に扱っていた。
壊れたならば、出来るだけ補修を繰り返して、捨てる事なく、長く大切に使い続ける。
その想いと情に魂が宿る。
それこそが、日本人の奥ゆかしい美的価値観であった。
しかし、時代と共に物が便利に溢れて、人々は贅沢をする事を覚えて、神々の信仰心が薄らいでいった。
単純に信者が少なくなると、神はより人に近しい存在に成り下がってしまう。
神人一体だからこそ、人とは神の魂を心とするのである。
それ故に、神様だとしても人と同じような苦悩もあって、それを解決して欲しいと御用人に頼むのも無理からぬ事だ。
だから、神社や仏閣を訪れても、あまり欲張って神頼みする行為は、本来は良くない事だ。
神様だって、人と同じように悩むのだ。
あくまで祈りであり、それを神様に宣誓する事で、自らの決意表明とするくらいの気概の持ち主こそ、神様は応援してくれる。
せめてもの、神様の礼儀と畏敬として訪れた神社に、どういった神様が祀られているのか、事前に調べるくらいの誠意をみせるべきである。
神であれ人であれ、困っていれば助けにいく気概を持つ祖父の血を、色濃く受け継いでいる良彦を助太刀してくれる、神々の姿が視える天眼を持つ穂乃香という少女が現れる。
今回、良彦に御用を依頼してくる、それぞれの神様、少彦名神、窮鬼こと貧乏神、泣沢女神。
須勢理毘売と大国主神は、人々の認知的にメジャーであり、崇高な存在とは言えど、実に人間くさい欲望と悩みを持っていた。
身体の芯までほどけるような湯に浸ける温泉に入りたい欲望を持つ、一寸法師のモデルになった少彦名神は、昔の大国主神と一緒に国造りをしていた、記憶の名残がある道後温泉のような、温もりを感じたい御用であった。
その温泉は既に潰れていた為、良彦は苦肉の策で混浴剤を大人買いして、名湯を再現した末に、最後に辿り着いたスーパー銭湯を、思いがけず気に入った少彦名神。
彼に重要だったのは、何処で過ごすかではなく、誰と過ごすかであり。
求めていたのは身体の温もりではなく、人と触れ合う心の温もりであった。
窮鬼は、貧乏にもめげない清らかな心の持ち主が住む、新しい住処を探しているが、なかなかに見つからない御用を抱えていた。
家を貧乏にして、またそこから這い上がろうとする人間を見るのが好きな、ちょっと変わった貧乏神である。
己をふと立ち返って、顧みる機会を与えるという役割を持つ彼は、日常の幸せを忘れやすい人間の家にこそ貧乏をもたらす。
歪な願いを持つ窮鬼は、最終的に消滅を望むものの、良彦の実直な暖かさに触れて、その優しさによって新しい住処を見届ける事が叶う。
次の泣沢女神は、人から愛されたい欲望と日本の子供達の悲しみを引け受ける為に泣きたい願望を、常に抱えていた。
奈良県橿原市の空井戸に御神体を構えて、その井戸の底でひっそりと涙を流していたが。
その流した涙が、腰まで浸かるような悲しい井戸から脱出したいと考えていた。
悲しみに浸りすぎて、その身体は重く苦しいものになっていた。
人の代わりに涙を流す行為は、彼女にとっての願いを妨げる苦行になってしまっていた。
千年近く、その苦行を耐え忍んで続けてきた彼女。
そんな彼女が井戸から抜け出したい本当の理由。
それは、実は官司の娘である穂乃香を抱き締める事こそが本当の願いであった。
天眼の影響で、人には見えない神や精霊が空へと還っていく姿を、何度も見送ってきた穂乃香。
他人に見えないものが見えるというのは、良い事ばかりではない。
それを見守る事しか出来ない自分の事を、責め苛んで、人知れず涙を流す優しい子供であったからこそ。
そんな彼女こそを、力強く抱き締めてあげたいと願った泣沢女神。
時には数多の人々の涙よりも、ただ一人の人の為に涙を拭ってあげたいと思ったから。
友人である穂乃香を、この手で慰めてあげたい、親愛の情から来るものだった。
そして、出雲大社に共に祀られる、夫の浮気癖を治して欲しいという、実に人間らしい悩みを抱えた須勢理毘売。
好色家である大国主神に、ほとほと愛想を尽かしていた。
だからこそ、彼女はうんざりして家出をしていた。
そんな妻を一応は気にかけているものの、誰彼構わず、口説いてしまう女たらしな悪癖を持つ大国主神。
「出雲国風土記」にも、彼には五人の妻がいた事が記されている。
しかし、彼も本当は須勢理毘売の事を一番に愛していた。
彼の女癖の悪さに手を焼きながらも、最終的に夫婦が円満に仲直りする為の架け橋となれた良彦。
そうやって、神様の御用を聞き届ける中で、気付いた事。
古代から語り継がれる神話は事実なのか、どうかは分からない。
ただ、日本の神話を紐解いていくと、人間くさい神様達がわちゃわちゃと、すったもんだを繰り広げる物語が実に多い。
日本は古くから常に神と共にあった。
世界から見ても、日本という国は神社や仏閣が有数にある土地だと認知されている。
人々の信仰によって、神様は力をつけて、神様はその力を使って、人々のこれから先の繁栄を静かに見守っていく、好転的なスパイラル。
その循環が、古くから日本という土地を守り続けていた。
人にとって、本当に大切なものは煌びやかなものではない。
地味で忘れがちだが、常に傍にあるものこそが、本当に大切なもの。
人が神を忘れていく事は、神様にとって力がなくなるだけではなく、心が虚しくて寂しいと感じるのだ。
だからこそ、時代が移りゆく中でも、自分だけは忘れずに寄り添い続けようと誓う良彦。