女として生きること。自分の中の女を見つめること。
本当に、自分の中の女という存在が許せなくなる瞬間が定期的にやってきます。
たとえば、生理で苦しい時とか、セクハラされた時とか、意に沿わないセックスをした時とか。
自分の事を、とにかく汚い、惨めなものだと強く感じ、どうしようも無く落ち込んでいきます。
いい加減、人生も終わりに近いのだから、こんな事で悩むのは嫌なのですが。
あまり、こういうテイストのマンガは読まないのですが、どうしても惹かれて買った本。
恋愛とセックス、人を好きになることの難しさを描いたマンガ。
自分の中の女を認めたって、誰かを素直に好きになったって、結局は苦しいんだな、と思いながら読む本。
同じ作者の本。
ファザーファッカーとか読んだけど、いまいちピンとこなくて、なんとなく古本屋で立ち読みした本。
色々、言われているし、確かに連載が長くなるにつれ、絵も話も破綻してきて辛いけど、11巻くらいまでは頑張って買いました。
産む性、子供がいながらの恋愛、結婚、離婚。
この人は、いろんな目にあってきたけれど、自分の中の女を否定してないようで、それが羨ましい。
出産がらみで。
自分が妊娠した時に買った本です。
明るくて、苦労も笑い飛ばしている感じが好きでしたが、図書館で読んだ、愛はめんどくさいで、ああ、やっぱりなあ、と舞台裏を見た気がして、少し複雑でした。
しかし、母は強いな。
女から、母にシフトしてしまえば、楽になれるのかな。今更無理ですが。
やはり、女性の性を書いたと言ったら、源氏物語。
私は源氏物語は、誰の訳も読んだことのない不真面目な人ですが、やっぱり子供の頃からあさきゆめみしを読んで育ったので、とてと馴染み深い気はしてます。
紫の上の強烈な孤独や、六条のの御息所の狂気などに、子供の頃は目を奪われましたが、大人になると、葵の上の気丈に見せるしかなかった悲しいプライド、女三宮の、頼りなく寄るべない心地など、胸肉迫って切ないです。
瀬戸内寂聴の、女の目線から描いた、源氏物語と一角。
主要な人物だけでなく、おつきの女房とか、意外な人からの目線で描かれた女たちがいて、女の業、光源氏の罪深さを感じます。
恋に生き、恋に殉じようとする様は、華やかだけれど、うすら暗い。
誰の中にも、こんな鬼はいるのだろか、と考えさせられます。
これもまた、女の業を描いたマンガ。
吉田秋生は大好きで、ほとんどの作品を読みましたが、母の蔵書だったので、母が処分したものもあり、その中で買い直したもの。
人気者である小夜子の、裏の顔とは…といったミステリー風の作品で、それでいて、女としての苦悩や、少女の惑いがよく描かれてます。
女であることを苦しむ主人公に、女であることを武器に1人戦う小夜子。
櫻の園や、夢見る時を過ぎても、など、女とは、という視点からの作品が多くて、また、響く作品が多い作者だと思います。
本当に珍しく、ジャケ買いした、恋愛小説。
ジャケ買い自体は珍しくないのですが、恋愛物を買うことがまずないので、本当にどういう心境だったのか…
表題作の中の、「私達もうすぐ墜落するわ」という台詞が印象に残った、悲しい、作品たち。
同じ作者の、結婚生活のエッセイ。
江國香織は、この2冊しか読んでないけれどなんとなく、あっさりして、少し清涼感のある淋しさがあるなあと。
この中の、よその女がとても好き。
私は人妻になったことはないけれど、長く付き合った人はいて、たまによくこう思っていたな。
とても好きな、青木景子のGIRLS。
3人の女の子たちを視点に、連作になってます。
はじめて読んだ時は10代で、のり子に一番共感したけれど、成長するにつれ、志穂が好きに。
女の子というのは、とても壊れやすい、不安定な生き物だなと、読むたびに思います。
図書館で借りて読んで、買い直した本。
食と性について描かれた短編集。
何気ない食べ物が本当に美味しそう。かつ、やはり性は一筋縄ではいかないのだな、感じる本です。
ミンチ・ガールが好きかな。
しかし、食とセックスの取り合わせってすごいな。
そんなに露骨でないから気に入ってます。
母の定期購入の雑誌で読んで、集め出したマンガ。
あまり得意な絵ではないけれど、とてつもなく魅力的。
まるで少年のようなエキューと、生まれながらにして女王になることが定められていたタニア、2人の女の子が主人公のお話。
きわどいジョークと他愛もない女子トークの合間に、ハッとするほど真剣さが混じって、読んでいる者の気持ちを離しません。
エキューが初潮を迎えるエピソードと、タニアの母親のお話が好きかな。
でもどの場面も好きです。
やはり、女とは、と問い詰めると、出てくるなー、ベルばら。
初版本なので、私と同い年です。
もう、ボロボロで触ると壊れそうだけれど、やはり読むなら文庫や愛蔵版でなく、これでなくては。
女でありながら男として育てられオスカルの苦悩、平凡な女でありたかったマリー・アントワネットの悲しみ。
この作者のオルフェウスの窓にも、やはり男性として生きることを強要された少女が出てきます。
おにいさまへ…、妖子など、好きな作品は多いですが、やはり、この2作品は特別です。
女に生まれてよかったと、思えることは本当に少なく、だからといって、男になりたいわけではないので、生涯アンバランスの精神状態のまま、生きていくしかないのかなと、諦めの気持ちでいます。
閉経して、肉体的に女でなくなったら、なにか変わるのでしょうか。
実際、子供をもうけていれば、女であることを捨て去って、母になってしまえば楽だったのか思うこともあります。
でも、母にだって苦しみはあるのですから、解決にはならなかったしょう。
自分の中の女に苦しんだ日は、こんな作品群を読んで、苦しみは私だけのものではないと思い、眠ります。