省エネのすゝめ
あまり人に自慢できることもないが、省エネで生きてきたことはほかの人より多いのではないか。
小学生時代は 「置き勉」 と呼ばれる 「教科書を学校に置きっぱなしにする」 ことが許されなかった。これが本当に嫌だった。
とにかく 「持って帰って持ってくる」 という無駄を極端に嫌ったため、もう持って帰らなくていいように宿題は授業中に終らせていた。
ランドセルは重いのだ。そこにガッチリしたマグネット付きの筆箱 (今も需要があるのだろうか) を入れただけでもかなりの重さになる。
肩が痛くてウンザリするではないか。私はいかり肩なのだ。
多分なで肩の人より食い込んでいるに違いない。
前にも書いたかもしれないが、綱引きは手に綱の匂いが付着して長い間取れなかったり、マメができたりして嫌いだったため、「引っ張るフリ」 を途中からするようになった。
みんな必死に頑張っている (?) せいか、ギチギチで視界が狭くなるせいかは分らないが、バレたことはなかった。
「こんなの私ひとり力入れなくても/抜いても変らなくない?」
と思ったのだ。
そんなこと言うと 「こんなの私の一票でも変らなくない?」 という思考を持っているように思われそうだが、そこは変ることがあることは理解している。
だって単純に数で決まるわけだし、そもそも 「参加したい」 とか 「勝たせたい人がいる」 と思って参加しているのだ。だから同じ思想にはならない。
「労力を払った結果に得るもの」 で力を抜くところと入れるところを選択しているのだ。
綱引きに、運動会に勝ったからといってなんだというのだ。
負けようが手が臭くならない方がマシである。
私の一日が憂鬱に過ぎるではないか。
マメは何週間か残るだろう。手の皮が破けたこともあるような気がする。まったくもって 「骨折り損のくたびれもうけ」 という言葉がピッタリだ。
「誰のせいで負けたか明確にならない競技」 など、玉入れさえあれば充分だ。
ちなみに 「みんな頑張っているのに!」 と腹を立てる人もいるかもしれないが、逆に集団行動で (自分の意思じゃない) 作業を強制させられている人がサボっているのを目撃しても、私は 「みんな頑張っているのに!」 とは思わない。
他者に対して寛容にもなれるのだ。
高校では体育祭をサボった。炎天下の中、体操服で好きでもないスポーツをするなど、自分の意思に反し過ぎる。
高校の体育祭はほぼ 「出会いの場」 と化していたため (希望者だけが出場する男女混合のダンスがある)、ダンス参加者とよっぽどスポーツができる人以外は出場する必要がない。
私がいなかったことにも誰も気が付かなかったのではないか。
なのにしつこく 「綱引き」 の競技は高校でもおこなわれていた。
玉入れの道具諸々より縄の方が安価だろうし、準備も保管も簡単なのだろう。
縄が一本あるだけで、人が寄ってたかって引っ張りあって勝敗を決められるのだ。
そう考えたらジャンケンって凄いなぁ。
私の高校は生徒数が多かったため、勝ち抜きジャンケン大会を開催する方が楽しそうだ。
だからといってそれだけのために体育祭に行かないが。
以前、私の好きな漫画家が 「ジャンケンに 50 連勝するには」 という内容のコラムで、「それだけの人数を用意して勝ち抜き戦をおこなえば、必然的に 50 連勝してしまう人が出る」 という内容のことを書いていたように思うのだが、それがすごい数だった。
単純に 2 の 50 乗でいいのだろうか。
1,125,899,906,842,624 人
らしい。
いちばん高い位 (くらい) は 「千兆」 で合っているのか? 京と垓の次はもう分らないので、兆で済んでよかった (^^;)
調べたところでは世界の人口は 80 億ちょいらしい。
ジャンケンできない境遇にある人を差し引きしても、理論上は 30 ~ 31 連勝くらいまではイケそうである。
あとは (大会中に) 負けた経験がある人が、負けた経験がない人と繰り返しジャンケンをおこない、負けたらそこでカウント終り。
というルールにすれば、最高記録は出せるだろう。
ただ、誰がジャッジ & 記録を管理するんだよ、という話だけれど。
かなり話が逸れてしまった。
私は省エネしたいため、無論外に出ることが嫌いである。
外出云々よりもその 「準備」 が煩わしいことこの上ない。
風呂に入る
化粧をする
着替える
家にいたらこの 3 点セットから解放されるのである。
だから Amazon 様様だし (たこ焼き器も翌日の 9:00 A.M. に届いた🥺)、家には色んな食材や調味料がある。
先日もどーっしてもわらび餅食べたいなーって思って、大名古屋ビルヂングのツバメヤで売っているわらび餅をあと 2 日後には買う予定だったけれども、どーっしても我慢できなくて家を漁っていたらわらび餅粉が出てきた。
過去の私よ、偉い! と思った。
作り過ぎて冷蔵庫に余りを残したまま出かけたが、当然のごとくツバメヤのわらび餅の方が断然おいしかった。
私はわらび餅がとり立てて好きなのではなく、ツバメヤとハト小路、あとこ寿々のわらび餅が好きなのだと思う。
しかし都度岐阜 (または名古屋)、鎌倉に出かけるわけにはいかないではないか。
したがって自分で作るわらび餅でガマンしているのだ。
中学の同級生が普通に平日フルタイム週 5 で働いているのに、「土曜に習い事を始めた」 とか 「30 分だけのフィットネスに通ってる」 とか言うのにはマメ & エネルギッシュ過ぎて驚愕した。
30 分のフィットネスのためだけに、1 時間半かけて準備するなどとてもできない (><) なんてマメなのだろう。
私は働いていないときはそれこそウォーキングに行ったりヨガなどしたりしていたが、もう今はひたすら家にこもっている。
たま~に首のリンパが謎に腫れ上がり、病院に行くこともあるが 「運動はしています (か?)……」 という質問に被せるように 「していません!」 と即答している。
むしろここで即答するために運動していないといっても過言ではないくらいだ。
毎日 350g の野菜を…… とかも言うけれど、私は白飯を 1 回 120g 食べている。そうすると白飯と同じだけ野菜を食べるってこと?
と思いあたって、それは食べ過ぎではないかと思う。
そりゃー調理したら水分抜けて体積も小さくなるけれど。
なんだか普通に生きるだけでやらなきゃいけないこと多すぎて、省エネしないと人生が回っていかない気がしているのは私だけだろうか……。
なんだか取り留めもなくなってきたが、私は言葉というか発音も省エネで生きている。
私は関西人ではないが、「お母さん」 → 「おかん」 と呼んでいる。
素晴らしい省エネ言葉だ。
「おじさん」 → 「おっさん」 とか。
「母」 や 「ママ」 の方が短いけれども、実際に発音してみると 「おかん」 の方がラクなことがお分りいただけると思う。
特に 「ママ」 なんて 2 回も口を閉じないと発音できないのだ。
最近はこの省エネを生かし、「省エネ言葉辞典を作ればいいのではないか?」 と思うようになった。
つまり、標準語が 「お母さん」 だとして、その最も省エネな言葉は 「おかん」 となる。そして 「おかん」 が何なのか、という説明も載せる。
お母さん ―― 「おかん」。大阪の方言で 「お母さん」 の意。
みたいな感じだ。
しかし言葉とは飽くまで 「他者に何かを伝えるためのツール」 であるからして、単純に 「発音が省エネだから」 という理由で相手の脳内にない単語を連発したら、まったく相手に伝わらず省エネどころか膨大なエネルギーと時間を遣って説明しなければいけなくなる…… というのは本末転倒である。
たとえば私は 「ばんそうこう」 と呼ぶが、北海道の 「サビオ」、九州の 「リバテープ」 などの方が省エネに思えても、他者に説明なく通じるとは思わない。
「おかん」 のように、方言でもそれなりの市民権を得ていなければならない。
しかしこんなふうに思ってもいかんせん省エネを続行したいので、編纂する気にならない。
そもそも編纂できるほどの知識もないので、情報収集するところから始めなければいけない。
違う違う、省エネで生きていきたいのだ。
しかしここに書けば、もしかしたら同級生のようにマメでエネルギッシュかつ博識な人が代わりに編纂してくれるかもしれない……。
と、省エネなりに労力を払って書いた次第である。
他力本願で恐縮ですがどうぞよろしくお願いします m(_ _)m
出版された暁には、ありがたく購入させていただきます m(_ _)m