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大学ミス/ミスターコンテストから考えること

先日、とある大学のミス/ミスターコンテストに行ってきました。

学祭に合わせ、多くの大学でこの手のコンテストが開催されていることは以前から知ってはいましたが、興味を持ったことは一度もありませんでした。ですが今年、ひょんなことからコンテストに注目するようになり、とうとう本番を見に行くまでになりました(なってしまった?)。今回は、コンテストを訪れた体験談とそこから考えたことを綴りたいと思います。


コンテスト当日、僕は友人と最寄り駅で待ち合わせをしました。その日は学祭期間中。駅には学祭に行くと思しき人がちらほら。僕達は、人の流れについていくかたちで、大学へと向かいました。門をくぐると、道の両脇に出店が並び、勧誘をしたりチラシを配ったりする学生の姿が。規模がそれほど大きい大学ではなかったので、人がごった返しているというわけではなく、穏やかな盛り上がりを見せていました。案内所で配布されていたマップを受け取り、コンテスト会場へ向かうと、ファイナリストの方々の写真が壁一面に貼られていました。「おお〜!」と友達とテンションを高めつつ、建物の中へ入ると、関係者専用の受付と一般の受付が。どうやら出場者の家族や友人のために、関係者席が設けられているようです。僕達は、一般の受付へ行き、一人一つずつ紙袋を受け取りました。紙袋の中に入っていたのは、パンフレットや投票用紙のほか、旅行会社の割引券やコスメの試供品などなど。実は大学のミス/ミスターコンテスト、多くの企業がスポンサーとなっているのです。特にコスメブランドやアパレルブランドなど、美容系の協賛企業が多いのは、まさに美の祭典ならでは。現金な僕達は試供品を貰えたことに胸を躍らせながら、いよいよ会場であるホールに潜入。埋まっている座席は収容人数の半分ほど。一番前の数列は例の関係者席となっていたので、そのすぐ後ろの席に座りました。そして始まりのアナウンスが流れ、ついにコンテスト開幕。

コンテストは、全体で約3時間。参加するファイナリストは、エントリーNo.1からNo.5まで、男女5名ずつ(この人数は、大学によって若干異なります)。ファイナリストに選出されてからの約4ヶ月間、SNSでの投稿や動画配信、さまざまなイベントへの参加など、数々の活動を乗り越えてステージに立ちます。特に重要なのはSNSを通じた広報活動。TwitterやInstagramはもちろんのこと、TiktokやLINE LIVE、SHOWROOMといった各種コンテンツをフル活用して宣伝し、ファンを集めなければなりません。そこでは、いかに自分を個性的に、そして魅力的に見せられるかが鍵となるのです。そんなファイナリストたちの入場に始まり、男女に分かれてのダンス発表や、自分の特技や趣味を披露するアピールタイム、エントリーNo.が同じ男女のペアがタキシードとウェディングドレスを着て登壇する「ウェディング企画」、そして最後に自分の思いを伝えるアピールタイムを経て、いよいよ投票となります。グランプリの決定にあたっては、毎日1人1票投票できるウェブ投票やSNSでの配信実績なども加味されますが、やはり一番大切なのが当日票。一段と気合いが入ります。僕達も祈る思いで、一番応援していたミス/ミスターの方にそれぞれ票を投じました。そして結果発表。まず、スポンサー賞として、各協賛企業によって選出されるメンバーの発表があります。それがすべての企業について表彰された後、いよいよ準グランプリ、グランプリの順に発表され、コンテストは有終の美を飾るのです。


もともと、ミス/ミスターコンテストというものには、良い印象を持っていませんでした。というのも、このコンテスト、はっきり言ってかなり問題含みのイベントだと思うのです。

近年、LGBTを含むセクシュアル・マイノリティの認知度が高まり、男/女の二項対立に縛られない多様な性のあり方が(少しずつではありますが)認められつつあります。ミス/ミスターコンテストは、そんな時代の潮流に逆行するものではないか。そう思っていたのです。げんに、例えば一橋大学はミス/ミスターコンテストの代わりに、性別を問わずに参加できるHIT-COLLECTION(ヒトツバシコレクション)を開催していますし、早稲田大学はそもそもコンテスト自体を実施していません。また先日、法政大学がミス/ミスターコンテストを容認しないと公表し、話題にもなりました。

法政大学は、主観に基づいて人を順位付ける行為は「多様な人格への敬意」と相反すること、また人格を切り離したところで都合よく規定された「女性像」に基づいて女性(ミス)を評価するものであるということを述べています。これは、男性(ミスター)にも当てはまることでしょう。つまり、ミス/ミスターコンテストは、男らしさ/女らしさという枠組みを可視化するイベントなのです。

それは「ウェディング企画」が特に顕著でしょう。この企画が始まった時、僕は、とんでもない企画だと率直に感じました。男はタキシードを着て、女はウェディングドレスを着る。これはまさに「異性婚」の象徴です。もちろん、こうしたシチュエーションに憧れる人が多くいることは事実でしょうし、その気持ちを否定するつもりもありません。僕も一緒に行った女の子の友達に「ウェディングドレス着てみたいって思う?」と聞いてみたところ、「思う!永遠の憧れ!」と言っていました。このような素直な気持ちは大切にすべきです。けれども、同性婚の是非をめぐる議論が加熱している昨今、この企画が持つメッセージ性について想像力を働かせることは必要だと思います。日本では、同性のカップルは結婚したくてもすることができません。もっとも、同性カップルの全員が結婚願望を有していたり、同性婚容認を訴えているわけではありませんが、仮に本気で結婚を望んでいる同性カップルがこの「ウェディング企画」を見たら、どう感じるでしょうか?はたして「羨ましいなあ・・・」と感じるだけでしょうか?このコンテストの存在は、「男/女」という枠に収まりきらないセクシュアリティの排除を暗に助長している側面があることは否定できないような気がしています。


一方で、このコンテストの存在を頭ごなしに否定することもまた違うのではないかと、コンテストを終えた時に思いました。それは、ファイナリストの方々が本当に輝いていたからです。中には感動のあまり号泣している方もいました。ファイナリストの皆さんは、約4ヶ月の活動期間中、普通ならば経験しなくて良いような辛いこと、苦しいことを乗り越えてきたのだと推察します。中にはSNSでのアンチコメントや心ない言葉に傷つけられた方もいたことでしょう。ファイナリストの皆さん一人一人の輝きは、そうした苦難に耐え抜いてきた自負が詰まった、4ヶ月間の成長の証なのです。

またコンテストには、ファイナリストだけでなく、学生を含む多くの関係者が運営に携わっています。チームで何か一つの大イベントを創りあげるということ。そこで得られる感動体験や達成感。運営当事者にとって、このミス/ミスターコンテストがかけがえのない思い出となることは間違いありません。


良い面もあれば悪い面もあるイベント、ミス/ミスターコンテスト。もっと多くの人に受け入れられるよう、より良いあり方を模索していく余地はまだまだありそうです。

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