鴨長明「方丈記」
前回の読書感想文は、社会になじめない少年ハンスの生涯を描いたヘッセ「車輪の下」を投稿しました。
今回は、中年から社会になじめずに「ひとり」で生きることを決意した鴨長明の「方丈記」を取り上げてみました。
過去に読んだこともありますが、冒頭の有名な文章「行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」と平安末期から鎌倉時代の災害の情景描写くらいが記憶に残っているだけでした。
今回、再読してみて後半の長明の感慨に心打たれるものがありました。
本文から以下を引用します。
(鴨長明. 方丈記現代語訳付. KotenKyoyoBunko. Kindle 版)
ここで長明は、自分自身のために生きることを強調しています。
「ひとり」を楽しんでいます。
人間は孤独であり、生きてゆくことは「ひとり」歩むことです。
現代を生きるわたしたちにとっては、鴨長明の生き方は現実的ではないでしょう。
しかし、精神的なよすがとすることに意味があるかもしれません。
社会とのつながりをまったく断っては生きてゆくことはできません。
無人島に住んでいるわけではありませんから。
長明も10歳くらいの子どもと一緒に野山を歩き遊んだりしています。
また、食べ物が乏しくなると都で乞食をしています。
本書の趣旨は、社会から逃避した暮らしの世捨て人を描くことではなく、人生を自身のために有意義に送るためにはいかにあるべきかを実践した結果を記述したものであると思います。
けっして否定的な生き方ではなく肯定的な生き方なのです。
本書の末尾で、長明は庵にてひとりの日々を楽しんでいることさえ、その執着心を自己批判しています。
出家者としてこれで良いのだろうかと煩悶しています。
12~13世紀に生きた鴨長明は、方丈の一室でのつましい日々の暮らしをひとり楽しみながら、自己を客観視する鋭い視線をも失いませんでした。
20~21世紀に生きる現代人としてのわたしですが、おこがましい限りではありますが親近感と共感を覚えます。