
【みちらん41】異人の心にも響いた辺境の歌枕 〜須磨~
‥‥すまのせきもり
百人一首の一つですが、最後の部分、音の並びが良いせいか、今も耳に残っています。
子供の頃は歌の意味もわからず、ただ札をとるために上の句と下の句の出だしだけ必死に覚えたものです。
そんな私が大人になり、これを書く段になって、ふと気付いたことがありました。
須磨には関所があったんだ。
そういえばこんな経験、前にもあったなと。もしよろしければ、こちらもどうぞ。
【みちらん20】♬ヨーチョーノショーケイ? そうだったんだ! ~箱根旧街道石畳~
須磨と明石の間に
一説によれば、隅っこの「隅」が訛って、スマになったとも。須磨は摂津国の西の端。関所が設けられたくらいですから、寂しい土地だったことは想像に難くありません。
その先はというと明石。明石まで来ると播磨国になり、もう畿内ではなくなります。国道2号線も片側二車線になった今は、須磨と明石の往き来もあっという間ですが、当時の都人にとっては、海まで迫り出した鉢伏山を越えるか越えないかでは大変な違いだったようです。
光源氏にとっての須磨
光源氏が自発的謹慎の場に選んだのも須磨。桐壺帝の後ろ盾を失い失脚、おまけに政敵の娘朧月夜の君との密会が発覚。ほとぼりが冷めるまで都から距離を置かねば。でもあんまり離れるのもなあ、と思ったかどうかは定かではありませんが、この微妙な距離感が須磨だったといえるでしょう。
光源氏の人生でどん底の時代が須磨なら、都に戻るきっかけとなるのが明石です。地元の有力者の娘である明石の君との間に設けた姫が都に上がり、東宮に入内し皇子が生まれると、光源氏は勢いを取り戻していきます。

時代は下り昭和45年、当時の国鉄は競合私鉄との対抗策もあって、新快速の運転を開始します。その時、西の終点だったのが西明石。「辺境」の須磨ではなくて、須磨を突き抜けた明石だったということころに、明るい意思(石との掛詞)が込められていたのでしょうか。

季節はずれの浜辺
そんな須磨も住宅地になり神戸市に編入されました。JR須磨海浜公園駅から住宅街を抜け、国道2号を渡ればもうそこは須磨の海岸。スマスイの愛称で神戸市民に親しまれてきた三角大屋根の水族館の横から公園内の松林を抜けると、一面に青い海、緩やかに湾曲したビーチが連なります。
海水浴シーズンにはパラソルの花で埋まるビーチも、今は閑散としています。遠くの方でカランカランと、ヨットのマストをロープが叩く音が聞こえてきます。
真夏の喧騒が過ぎ去った浜辺に佇むと、かよふ千鳥の鳴く聲やカモメが翔んだ日(←渡辺真知子)の世界に没入できます。
冒頭の歌に登場する千鳥は、冬の浜辺を象徴する鳥。読み人の寂しさを象徴しているかのようです。
想い出のスマ浜
そんな砂浜を眺めていた記憶を、一人の外国人が歌にしました。
アメリカンロックの大御所ビーチ・ボーイズにsumahama(邦題:想い出のスマ浜)という曲があります。
過ぎた愛を探しに行く
海の彼方、スマハマ スマハマ
秋に木の葉が散るように
寂しく悲しい 恋の歌
哀愁を帯びたメロディに一部日本語の歌詞が乗を乗せて、遠くの人に想いを馳せながら、海を見つめている光景が目に浮かびます。
何でもメンバーが当時交際していた日本人女性の故郷が須磨海岸だったとか。(諸説あり)

スマハマを西に向かいましょう。
公園を半分ほど進んだところに建つ旧和田岬灯台は、明治17年に日本の灯台の父と呼ばれるブラントンが設計した日本最初の六角形鉄製灯台です。
もとは公園の東側和田岬にありましたが、引退後現在地に移設されました。全身真っ赤な灯台は光りこそしませんが、遠くからでも目立つ存在です。


須磨寺へ
浜辺に別れを告げ、JRの大踏切を渡って国道2号を西に進み、須磨寺方面へ。真新しい片側2車線の道路も一歩路地に入ると、道幅が一気にサイズダウン。旧西国街道の名残が感じられます。商店街を真っ直ぐ進んだ突き当たりが、今日の終着地須磨寺です。
須磨寺は源氏平氏ともに縁のある寺です。敦盛首塚や義経腰掛けの松など、一の谷で合間見えた二人の武将の明暗を感じずにはいられません。


兵庫県神戸市
距離:5km 須磨海浜公園駅~須磨寺駅
[星の数] ★★★(そのために旅行する価値があり、後世に伝えたいみち)
【おまけ】淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく夜寝ざめぬ須磨の関守 源兼昌
須磨の関跡といわれる(諸説あり)関守稲荷神社の境内には、例の歌碑があります。
この辺りは「関守町」。地名に残っていることに感激しました。
【みちらん】歩く道のグルメ本をウォーキングツアーの添乗員が本気で作ってみた
