勉強の時間 人類史まとめ25
『帝国』アントニオ・ネグリ/マイケル・ハート9
巨大化から細粒化へ
大企業でも好成績を上げられるのに、あえてそこから脱出して起業したり、フリーランスで仕事をする人たちが増えています。
そういう人たちの多くは大企業でサラリーマンとして働くうちに、大企業が案外非効率的で、世の中のニーズに応えられていないことに気づき、それなら自分でもっとユーザーに近いところから商品やサービスを提供しようと考えるようになった人たちです。
大企業の強みは規模のメリットを活かしてビジネスを効率化し、商品やサービスを効果的に、安く、素早く提供できることですが、それは裏を返せばスケールメリットが活かせないものは提供しないということです。
世の中はそうした大企業が提供するモノやサービスで溢れていますが、そういう規模の論理では応えられないニーズが世の中にはたくさんあります。世の中が豊かになるにつれて、ニーズは多様化していますから、大企業では対応できないニーズがどんどん増えています。
最近、インターネットのクラウドファンディングサイトを使って、商品などの企画を提案し、出資者を募って、お金が集まったら実際に開発・製造して、出資者に届けるといったビジネスの立ち上げ方が広がっていますが、こうしたことが可能になってきたのも、大企業では実現できないようなニーズが世の中にたくさんあるからです。
世の中にニーズがあっても、大企業で社員がそれを商品やサービスとして企画しようとすると、費用対効果を問われます。大企業ほど人件費や設備費などの固定費がたくさんかかっていますから、かなりの数量を売らなければ元が取れません。小さなスタートアップ企業なら元が取れるものでも、大企業では脚下されてしまいます。
つまり大企業側の都合で実現できない世の中のニーズがあるわけです。
人や社会にまちがいなく存在するニーズでも、大企業にとっては、ビジネスとして成り立たないニーズであれば、市場は存在しないのと同じです。
それがビジネスというものだと、大企業の人たちは考えるかもしれませんが、そもそも産業というのは何のために存在するのかという視点から彼らには欠けています。
元々人や社会が必要としているものを提供するのが産業の役割です。
大企業が規模を理由に提供しないものでも、小規模な企業なら提供できるとしたら、その商品やサービスについては大企業が機能せず、小規模企業の方が機能することになるでしょう。
ビジネスと公共サービス
産業にかぎらなくてもいいかもしれません。
産業が提供できないサービスは国や地方自治体、それに準じた公共団体などが提供すればいいわけですが、そうした既存の公共機関も、制度や価値観の古さから、今の世の中に生まれているニーズに対応できないことが色々出てきています。
だから、もっと一般の人に近いところから、自分たちが感じている必要性や問題を解決しようということで、NPO法人を立ち上げてサービスとして提供する人たちが出てきているわけです。
産業の中でも農業や漁業は、元々不安定な業種ですし、伝統的な流通経路を通していると、あまり儲からないので、若い後継者の不足から産業として衰退しつつあります。しかし、若い事業者の中には、インターネットを使った直販や、加工品の製造販売を組み合わせることで、魅力的なビジネスに進化させる人たちが出てきています。
大企業が参入できず、農協や漁協といった既存の組織では解決できないことを、若い事業者たちが個人で、ネットワークを活かしながら解決しているのです。
どれもビジネスとしては小規模ですし、数がどれだけ増えても大企業のビジネスのようにはならないでしょう。しかし、それこそが今起きている変化のポイントであり、これから世の中が変わっていく方向性を示しているのではないかと思います。
ピラミッド型からネットワーク型へ
19世紀から20世紀半ばあたりまで、産業の中心は製造業で、巨大メーカーを頂点として膨大な製品が供給され、社会を豊かにするという仕組みが機能していました。
しかし、この構造で可能な豊かさは、20世紀後半あたりから徐々に限界に近づいてきました。世の中ではもっとちがった豊かさ、価値が求められるようになってきたのです。その新しい豊かさ、価値を実現するのは、大企業や国家などの巨大な仕組みではなく、消費者や地域住民と直接つながった個々人や彼らによる横のつながり、ネットワークです。
個々人がネットワークを活かして自分たちが必要としているものやサービスを自分たちで作り出し、共有し、広げていくというのが、これからの社会や産業のあり方であると言えるかもしれません。
産業=巨大な組織や装置だった時代が終わり、人それぞれの価値観や求めていることに即して細粒化された産業の時代が始まると言ってもいいでしょう。産業にかぎらず、人や社会、自然が必要としているあらゆることを提供する仕組みが、国家や大企業から個々人とそのネットワークへと細粒化されることで最適化されていくということなのかもしれません。
ジェレミー・リフキンの『限界費用ゼロ社会』も、そういうことが言いたいわけで、その点では僕もこの本に共感します。
敵対・破壊とはちがう革命
ただ、ひとつ忘れてはいけないのは、時代の主役が個々人に移っていっても、国家や大企業がなくなるわけではないということです。
社会福祉から交通から軍事まで世の中の公共的な仕組みを維持しているのは国家や地方自治体ですし、世の中に有り余るほどの製品や使い切れないほどのサービスを提供しているのは大企業です。
個々人がインターネットなどITを活用してコミュニケーションをとったり、自由に動いてビジネスを展開したりできるのも、国や大企業が提供する社会基盤やプラットフォーム的なサービスがあるからです。
国も自治体も大企業も、人や社会が主体的に活動していくための社会基盤として機能し続けるでしょう。
アントニオ・ネグリ/マイケル・ハートの『帝国』は、こうした個々人がグローバルな社会や身近になったテクノロジーを活用して、「帝国」の構造を突き崩していくといった未来の可能性を示唆していますが、それは現実には国家や大企業、資本を崩壊させるといったことにはならないんじゃないかと僕は思います。
19世紀から20世紀にかけて国家や産業が、資本主義や自由主義・民主主義の仕組みを活用して作り出した豊かさを活用しないかぎり、21世紀の社会は継続できないでしょう。
ただ、21世紀の豊かさは19・20世紀の豊かさと同じではありません。
19・20世紀の豊かさが物質的なもので、その豊かさを生み出すために自然を破壊したり、社会や国家のあいだに格差や分断を生んだりしてきたのに対して、21世紀の豊かさは物質そのものではなく、人間の精神や自然といったものが主体になるでしょう。
人類と地球にポジティブな未来があるとしたら、それは古い左翼がめざしたような国家権力や企業・資本を打倒して実現するのではなく、人が必要なものやサービスをできるだけ安く、平等に手に入れたり活用したりできるように国家や企業が社会基盤となる社会であり、個々人が自由にそれらを活用し、お互いを尊重しながら、自然と調和した生き方ができるような社会です。