愛媛のみかん農家の跡取り娘が六次産業化に取り組む理由-八幡浜市 野本沙希さん(マゼンタミカン)
2022年3月の「地元を愛す。」プレゼントの賞品にセレクトしたのは、「日の丸みかん」で有名な八幡浜市向灘地区のみかん農家・野本沙希さんが作る「みかんジュースとみかんチョコのセット」。全国有数のみかん産地の後継者として、みかん栽培に取り組みながら、女性目線で様々な加工品づくりに挑戦している野本さんにお話を伺いました。
男社会の柑橘農家で後継者として悩んだ日々。
女性目線の農業とは…
八幡浜の市街地の北側に位置する向灘地区は、八幡浜湾を南に臨み、その背後には急斜面の山が迫る。山一面に広がる石積みの段々畑の美しさと迫力は、まさに圧巻。その段々畑で太陽の光と海からの反射光、そして石垣からの反射光をたっぷり浴びて育てられたみかんは、「日の丸みかん」というブランドで全国に知られている。昨年11月の東京・大田市場の初競りでは、桐箱入りの日の丸みかんに過去最高の150万円という値がつけられ話題となった。そんな国内屈指のみかんの名産地である向灘で生まれ育った野本沙希さんは、結婚を機に家業のみかん農家を継ぐことに。その後、離婚し、現在は両親と野本さんで臨時のアルバイトを雇いながらみかんを栽培している。
(野本沙希さん)
小さい頃から親には「跡を継いでよ」と言われていました。姉がいるんですけど、姉より私の方が似合うから、とずっと言われていたんです。2年ほど西条市で会社員をしていましたが、結婚するタイミングで八幡浜に帰ってきて農業を始めました。段々畑での農作業は機械化が難しく、力仕事が多いため、柑橘農家は男性主体で女性はお手伝いという位置づけが多いんです。特に収穫時期は大変で、私も離婚後は「男性にならないといけない!」と思って必死でした。柑橘農家という男社会の中で、情報も少なく、やりきれない思いを抱えて悩んでいたのですが、ある時、男性になろうとするのは違うな、と思ったんです。自分がここに女性として生まれてきたのには意味があるんじゃないかと思うようになり、それからは女性目線の農業経営者になろうと考えるようになりました。それまでは跡取り娘として「しないといけない」という縛りが身分の中にあり、しんどい思いをしていたのですが、どうせなら楽しくやれる方向にしたいと思うようになりました。
―現在は、ご自身で育てたみかんを使った加工品の商品開発や販売など、いわゆる六次産業化に積極的に取り組んでいらっしゃいますが、きっかけは何だったんですか?
2017年の年末に、JA主催の加工品展に出品してみないかというお話をいただいたのがきっかけでした。みかんの加工品と言えばジュースやマーマレードが多いので、他にはないものを作ってみたいと思いました。そこで思いついたのが「みかんパウダー」です。粉末なら小麦に混ぜることもできるし、チョコレートに混ぜたら黄色いチョコができるなと。そこでホワイトチョコレートにみかんパウダーを練りこみ、コンフレーク等を混ぜた「みかんチョコクランチ」を出品し、1等賞を頂きました。今までにないみかんの香りと風味のチョコレートだと好評をいただき、ぜひ多くの人に食べてもらいたいと思い、「マゼンタミカン」を立ち上げました。「みかんパウダー」を作り始めた当初は、皮むきや皮の乾燥も自分でやり、使わない実はシロップ漬けにしたりしていたのですが、農業と並行しての作業でさすがに手が回らなくなってしまいました。そんな時に、市内で障がい者の就労支援をしている「浜っ子作業所」の方と出会い、作業所でみかんゼリーを作っていることを知りました。さらに、作業所には大型の乾燥機があるというので、私からミカンを無償で提供し、実はゼリーに使ってもらう代わりに、皮の乾燥までの作業をお願いできることになり、とても助かっています。
―まさに「ウィンウィンの関係」ですね。ところで「マゼンタミカン」の「マゼンタ」は、あの鮮やかなピンクの「マゼンタ」という色に由来しているのですよね?どんな意味が込められているのですか?
「マゼンタ」という色は、幸せな波動を持つ色と言われているそうなんです。それでマゼンタとみかんをくっつけたいと思いました。マゼンタミカンのかわいい商品で皆が幸せな気分になりますように、という想いを込めてます。
―みかんの加工品といえば、まずオレンジ色を思い浮かべるので、この色をチョイスするのは女性らしい発想だと思いました。
ありがとうございます。女性発信の商品ですから、かわいいものにしたいなと思い、パッケージのデザインにもこだわっています。
加工品作りに取り組むことで広がった世界。
みかん栽培がより愛おしいものに
―六次化で加工品を作り始めて、本業であるみかん栽培への取り組みに変化はありましたか?
加工品を始めるまで、私の生活は家と山と子どもの学校関係、その3つのトライアングルしかなくて、正直面白くないなと思っていました。でも加工品を始めてからは勉強会等で異業種の方々と関わる事が増え、世界が広がりました。農業女子の仲間といろんなことをするのが楽しいし、自分を表現するものでもあるなと思います。そして、何よりみかん作りが愛おしくなりました。以前は、親に怒られながら仕事して、しんどいな、嫌だなと思うこともありましたが、加工品と山の仕事の両方をするようになったことで、自然の中の働くことの楽しさをより感じるようになり、みかんに感謝できるようになりました。
―毎日、素晴らしい景色の中で働いていらっしゃいますね。先人から守り続けてこられた段々畑は、宝物のような風景だと思います。
向灘地区は特に傾斜がきつくて、どこの園地でもだいたい海が見えるんです。みかんが色づいて、晴れて海と空が青く澄んできれい。みかんのオレンジと海と空の青の3つが揃ったときが最高です。本当にきれいで、いつ見ても感動します。近年、高齢化や人手不足で規模を縮小したり、辞めてしまう農家さんも多く、大変残念で寂しく思っています。
私には2人娘がいて、次女は農家を継ぐと言っていますが、私自身が大変な思いをしたので、「無理はしなくていいよ」と言っています。もし娘が後継者として決意した場合でも、すんなり農業に取り組めるような体制作りをしておきたいと考えています。加工業で安定した利益を上げれるようになれば、農作業との併用で通年雇用ができ、収穫時期の人手不足に対応できるのではないかと思います。私自身、これからもコツコツと楽しみながら、女性らしい農業に取り組んでいきたいですね。また、長女はパティシエを目指して大阪で専門学校に通っているので、いつか私のみかんパウダーを使っておいしいお菓子を開発し、広めてくれないかなと期待しています(笑)。
【この記事は2022年3月にeatホームページに掲載したものです。】