2年間運用してきたnoteのフォロー数を58→0にしてわかったこと
先日、以下の記事を投稿しました。
そこで、“今後は書くことに集中したいのでフォロー数をゼロにする”とお伝えしたのですが、
ちょっと気づいたことがあったので、今回はそれを書きます。
というか、ゼロにしたつもりなのですが、正確に言うとフォロー数が謎に“1”です。
noteのバグなのか、お前せめて1つくらいフォローしとけよというnoteの粋な計らい(?)なのか…。
すみません、ゼロにすると言いながら私は今誰かをフォローしています。
①フォローを一気に外そうとするとnoteからストップがかかる
さて、フォロー数をゼロにしてわかったこととして、noteの仕様として一気にフォローを外すことができない、ということがあります。
ご紹介した記事の中で書いたように、58から43まで減らしたところでエラーになってしまい、
一時期、フォローを外すことができなくなってしまいました。
数年前に同じようなことを記事に書いた方がいたのですが、そのときは一度にもっと多くの数を外していたようなので、
ここ数年で、さらに制限されるようになった模様です。
おそらく、それだけフォロワー数を稼ぐために、フォローバックをされたらフォローを外すスパム的な人たちが多いのだと思います。
また、その後もエラーにならないように注意しながらフォローを外していたら、
フォローをしましょう!というような画面に急に切り替わり、ちょっとビビりました。
noteの醍醐味と言えば、やっぱりフォロー関係を通じての交流なワケで、
一気にフォロー数を外そうとしている私のような不届き者は、noteにとってはけしからん奴と認識されていると感じました。
(そらそうか)
②片思いフォローという言葉があることを知る
私はあまりSNSをしないのでSNS用語に疎かったのですが、世の中には
“休眠アカウント”
“片思いフォロー”
という言葉があることを知りました。
休眠アカウントはなんとなくわかりますが、片思いフォローはそういう角度から表現するのかと、なんとも言い得て妙な感じがします。
さらに驚いたのは、あなたの片思いフォローを整理します!というビジネスまで存在しているということです。
SNSの“フォロー”という部分だけでビジネスが成り立つぐらい市場が大きく、
フォロー/フォロワーは単なる数字ではない、ということを改めて感じました。
今回、改めてフォローをゼロにしようとした理由を簡単にお話しすると、
自分の気質がSNSに向いていないから
です。
けれど、書きたいことや伝えたいことがたくさんある
という状態で、フォロー数をゼロにすることに決めました。
以前も書きましたが、自分のSNSの使い方はどうしても“重い”ものになってしまい、カジュアルにSNSを運用することができません。
どれくらい重いかというと、フォローして毎回読んでいた方の記事のサムネ画像が2回目だったとき(毎回必ず違う画像だった)
あ、この画像ずいぶん前にも使ってたな
とすぐに気づけるくらい重いです。
いいなと思った記事は未だにほぼすべて覚えています。それは休眠アカウントになってしまった方やスキを押して頂いた方の記事含めです。
誰に頼まれたわけでもないのに、たまに思い出したりもします。
(フォローを外した身分ではありますが、一人ひとりにあなたのあの記事が最高でしたと熱弁できる自信があります←)
…なんか重いですね。自分でも重いと思います。
そこまで頼んでないよって感じなんですが、こればっかりは自分の気質なので、変えようがないものとして開き直ることにしました。
ここから、ちょっとフォローについて深い話になります。
誰かが、
“フォローを外すという行為は、嫌いになったという意味ではない”
と書いていて、すごく共感したことがありました。
人にはエネルギーというものがあり、人によってその感触はさまざまです。
この人のエネルギーは心地いいと感じるものもあれば、
この人のエネルギーはちょっとザラザラしているな、と感じることもあります。
もちろん、そこに良し悪しはありません。
たとえネット上だとしても、言葉に波動は宿ります。
そこで、この人のエネルギーは自分と合うなと思うこともあれば、
この人のエネルギーは合わなくてしんどいな、と感じることもあります。
また、前は合うと思っていたけれど、今はなんだか合わないなと感じることもあります。
要するに、いつでも自分の感覚を基準にして決めていいのです。
合わないことが悪いこと
合わない自分が間違っている
というわけではないのです。
ただ、片思いフォローという言葉があるように、フォローする/されるという行為は、特別なものがあります。
まだnoteを始めたばかりのころ、私の記事を読んでフォローとコメントをしてくれた方がいたのですが
フォローとコメントのお礼を返信したところ、フォローバックをしなかったことが不服だったのか、その後すぐフォローを外されたことがありました。
そのときはだいぶモヤモヤしましたが、私自身も前回の記事で、
と書いたのですが、まさしくこの方と同じような心理だったように思います。
つまり、片思いフォローという言葉があるように、
自分だけがフォローをする行為が、“相手が上で自分が下”という意味合いとしてとらえていると、
相手がフォローバックしないことに対して、バカにされたり見下されていると感じることがあります。
自分だけフォローしている状態が、対等じゃないと感じられてしまうんですね。
一方的にフォローしている状態が悲しい。
相手からもフォローしてもらいたい。
自分だけが好きなことが悔しい。
そう思うのは当然のことです。
ただ、フォローしている状態が“相手が上で自分が下”ととらえるのは、危険な考え方です。
なぜならば、
“相手からのフォローバックがないと自分には価値がない”
と自分に言っているようなものだからです。
こんなことを書きながら、私はずっとこのマインドを引きずっていました。
この人素敵だなと思った人から好かれたい
自分が気に入った人に好かれたい
という心理は、当たり前の感情です。
何が問題かというと、“この人に好かれる自分が好き”と、自分に対して条件をつけてしまっているということです。
本来は、誰に認められなくても一人ひとりが完璧な存在なのです。
誰に愛されようと好かれようと関係なく、私たちは一人ひとりがもうすでに素晴らしい存在なのです。
“好きな人に好かれたから、自分は愛される”
“好きな人に好かれたから、自分は存在価値がある”
ではないのです。
もしもフォロー関係でお悩みの方がいたら、“フォローされてもされなくても、自分は素晴らしい存在である”ということを思い出してください。
何より私自身が、ずっとこのフォロー関係で悩んできました。
ただ今になって言えることは、フォローされることとあなた自身の価値は、なんら関係ないということです。
いいなと思ってフォローした人にフォローバックされたら、嬉しい。
けれど、フォローバックされなくても、気にしない。
なぜなら、私は誰に愛されなくても素晴らしく完璧な存在だから。
それが事実なのです。
気に入ったからフォローをする。
やっぱりなんか違ったと思ったら、フォローは外す。
そこに罪悪感を持つ必要もない。
すべてはあなたが基準なのです。
あなたの世界はあなたがルールなのです。好きに自由に決めていっていいのです。
どうかフォローする/されるにとらわれず、あなたの心地いいと思った方法を選択していってください。
最後はちょっと思うところがあって、熱弁してしまいました。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました😊