「月が綺麗」なんて、だからどうしたってんだ。
シェイクスピアは言った。
「まったく想像力でいっぱいなのだ。狂人と詩人と恋をしている者は。」
プラトンは言った。
「愛に触れると誰でも詩人になる。」
かの文豪、夏目漱石が英語教師をしていた頃の話。
「I love you.」を「我君ヲ愛ス」と訳した生徒がいた。その時、漱石は「日本人はそんなこと言わない。「月が綺麗ですね」とでも訳しておきなさい」と訂正した。
嘘か誠か、そんな逸話が現代でもロマンチストたちの間で語られている。
この「月が綺麗ですね」の返しとして有名なのが、二葉亭四迷の「私、死んでもいいわ」という言葉。
「月が綺麗」だとか、「死んでもいい」だとか、日本人は「I love you.」をストレートに伝えられない。
風景や生死を使って表現する。
「恋をすると詩人になる」のは外国人だけじゃないようだ。寧ろ、日本人の方がその性質が強いように感じる。
日本語はなんて奥ゆかしく遠回りな言語だろうか。複雑で曖昧だ。
なのに、どこか美しさを感じる。
竹久夢二の「話したいことよりも何よりもただ逢うために逢いたい」という言葉から始まる本書のタイトルは『I Love Youの訳し方』。
日本語の独特な唯一無二の美しさに惹かれた著者、望月竜馬氏が、様々な作家の恋愛の言葉をかき集め1冊の本したのが本書だ。
ある作家からは小説の一節を、またある作家からは意中の相手に送った手紙の一文を。
古今東西、沢山の「I love you.」を「情熱的に」、「感傷的に」、「個性的に」、「狂気的に」、そして「浪漫的に」の5つのジャンルに分けて紹介している。
なんて小っ恥ずかしい本だ。
愛だの恋だの喚くのは、気が狂った暇人の仕事だ。
この本を買った時は、久々に太陽の光を浴びて気分が舞い上がっていた。冷静になって、この本を買ったことは誰にも話すまいと思って脳みその奥の方にしまい込もうとした。
だが、今の私は実に気分が良い。酒を飲んでいるし、個人的に嬉しいことがあった。
まさに、気が狂った暇人だ。
だから今日は、ストロングゼロ片手に、本書の中でも強く心惹かれた言葉をいくつか紹介したいと思っている。
①情熱的に
「僕はおまえが好きだった。そして今でも好きなんだ。たとえ世界が木っ端微塵になったとしても、その残骸の破片から、恋の想いは炎となって燃え上がる。」
ハインリッヒ・ハイネ『歌の本』より
「おまえが好きだった。」と過去形であることから、詠み手は意中の相手との終わりを悟ったのだろうか。
だが、続きは「今でも好き」だ。
「たとえ世界が」なんて陳腐な言葉を使ってしまうほどに恋は人を夢中にさせる。
「好きだった。そして今でも……」とあることから、この恋はきっと叶わない恋だ。叶えられなかった恋かもしれない。
だからこそ、世界を巻き込んで燃え上がらせる。
もしも消えてなくなってしまっても、また同じように1から始めることができたなら、“本物の恋”だと信じられるからだ。
②感傷的に
「あぁ、私はなんのために生れたのでしょう。私は生れてから1度もあなたに逢いもしないのに、こんなに恋しくて仕方がない。私は……」
岡本かの子『春』より
ガチ恋オタクか?
オタクはいつもこんな気持ちで日々を過ごしている。
1度逢ったところで完全に赤の他人であることに変わりはないのに。直ぐに逢いたい、恋しいと口にする。
ガチ恋オタクに関わらず、会ったことない人に恋愛をする状況は現代では珍しくない。
技術の発展によって出会いの場が広がったのだ。今や、SNSを通して恋愛をする人も少なくない。
顔も知らない、名前も知らない、住んでる場所も年齢だって。なのに、会いたい。興味がある。
そういう感情が現代では容易に生まれる。
科学技術の発展とともに恋愛の様式も変わってきている。
③個性的に
「いつか、私は彼に堕落した。そして今も炎上している。」
金原ひとみ『星へ落ちる』より
人は人を好きになることを「恋に落ちる」と表現する。
「落ちる」という動詞は、基本的にネガティブな意味で使われる。
穴へ落ちる。 受験に落ちる。
「恋に“落ちる”」というのは、ネガティブなものだろうか。
そうでもあるし、そうでもない。
感じ方は人それぞれである。
だが、人は恋という泥沼に落ちていくように私は感じる。
一日中その人のことしか考えられなくなり、勝手な期待や態度に一喜一憂する。可愛いやカッコいいに支配され、自分を見失う。
抜け出せない沼。
まさに堕落だ。
④個性的に‐Ⅱ
「喜代ちゃん、これからどこかへ飲みに行こう。君を酔っ払わしてみたいんだ。」
豊島与志雄『溺るるもの』より
これは、言われたいし、言いたい。
酒を飲むシチュエーションや気持ちは、一緒に飲む人によって変わってくる。
仕事仲間とならコミュニケーションのために、仲の良い同性とならストレス発散や仲の深め合いに、異性となら、何かを期待して。
「酔っ払わしてみたい」なんて、きっと気がある相手にしか言えない。
酔っ払った女は面倒臭い。特に、悪酔いしてしまったら余計だ。
それを絶対に介抱するという責任感と、その裏に見える下心。
この微妙なバランスがいい具合にとれている。
「酔っ払わしてみたい」。その先にあるモノがチラチラと見え隠れするのが非常にいじらしい。
これを言われたら「酔わしてみてくれよ」と強気になってしまう。
こっちからも「○○くんは酔っ払ったらどうなるのかな」とか言いたい。
※但し意中の相手に限る※
⑤狂気的に
「そのあらわな腕のかよわさ─その腕を、しなだれた愛しい四肢のすべてを、うずくまった子馬のようなおまえを抱きしめたい、おまえの頭をこの卑しい両手の中に抱いて、両側のこめかみの皮膚を後ろに引き、細くなったおまえの目に口づけたい、それから─」
ウラジミール・ナボコフ『ロリータ』より
この表現、本当に好きだ。
自分のことは「卑しい」と揶揄しているが、相手は絶対的にか弱く愛しい儚い、天使のような存在として見ている。
これは『ロリータ』からとっている一文のため、作中では小さな女の子のことを指しているのだろうが、そうでなくとも自分の好きな相手は天使のように尊い。(と私は感じる)
相手の好きな部位や表情、そういうものは必然的に愛しくて尊い。
そんな尊い存在に、卑しい自分が触れてしまう恐ろしさと興奮。
天使が穢れてしまうのではないかという葛藤と悦。
そういうドロドロした欲と愛情が煮えたぎっているような表現。本当に綺麗だ。
⑥狂気的に‐Ⅱ
「おまえのゲロだったら、きれいに舐めてやるよ。」
花村萬月『夜を撃つ』より
おい、これ、私のための告白文か?
何故なら私は男のゲロを吐く姿が大好きだから……。
お〜い!YouTube〜!モザイク外してくれ!
ゲロに関わらず、相手の欠点とか弱い部分、他人には見せたくなかった所、そういうものを無条件で愛すること。それもまた一種の愛の形。
「ダメな部分は怒らないと本当の愛情ではない」
一定数そういう人間もいる。
だけど、私はそうは思えない。
好きなら全部好きになってしまう。そういう質の人間だから。
ダメなところも全部愛おしい。
甘やかしたい。
君から出たものなら何でもきれいだと思えてしまうよ。
でもこのセリフを異性に言われたらマジでドン引きすると思う。普通に嫌すぎてその場から逃げちゃうな。
⑦浪漫的に
「別れろよ、とにかく。そして俺と付き合えばいい。」
北方謙三『跳ぶ夜』より
ハードボイルドで最高。
この強引さと、相手が自分のものではないという切なさ。
相手が付き合った相手が本当に良い人間かは分からない。仮に良い人間だったとしても、それを認めたくない傲慢さ。
「自分の方が幸せにできる」という自信があるからこそ言える一言。
まぁ、その自信すらも傲慢さの現れなんだが。
一方通行の恋というものは、時に悲しく時に激しく不安定なまま進んでいく。
それは滑稽でもあり、はたまた美しくもある。
漱石は「I love you.」を「月が綺麗」だと訳した。
だが、それが唯一の答えではない。
何通りもの訳し方があってこその日本語だ。
日本語の持つ儚さと美しさ、そして多少の強引さ。
詠み手によっても、受け取り手によっても印象が変わってくるこの面倒くさくて不思議な言語は私たちの語彙と想像力を豊かにしてくれる。
恋愛に迷った時、自分なりの「I love you.」 を綴ってみてもいいかもしれない。
酒のエナジーが切れて恥ずかしくなってきたのでこの辺で終わり。
さいなら。