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【褒められ上手になろう】

今日は『褒められ上手になろう』
についてお伝えしていきます。

自分の過去を思い返してみると
褒められる事があまり無く
学校の先生や剣道の師範からは
怒鳴られている事が多かったです。

メンタルを鍛える意味では
良かったと思っています。


また鍼灸整骨院業界や剣道で
物理的な指導に耐え抜いたので
タフさは身に付いています。

但し折檻や体罰は多くの場合
心身共に深い傷を負います。

ゆえに慎む事です。


しかし
度胸が据わるのと引き換えに
自分自身と他者に対して
殆ど褒めなくなりました。

それが社会人になって
しみじみと痛感しました。


人に褒められる事は
大体幼少期頃くらいまでで
学生時代以降になると
怒られる割合が高くなります。

褒められるよりも
怒られる事が増える
背景として
「学校教育」があります。


学校という所は基本
「人肉ロボット養成所」

あるいは
「子供の刑務所(少年院)」

のような集団洗脳機関です。

※あくまで私の個人的見解です。

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なぜなら

生徒全員が同じ
「カリキュラム」

「時間」

「場所」

で言われた事を言われた通り
着実に実行するように
プログラムされているからです。

教師側もマニュアル通りに
進めていくだけで良いので
気持ち的には楽でしょう。

もちろん集団生活による
友達との人間関係や協調性を
習得出来るメリットはあります。

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学習や実習においても
出来た事を褒めるより
間違いを指摘している事が
多いのではないでしょうか

教育者としての立場からすれば

「褒めると調子に乗ってしまう」

「褒める事は甘やかしに繋がる」

「褒めると有頂天になって努力を怠る」

etc

自分を戒めずに天狗になると
思っているからでしょう。


もう少し掘り下げて観察すると
大人の事情が見え隠れしています。

それは

教師が生徒を褒める事で
眠っている才能が開花して
学校に立てつく異端児を
生み出してしまうかもしれない。

真の意味で優秀なエリートが
輩出されたら色々企画して
何をされるか分からない。

先生を上回る能力が出てしまうと
教師としての威厳や立場が
危うくなってしまう。

etc


国としてはテンプレート通りに
型に当てはめた人生を
送って欲しいと願っています。

まして教師に意見する生徒が
たくさん養成されたら
面子が保てないと感じています。

体裁を氣にしているだけです。


1人でも優秀な生徒を育成して
世界に対抗出来る力を発揮したほうが
結果的に国の為にもなるのですが...

それをされると
困る人達が居るのでしょう。


確かに人生は甘くはありません。
いばらの道のように厳しいです。

だからと言って
褒めてはいけないと
決めつける事も
視野が狭く偏屈です。

このようにして
学校教育で褒められる事を
蔑ろにされてきた結果
社会で褒める事が少なくなりました。


日常会話の中で

「◯◯さん、凄いですね」

「才能に満ち溢れていますね」

「さすがです!」

と褒められたら


「いやいやそんな事はないですよ」

「私なんて大した事ありませんから」

「まだまだです」

etc

一見するとスムーズで
当たり障りのない会話です。


ところが
本心で会話してません。

日本で文化的に称賛されている
「本音と建前」

「謙譲の美徳」

によって
ミスコミュニケーションが
起きています。


褒める側と褒められる側
双方共に猜疑心を抱きつつ
その場の雰囲気を取り繕う
単なるお世辞会話です。

相手を立てる目的として
謙遜しているのではなく
自分を守る為にだけ
社交辞令をしています。

まさに
「誠実性」が
一致していません。


心に思っていないのであれば
言わなければ良いのですが
上っ面でも関係性を保持して
おいたらいつか役立つはず。

という損得勘定丸出しの
身勝手なエゴです。

邪まな利害関係ばかりを
追求しようとすれば
いずれ自滅します。


褒められた時の受け取り方に
2つのタイプがあります。

それは
1.天狗タイプ
2.自虐タイプ

です。

1.天狗タイプ

  褒められると調子に乗って
  盲点探しを放棄する人です。

  謙虚さが欠けてくるので
  自分は何でも知っている
  自分は何でも出来ると
  勘違い(思い込み)します。

  周囲からは傲慢不遜で
  嫌悪する自信過剰が
  出ていると感じられます。

  褒められて謙遜している場合は
  相手を見下すような気持ちで
  優越感に浸っています。
     

2.自虐タイプ
  
  周囲の目を気にして常に
  防御目的で自分を攻める人です。

  褒められても素直に受け取らず
  自己否定して自分を諫めます。
  
  学校教育や両親の間違った躾等が
  大きく反映されています。

  セルフイメージを下げ無意識に
  3Dワード(でも、だって、どうせ)等
  ネガティブな言葉を使う傾向があります。


どちらに偏り過ぎても
好ましくないので
バランスが大切です。

つまり、褒められたら
素直にありがとうございます
と受け取り、自分だけの内側で
盲点や向上点を見つけていきます。

100%受け取り
100%提供します。


杓子定規の上辺だけ
褒めるようにする事を
止めたら良いだけです。

誠実性を一致させるように
ストレートに発信すれば
煩わしさやストレスが
蓄積する事はありません。

嘘を言わず本音で
真剣に向き合えば
ミスコミュニケーションが
起こることは無いです。


褒める事がどうしても
甘やかしや弱さに繋がると
捉えて受け入れられない時は
承認するだけでも良いでしょう。

くだらない固定観念を捨てたほうが
全てにおいて早く変化します。


褒める事が苦手な人は
内心では自分を褒めて欲しい
という承認欲求があります。

自己防衛して
カッコつけていますが
頑固になって本音を
隠しています。

本当は褒められたいけれど
褒められてちやほやされたら
弱くなって堕落するかもしれない

という被害妄想(シャドウ)に
怯えているだけに過ぎません。


人は思っている程
誰も見ていません。

むしろ弱さを公開してくれたほうが
親近感が湧いて近づいてもらえます。

画一的教育の恐ろしい方針は
自己表現すら解放させず
脚本通りに沿って行動するよう
巧妙に仕組まれています。


国が運営する場合では
個人の状況に対応した教育を
実施する事は難しいでしょう。

かと言って
作話と言い訳ばかり列挙して
文科省に責任転嫁すると
意志力を浪費するだけです。

自分達で自由な学校を創る等して
試行錯誤するしかありません。


日頃から褒め称え合い
建設的な向上点探しが出来る
関係性を築いていきましょう。

褒められたいなら自分から
積極的に褒める事です。


「感謝」

「尊敬」

「Give&Give」

に尽きます。

今日も読んでくださって
ありがとうございます。


追伸
あなたが今まで
「褒められた事」で
印象強い出来事を
教えてください。

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