【資本主義】脱コーヒーを1か月やってみた
皆さんこんばんは。
大体月に1度のペースでの更新ですが、それでも私の拙いnoteを読んでくださる方が少しづつ増えてきています。
先月の「卵で考える命について最近の学び」は想像以上のlikeがついて驚きました。月に2度の更新をしたいと思いつつ、出来ていない。書きたいテーマは沢山あるんです。書けていないだけなんですよね。
コーヒーとの付き合い方(これまで)
よくある質問。
「貴方はコーヒー派?紅茶派?」
私は断然コーヒー派。
こちらもよくある質問。
「コーヒーはブラック?ミルク?」
私はブラックまたは豆乳派。
子どもの頃からコーヒー牛乳は飲んでいたけど、正確にコーヒーを飲み出したのは大学生の頃から。カフェ巡りにハマり、カフェラテを映えたコーヒーカップと共に写真を撮る。ブラックコーヒーは父が休日にミルを挽いて飲ましてくれるがその頃はちょっとまだ微妙。
そんなスタートから段々と豆の味が分かるようになり、バリスタの話すスペシャルティコーヒーの説明に耳を傾ける様になり。社会人になった今ではブラックコーヒーを午後のお供にする様になった。
これはよくあるコーヒーを好きになる流れですよね。
私がベジタリアンになって以降はカフェラテはソイラテになり、豆の生産地に関心を持つ様になって以降はフェアトレードの豆を購入。
コーヒーマニアの友人のおすすめのカフェに行く事もしばしば。
きっかけ
そんなある日CACTUS TOKYOの代表熊谷と仕事をしている時にとある事を問われた。
「ちはるちゃんはコーヒーは資本主義的な飲み物だと思う?」
この質問への答えは迷わずyesだった。
その後2人でどの様な観点で資本主義的なのか話し合った。それが以下3点である。
要因①
コーヒー豆を生産に行われる熱帯林の伐採。コーヒー豆の安価な取引による途上国の不適切な労働環境。これらは資本主義が生み出したコーヒーにおける悪の副産物である。
要因②
コーヒーに含まれるカフェインが眠気を覚まし集中力を向上させるという一般的な認識がある。この点について、右肩上がりの成長や成果を求める資本主義の理論が人々の行動指針を作為的に定めてきたと考えうる。
要因③
缶コーヒー、コンビニエンスストアの100円コーヒーから1杯1000円台もする嗜好品としてのスペシャルティコーヒーまでの価格と質の幅が存在するコーヒー。資本主義社会で生きる人々の購買行動で欲求を満たすツールに
コーヒーがなり得ている。
要因①〜③の中でどの程度コーヒーにおける資本主義的な要素を感じるかは属人的なものだけども、少なくとも私の周囲で①〜③のどれかを意識してコーヒーを消費している人々は見受けられると感じました。
脱1か月コーヒーチャレンジの始まり
これらの事を近場の友人と話した後に以下の様なツイートをしました。
すると友人からリプが返ってきました。
「実際自分がどうなのか1ヶ月コーヒー絶ってみる。」
正直、この返事を見るまで自分がまさか人体実験をするとは思っていませんでしたが、親しい友人からの誘いだったので腹を括りました。
1ヶ月コーヒーを絶ってみて、私にとってどの観点でコーヒーが資本主義的飲み物になっているか検討することにしました。
コーヒーと向き合う1ヶ月
結局のところコーヒーを完全に絶ったのは前半2週間になりました。
前半2週間にあった事を記します。
毎日1杯飲んでいたコーヒーを突然辞めたので勿論初めは欲求を抑えられているという感覚がありました。特にそれを感じるのが友人とカフェタイム。せっかく選び抜かれたコーヒー豆が目の前にあるのに飲めないという事実はなんとも受け入れ難いものでした。
ですが自宅にいる時のコーヒーへの要求は実際そうでもなく、コーヒーというカフェインを積極的に摂らずとも作業は集中すれば捗ります。どうしても眠いと感じたら身体を伸ばし、その上で紅茶や緑茶を嗜む。それで良いという事に気づきました。
これらの経験より後半2週間は外出時のカフェタイムを楽しむ為のコーヒーは飲んで良いとしました。
相変わらず自宅では飲まずとも何とかなりましたし、カフェタイムでの時間は前半2週間とは段違いで充実したものです。
3軸あるコーヒーへの見え方
残念ながら要因①は私ひとりでコントロール出来る問題ではなく、強いて言えばコーヒー豆がフェアトレード・有機農法など認証が取れている物を選ぶ事しかできません。
ですがこの1ヶ月の体験を通して要因②〜③は私の意図的なコントロールで明らかな結果が出ました。
これらを踏まえて以下の3軸でコーヒーをどう捉えているのか、お読みの皆さまもお考えください。
軸A:カフェインの感度が鋭いか。否か。
軸B:自身の体調が寝不足に値するか。否か。
軸C:コーヒーを嗜好品として見ているか。否か。
私の場合以下の回答となります。
軸A:カフェインへの感度は鈍い。
軸B:ほとんどの場合寝不足ではない。
軸C:コーヒーは嗜好品である。
この結果より、私の場合コーヒーにおける集中力向上の効果よりリラックス効果が優位と判明し、カフェでの空間や時間を楽しむツールが私にとって最適であると判明しました。
一方で、カフェインへの感度が鈍い為、作業効率を上げる為のエナジードリンクの様なツールとしてのコーヒーは向かないとも判明しました。
コーヒーとの付き合い方(これから)
今回、話の中心に要素①が殆ど上がらなかったのは反省すべき事ですが、この1ヶ月の経験を通してコーヒーに限らず普段資本主義社会で生きる者としての在り方を考える良い機会となりました。
話が少し変わりますが、最近「成長から生み出される幸せ」ではなく「幸せから生み出される成長」を自分のものにしたいと思ってたので、後半2週間のコーヒーとの付き合い方は今後も継続して行くと、その上で得られるものがあると期待しています。
この実験はあくまで個人の体質に依存しますので、もしご興味を持たれた方がいらっしゃいましたら、様々な方法でコーヒーとの向き合い方を経験してみてください。
余談と疑問
この1ヶ月の体験をもうすぐ80歳になる祖母へ話す機会がありました。祖母のコーヒーとの初めの出会いは学生時代の喫茶店だったと言います。その頃職場ではお茶出しの文化もあり、あえて仕事中にコーヒーを飲む様な人はいなかったと記憶していました。
またカフェインが集中力向上の効果がある事もある時から知っていたと発言しています。
この話を聞いて出てきた疑問は以下です。
・いつからカフェインの集中力向上の効果は日本で広く認知される様になったのか?
・コーヒーを消費的な存在にしたものは何だったのか?
もしこれをお読みでご存じの方がいらっしゃったらコメントください。
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