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静かなる追憶

人はそれぞれの記憶を持つ。
個人的には楽しかった思い出よりも、辛かった記憶の方が鮮明に脳裏を駆け巡る時がある。

昔に比べると昔の記憶は日に日に薄れ、今を重視する様になった。
恐らく、こういった事に直結できたのは過去に振り回されなくなった証なのかもしれない。

で、追憶という言葉に相応しい映画を最近鑑賞した。
邦題「男と女 人生最良の日々」だ。

ご存知の方もおられるだろう。
かつて今から数えて約53年ほど前に上映された「男と女」のその後を描いた作品である。

♪ダバダバダ〜♪ダバダバダ〜♪でお馴染みフランシス・レイの楽曲が有名な映画である。

簡単なあらすじを言うと、寄宿学校へ息子を預けたジャン=ルイは、同じく娘を預けたアンヌが子供を通じて交友を結ぶところから物語が発展する。

しかし、それぞれ苦悩を抱えていた。
アンヌは先立たれた夫の影が常に存在し、現状を受け入れる事をとても恐れていた。
一方のジャン=ルイは、過去よりも今に対し受け入れる余裕がなかった。
二人の関係に一瞬溝が深まるものの、冷静なジャン=ルイはアンヌに必死に寄り添おうと思うのだが、お互いの価値観が空回りし、同じ人生を歩む事ができなかった…

その後の展開が今回紹介する作品である。

ジャン=ルイは心身ともに衰え、息子のアントワーヌは一人で面倒を見る事が不可能だった為、大いに悩みながらも父であるジャン=ルイを養護施設に預ける。

痴呆が進み最近の出来事を全く理解できないジャン=ルイだったが、唯一鮮明に覚えていた事がアンヌとの思い出だった。

この先ジャン=ルイの寿命は短いだろうと感じたアントワーヌはアンヌを探す事を決意する。

その後のアンヌだが、孫に恵まれ自身の店を構え平穏な日々を過ごしていた。
突然アントワーヌがアンヌと娘のフランソワーズの前に立ちはだかると、二人はおぼろげな記憶が交差しながらも幼かった頃のアントワーヌ記憶が現れる。

早速アントワーヌは父であるジャン=ルイの現状をアンヌに伝える。

しかし、あれからかなりの時間が経過する。
戸惑うアンヌに対しアントワーヌは父がどれだけ今後生き抜くのかは判らないので、一目だけでも会ってくれと頼み込む。

アンヌは約束を守りジャン=ルイの元へ訪れる。
施設内の人間と交わる事なく、常に一人で決まった場所でジャン=ルイは寛ぎながら頭に詰まった詩を引用するのだった。

そしてアンヌはジャン=ルイに歩み寄る。
隣に座ってよろしいかと尋ねる。

普段は真っ向から他人の目を合わせないジャン=ルイだったが、突然の訪問者に懐かしさを覚える。

いくつか二人は対話を重ねると、気難しいジャン=ルイはやや心の窓を開放し、目の前の女性がアンヌとは知らずに受け入れるのだ。

この作品はジャン=ルイの視線で回想した映像と、かつて描かれた「男と女」の映像が交互に現れ二人が共にした日々を取り戻すかのように断片的な記憶がゆっくりと流れ、新たな時を刻み続ける仕組みとなっている。

二人は懐かしさを感じつつも、今とは違う苦い過去を受け入れなくてはならない。
冒頭で説明した通り、アンヌは過去への精算に怯えていた。
ジャン=ルイはアンヌを想いつつも、自身で補えない彼女に対する辛さと虚しさに行き場のない感情を背負いながら、アンヌの元を去った事に後悔を覚える。

それからの二人は今なのだ。

因みに監督のクロード・ルルーシュは本作品のタイトルに「人生最良の日々」と記載したのはビクトル・ユゴーの「この言葉が私の人生を導いた」を引用したそうだ。
そのこころは、過去でも未来でもなく、現在を愛することに焦点を当てたのだろう。
今を意識してこそ過去も未来と直結した結論がこの作品なのだろう。
そういったこともあり、監督は過去の作品である「男と女」以上に、今の作品の出来栄えに誇りを感じているようだ。
そう考えると、愛するものは常に無限な状態で生かされているのかもしれない…

などと哲学的な思いを残しながらこの作品と向き合った気がする。

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