自死遺族として改めて自殺について思うこと
記事を書こうかどうか迷っていましたが、定期的に自死遺族についての記事にスキがつくことや、
有名人の自殺が絶えないことから、自分の中でいろいろと感じることがあったので、思ったことを書きます。
今回、記事を書こうと思ったきっかけとなったツイートがあります。
私は12年前に姉を自死で亡くしました。
そして12年経って思うのは、自死を選ぶ人ほど、強く生きたいと願っていたのではないか、ということです。
生きることに夢や希望を持ち期待すればするほど、それが叶わなかったときの絶望感は計り知れません。
“自殺する人は「強い人」”というツイートに心から共感したのは、自殺を選ぶ人は真面目で責任感が強すぎると思ったからです。
引き受けなくてもいい責任を引き受け、背負わなくていい社会や他者の期待を背負ってしまうのです。
そして、そんな生活を続けているうちに心身ともに疲れ果て、いつしか“死ぬこと”が、
自分への戒め
他者や社会に対する償い
うまく生きられないことへの慰め
といった意味となり、それが自殺の引き金となってしまうのです。
この世界は病んでいます。
だからといって、その“病み”を引き受けて生きる必要はありません。
同じように病んでしまってはいけないのです。
この世界が病んでいるからといって、あなたが病む必要はまったくないし、好き勝手に生きていいんです。
自分の存在は人に迷惑をかける
自分なんかが生きていたって価値がない
などと考え自殺を選ぶことは、責任感のある行動のようで、実はたくさんの人を傷つける無責任な行動でしかありません。
生きることに対して過剰に責任感を持つことは、無責任な結果にしかならないのです。
しかし、希死念慮を抱えているときというのは、正常な判断ができません。
どうしようもなく死にたいときというのは、“死ぬこと”がいとも簡単にポジティブな意味合いとなってしまうのです。
なぜ人は自死を選ぶのか?
その問いの一つの答えとして思うのは、死にたいと思ってはいけないという考えが背景にあるのではないかということです。
自死遺族として有名人の訃報を聞くたびに思うのは、人を自殺に追い込む最大の凶器となるのは、
“死にたいと思ってはいけないという自分自身の声”だということです。
死にたいと思ってもいいんですよ。
死にたいと思っていいんです。
人間、死にたくなるときなんか、いくらでもあります。
そもそも人間という存在自体が、肉体に魂という異質なものが入っている状態なのです。
そんな矛盾を抱えた状態では、“ここ(肉体)から抜け出したい、ラクになりたい、自由になりたい”と思って、当然なのです。
ただ大事なのは、死にたいと思うほどのつらい経験を自分がしたということを、自分の中できちんと認めてあげるということなのです。
死にたいと思ってはいけない
死にたいと思う自分は人間失格だ
では、決してないのです。
死にたいと思うことは、罪ではありません。
裏を返せば、それだけ
自分らしく生きたい
自分を愛したい
ということでもあるのです。
死にたいと思う自分も、生きていていいんです。
死にたいと思う自分にも生きる権利を与えてあげることで、生きる希望が湧いてきます。やがて、そんな自分のままで生きようと思えてきます。
私自身はこれまでに、死にたいと思ったことはありません。
ただ自死遺族として、“死にたくなったらどうしよう”という、得体のしれない恐怖をずっと抱えています。
自死によってもたらされる苦しみやつらさを、痛いほど経験したからです。
どんな人にも、他人には打ち明けられない孤独や闇が存在しています。
しかし、自分の中にいていいよとその存在を認めてあげるだけで、生きやすさはだいぶ違ってきます。
自殺は、決して遠い次元の話ではありません。
自死遺族として思うのは、自殺する人としない人の違いはほとんどないということです。
自殺したタイミングも、ほんの一瞬、目を離したすきに逝ってしまった。そんな感じなのです。
姉の上司だった人が家に駆け付けてきてくれたときに、
「たぶん本人、死んだことすらわかってないよ」
と言っていたのが印象的だったのですが、まさしくそんな感覚だと思うのです。
ふと思い立って、死んでしまった。まるで、魔が差したように。
死ぬことは特別なことじゃありません。誰にでも希死念慮は起り得るし、タイミングさえ合えば、人は簡単に死んでしまうのです。
だからこそ、死にたいと思う自分を大切にしなければいけないのです。
死にたいと思う気持ちを抑圧すればするほど、その反動で、
昨日まで普通に生きていた人が、近所のコンビニに行ってくるのと同じような感覚で自殺してしまいます。
死にたいと思っている方は、どうかそんな自分も自分の中に存在していていいよと、優しく声をかけてあげてください。
死にたいと思うということは、自分を愛したいということなのだと、どうか自分の心を優しく見つめてあげてください。
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