あたしがあたしであり続けるために選んだこと/ミイコさんへ、コメントの返事です。
「私小説・【これが愛というのなら】」
【これが愛というのなら】を、どこまで noteに書いて、どこからをKindle本書き下ろしにするか悩む。
というか、この話の着地点をどこにするか、まだ私は決めていないのだ。
だって、望とは今も親友同士だし。
話は終わってないのだ。
そして、【これが愛というのなら】を書くために、残っている限りの昔の日記や、古いガラケーのメールを読み返し、思った。
「『感情ジェットコースター』だけでなく、『人生ジェットコースター』か?」
【これが愛というのなら】を出版するとき、私の2冊目の本で書いたようにこう書くだろう。
「これは実話をもとにしたフィクションです」
でも、残念なことにこれは実話だ。前の本もだけど。
「私小説」を書くことを選んだのは、「どこからが嘘か本当かわからないから」って言うのもある。
関係者全員、本を読むようなタイプでないが、万が一読まれたときに、
「え?フィクションですがなにか?」
って逃げ道を自分のために用意していたい。
あ、名前は全て仮名です。
思い出せること思い出せないこと
「解離性記憶障害」という、記憶の欠落や記憶のないまま行動する私であるので、自分で書き残している以上の出来事が、これまでもあったようだ。
北は
「情報は出せる。でも、それが君のためとは思えない」
と話してくれない。
北と知り合って17年。
私はもうすぐ51歳で、「解離性記憶障害」らしい症状が出たのは、こないだ適当に作った年表にとはずれるが、「2歳」くらいだ(年表面倒になったのだ。毎年どころか毎月毎週なにかが起こる)。
身体の中に魂がちゃんといてくれず、空中からお絵かきをしている自分を眺めている、というのが、人生最初の記憶である。
こういう事は未だにあるが、それを「解離性障害」の症状のひとつと知ったのは5年くらい前。
「夢見がちでぼんやりした子供だった」
そりゃそうだ。
身体に心が入ってないのだから。
だから、北の知っていることだけでは補完出来ない「私の歴史」もあるだろう。
覚えている限り、書いて残していくしかない。
売れる話と売れない話
前にみらっちさんが(休眠中に引用して申し訳ありません)、「売れる話」と「自分でなければ書けない話」について記事にされていた。
その時、私は迷わず、「自分でなければ書けない話」を書く、を選んだ。
それが、創作か、エッセイかも、あの時は見えてなかったのが、今は「私小説を書く」私でいたいのだ、と言い切れる。
実は2冊目の本に対して、私が信頼している方に「もっとセンセーショナルに病気のことを全面に出したタイトルや売り方をすれば良かったのに」と言われた。
実際、そう思いはした。
しかし、私はこれからずっと「私小説」という形で、「長い長い自分史」を書いていくだろう。
書かずにはいられないのだから。
その長い旅の最初が「一番の目玉」が来てしまうというのは、どうかなと思った。
「私小説家」でありつつ、「色々な物語を読み続けてきた読書俳人」としては、クライマックスにやはり重きを置きたいと思ったのだ。
「北から800万円奪った私」ってだけでも、かなりびっくりな内容と思うしね。
望からも100万、敏也からも100万。
実はこのほかに、少額訴訟を起こされた「知らない人たち」がいる。
北がすぐに立て替えて払ってしまい、私はよく分からないまま全ては終わった。
このことは、望も敏也も知っている。
そして、未だに親友をしてくれている。
…これって、現代の怪談話ではないのでは?と、密かに思っている。
話がずれたが、私は私のやり方でしか書けないのだ。
売れる売れないは、まだ先の話だと思う。
ミイコさんへ
長い長いコメントの返事になってしまいましたが、私は【これが愛というのなら】を書いて、辛くも苦しくもありません。
多少混乱する事はありますが、私の人生はほとんど「混乱」しておりますので、気になさらないでください。
むしろ、【これが愛というのなら】を書くことで、「私小説」を書く自分という明確な目標が出来ました。
これまでも「書き続けたい」「書いて暮らしたい」ははっきりしていましたが、「じゃあ、何を書くの?」とそこがはっきりしていなかったのです。
本当に何人かの方にコメントを頂いたように、「鬼畜」が揃った物語です。
これが実話であり、また、今の自分の力量では書き切れないなと思った所は、むしろ削っていて、これなのです。
望に
「今、理恵の話を書いているんだ」
と話したら、心配されました。
私の気持ちが壊れてしまうんじゃないかと。
そのくせ、自分がネタになっていることは笑って喜んでくれます。
「『望』ちゃん、今日も元気?」
そんな親友、北が支えてくれています。
また、私は住まいをけっこう隠していませんが、この県の中部は、陰湿です。
今も住んでいる弟や、北ですら、キツいと場所、と言ってます。
私は県西部に越して、とても幸せに過ごしてます。
ここは商人の街として成り立ってきたので、「言葉はキツいが後腐れのない」人が多いようです。
私のご近所さんは「言葉もキツくなく、穏やかで控えめで、でも何かあったら助けてくれる」人ばかりです。
こんな風に書いたら、県中部に住む人から苦情が来そうですが。
自分の夢から逃げず、自分と向き合うための、大切な第一作になるでしょう。
【これが愛というのなら】を、ミイコさんが辛いならどうぞ読むのをやめて下さいね。
本当に、「私の生きる道」を見つけるきっかけを作って下さって、ありがとうございます。
2023/10/02 16:48