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芸術から世相を学び、新しきを知る

 最近の自身の関心ごととしてアートがあります。美術館にも足を運ぶようになり、様々な絵画や彫刻、陶芸にも出会いました。そこでふと疑問に思うようになったことが1点。

 それは「作品の価値は何で決まるのか?」ということです。

 いったい芸術の価値というのはどのように決まるのでしょうか。確かに、有名な芸術家の作品であればオークションで高値で売買されるということはありますが、今回は作り手のネームバリューは横に置いておきます。あくまでも造られた作品自体の価値がどこで決まるのか、です。

 さて、結局行き着いた先は文献でした。ただ、難しいものは全く分からなかったので1冊の新書を読むことに決めました。以下、少し引用します。

“あなたは次の作品に値打ちを感じますか?”

コンポジションⅡ

 この作品はピート・モンドリアンの「コンポジションⅡ」という作品です。一見すると「誰でも書けそう」とか「うちの子の方が上手〜」と思う方もいるかと思います。

 でも、落札価格を聞くとその価値がわかるかと思います。

なんとこの絵についた値段は

27ドル、ではなく

27・・・・・・億円(ネット調べ)なのだそうです。

 いかにも「そんなん私が代わりに描いてあげるわ〜」という言葉が聞こえてきそうですが、やはりこれだけの価値がつくには相応の理由があるわけです。この絵から見出された本当の価値とは何なのでしょうか?今回の投稿はそこが本題です。

 まずこの絵の作者モンドリアンはネーデルラント(オランダ)出身の画家です。ネーデルラントは日本と比べて土地の起伏が小さくなだらかという特徴があります。その土地は水平線に対して木々が垂直線となって立ち並び、それと同じように人も建物も垂直線として見えることになるのです。つまり、この絵はモンドリアンが生まれた世界を抽象化させたものであり、もっと言えば世界を律する規則性や法則性を絵で表現したということになります。

 ではこの絵の何がこれほどまでに価値を高めたのでしょうか?それは「“法則性や規則性に基づく絵画”の先駆けでありその哲学性」という点にあるとされます(諸説あり)。ここから先はモンドリアンの人間性に関わる部分になりますが、個人的な感情や主観、思い入れを排して垂直線と水平線で描くという厳格なルールに基づき、秩序と調和の取れた表現を目指したとされます。神学智という宗教的思想に支えられていたということも影響があったとも。

 同様のケースとして一括りにして良いのか憚られますが、キュビズムという手法で有名なピカソにしても「新たな視点の先駆けとなる作品」というのはやはり後の世では高い評価を得るようです。後世の画家に対する影響力といったところも絵画の価値に加味されるようにも思われます。

 さて、いよいよ話をまとめていこうと思います。ここまでの話の趣旨はなんだったのかというと、実は『「現代アート」というものの複雑さ』を知るための布石でした、すみません。というのは、数十年前であれば、価値観というとある程度固定化されていて、芸術の世界でも「アートとは〇〇である」「芸術性とは〇〇だ」と云う共通認識があったとされています。例えば、「20代で結婚することが幸せ」であるとか「子だくさんな家庭は幸せ」といったような価値観が一般的だった時代もあったことを想起して貰えば良いでしょう。

 ところが今はどうでしょうか。集団意識や規範が薄れ、個々の権利や立場を重視する時代になりました。このことは価値観が多様化し、それによって「何を良きとするか」という軸を他者と共有することが難しくなったと言えます。「同性婚」「性意識」「人権」といったものを挙げても、その価値観や基準といったものについて価値観を共有することが大変なのはご理解いただけるのではないでしょうか。

 価値観の多様化はアートの世界でも同様のことが言えるようになっています。「何に価値を置くか」=「何をアートとみなすか」といった具合に、様々な表現が巷に溢れるようになったのです。現代アートというのはそれほど多岐にわたる価値観が表現されているともいます。中には「これはアートではないだろう」と思える作品もあるかもしれません。それでもアーティストたちは自身の価値観を独自の表現方法を用いて作品を作り上げているのです。

 ではこれだけ価値観が多様化する中で「芸術における価値」とは何なのでしょうか?その良さを我々は何で判断すれば良いのでしょうか?

 実はこのことを考えた時、人の生き方に重要な示唆を与えてくれると思うのです。どういうことかというと、まずは「自分自身が『価値がある』と思えることに出会えること」だと思います。人が基準ではないのです。「自分が⚪️⚪️を好き」「⚪️⚪️をしている時間が大切」、そう思えることが大切なのです。絵画も同様で、直感的に「この絵が好き」という作品に出会う人もいるかもしれません。もしくはその作品が造られた背景や経緯をしっかりと考察してみた時に、「深みがあって好きになった」ということもあるかもしれません。もちろん絵画を楽しむならば、多少は絵画についての基本的なことは学ぶ方が良いかと思います。でも、その程度の感覚で良いのです。自分にとって楽しめるものや重要と思えるものを吟味し、時には「あーでもない」「こーでもない」と取捨していくこともあるでしょう。決してそれは無駄ではなく、むしろそれこそが大切なのです。

 私の場合も同じようなことが言えます。見たこともないアートに出会うことでその瞬間を楽しめています。描き方(技法)はもちろん、どうしてこの絵を書いたのか(考え方)などを考えてみると、それが仕事へのインスピレーションになっていることが多々あります。この瞬間というのは私にとってかけがえのない時間となっています。これこそ贅沢であり、自分にとっての“良いもの”なのだと確信しています。

 様々な芸術作品との出会いからヒントをもらい、多くの新しい創造物を生み出してきました。ただ、残念ながらいずれも現代と云う枠を超えたものにはならなさそうです。でも、自分に足らない部分を再認識したり、幸いごく稀に高い評価を得ることもあります。まさに絵画を通して“新しさ”を得ているのは間違い無いでしょう。

  長くなりましたが、この記事を読んで下さった方にも、ぜひ一度美術館い足を運ぶことをお勧めします。きっと今まで知らなかった世界に出会えるはずです。その時には、できるだけ作品を細かく見たいからといって近づきすぎ、学芸員さんに注意されないようにお気をつけください。誰かさんみたいに(笑)

 



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