映画「くじらびと」
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自然とともに生き、命に感謝し、祈りを捧げるーー
インドネシア・ラマレラ村。ガスも水道もない素朴な村に1500人が暮らす。火山岩に覆われた土地は作物が育たず、太古さながらのクジラ漁が村の生活を支え、年間10頭獲れれば村人全員が生きていけるという。
手造りの舟と銛(もり)1本でマッコウクジラに挑むラマファ(銛(もり)打ち)。村を支えるため、危険な鯨漁に挑むラマファは村の英雄であり、子どもたちの憧れでもある。伝統捕鯨の歴史は400年に及び、 “くじらびと”たちは互いの和を最も大切なものとして支え合って暮らしている。
くじらびと公式HP イントロダクションより
石川梵監督との出会いは 2019年1月13日、「世界でいちばん美しい村」の奄美大島での自主上映会だった。映画「世界でいちばん美しい村」は、2015年4月のネパール大地震で壊滅的な被害を受けたラプラック村の復興を描いたドキュメンタリー映画だ。石川監督はこの映画をクラウドファンディングと個人資金のみで制作した。
2015年4月25日 M7.8の大地震により300万人が被災し、9000人以上の人々が亡くなったネパール大地震。日本人写真家・石川梵は、大地震の直後にネパール・カトマンズへ飛び、ジャーナリストとして初めて最も被害が深刻といわれるヒマラヤ山岳地帯の震源地へ向かった。
ジープと徒歩で2日間、山道を開拓しながら辿り着いた震源地の村・ラプラックは、家屋がことごとく破壊され、村は壊滅していた。カトマンズからの報道からは見えてこないネパール大地震の現実だった。
その村で石川は、ひとりの少年と出会う。澄んだ瞳をした、14歳の少年・アシュバドル。少年と行動を共にするうちに、二人には友情が芽生えた。別れ際、石川は、少年と二つの約束をした。ひとつは、この孤立した村の惨状を世界に伝えること。もうひとつは、必ず村に戻ってくること。
村に通い続け、支援と報道を続けるうちに、石川はあることに気づいた。この村は、世界で一番悲惨な村のように見えるが、実は、世界でいちばん美しい村かもしれない。
世界でいちばん美しい村 公式HPより
この映画を奄美大島で観れるとは夢にも思わなかった。後に知ったのだが、石川監督は山田(洋次)組の一員であり、山田洋次監督と言えばあの「男はつらいよ」シリーズ。その最終作の「寅次郎紅の花」の撮影が奄美の加計呂麻島だった関係で、石川監督は奄美大好き人間だったのだ。
個人的な話になるのだが、僕はこの「世界でいちばん美しい村」の奄美上映会の前年(2018年11月)に膀胱癌を患った。上皮質性の癌なので命に別状はなく、表面の癌細胞を取り除けば、はい、終了、という全くもって大したことのない癌だった。でも初めての「癌体験」で、以来、僕の中には常に「死と生」が付きまとうようになった。そんな時に観た「世界でいちばん美しい村」だった。それは正に「生と死」の映画だった。
ネパールは神の国であり祈りの国だと思う。20年前にネパールに2度行って感じたことは「懐かしさ」だった。故郷の奄美大島を捨て東京で暮らしていた頃だった。故郷よりも更に遠いネパールで、僕は「奄美大島」を感じていた。奄美大島はかつて「生と死」が常に同居していた。いや、今だってそうなのかもしれない。奄美の血塗られた400年の歴史は、同時に祈りの歴史でもあった。神に祈り大自然に祈った。神も大自然も身近にあり、人々はチヂンを叩きシマ唄を歌い八月おどりを踊った。神も大自然も死も生も目の前にあった。そんな故郷の奄美大島を、僕は遥か彼方のネパールの地で確かに見ていたのだ。
「世界でいちばん美しい村」で描かれているラプラック村と奄美大島の、何と似ていることか。「ガトゥ」の儀式でラプラックの人々は木の葉を集め、神に祈る。神は人々のさまざまな苦しみや罪を引き受けてくれる。そして人々は踊りながら村中を練り歩く。まるで奄美の「種おろし・ヤーマワリ」そのものだ。「ヤギの生け贄」の儀式は奄美の「ヤギの血抜き」の儀式であり、第二章の始まりの女性の唄も奄美の「シマ唄」と重なる。そしてこれも後に知ったのたが、ネパールと奄美大島は緯度がほとんど一緒なのだ。
上映会の始まる前と上映後に、少しだけ石川監督と話すことが出来た。厳つい見た目とは裏腹に、とても親しみやすく心優しき男だった(笑) そして、次回作の「くじらびと」の準備も着々と進行している事、奄美大島でも上映することを約束してもらった(いや、約束はその後だったかもしれない)
すぐに「くじらびと」のクラウドファンディングは始まった(実際には2017年10月に第一回ファンディングは始まっていたのだが、僕が参加したのは二回目からだった)
第一回 クラウドファンディング
2017年10月 131人 310万円
第二回 クラウドファンディング
2019年1月 167人 336万円
第三回 クラウドファンディング
2019年 10月 262人 620万円
三回のクラウドファンディングで実に1.300万円の資金が集まり、石川監督は黙々と「くじらびと」を作り続けた。そして、翌年2020年春に上映する・・・予定だったが、そこに待っいたのは予期せぬ「コロナ禍」だった。上映は中止、あるいは延期を余儀なくされた。しかし、転んでもただでは起きぬ石川監督。いつ上映出来るか分からぬ中で、「くじらびと」をより完成度の高い作品に仕上げきったのだ。監督自身が満足し、自信を持って毎日のようにSNSでこの映画のことを発信してるのだから、我々の疑う余地などあろう訳がない。
完成した「くじらびと」の予告編を見た瞬間、僕たちは度肝を抜かれた。巨大なくじらに銛一本で挑むくじらびとの姿がそこにあった。猛然と尻尾を振るくじらがそこにあった。魂と魂のぶつかり合い。大自然と共に生きる400年の歴史がそこにあった。そこに石川監督の魂が交差する。そうか、石川監督は命懸けでこの瞬間を待っていたのか。
予告編が完成し、新宿ピカデリーを皮切りにいよいよ今年2021年9月3日よりの上映開始が決定した。配給協力は「アスミックエース」、あの「カメラを止めるな」を大ヒットに導いた会社だ。石川監督は常々言っていた「この映画は必ずや第二のカメ止めになる」と。さて、お膳立てはすべて整った。後は心おきなく「くじらびと」を堪能するだけだ。公開日に合わせて新宿まで観に行こうか、それとも奄美に来るまでじっと待ってようか。石川監督直々にコメントを頂いた「これは大画面で観るべき映画ですよ、タイミングが合えばぜひ新宿まで来て下さい」
どうしようか。新宿まで行こうか、それとも奄美で待つか、嬉しい葛藤である。いや一番ワクワクしているのは命懸けで「くじらびと」を作って、やっと上映まで漕ぎ着けた石川監督本人なのだろう。
しかし、またしても監督に試練がのし掛かる。世は、特に東京は、想像を越えるコロナ禍に突入したのだ。4度目の緊急事態宣言の真っ只中なのである。そこで石川監督は次の手を打つことにした。何らかの形で必ず上映を実現したい。その為に四回目のクラウドファンディングを実行することにした。
以下、監督のメッセージ ↓
想像を超えたスペクタクルな映像とヒューマンドラマは、業界の高い評価を得て、「カメラを止めるな」の配給を行い、大ヒットの起爆剤となったアスミックエースが配給協力についた。インディーズ、そしてドキュメンタリーとしては異例の新宿ピカデリー他、シネコンによる全国公開(9月3日)が決まった。
しかし、新型コロナの影響により1日1万人を超える感染者の増加(7月29日)緊急事態宣言の延長決定など取り巻く環境は悪化、感染爆発が現実的に。場合によっては上映ができない可能性すらでてきた。
東京都だけでも7月28日に感染者3000人突破!さらに増えそうな勢いだ。新宿ピカデリーでは大スクリーンでの舞台挨拶を計画しているが、まだ正式発表すらできない。しかし閉塞感漂う今だからこそ、感染対策を十分にして、大海原で鯨を追う男たちのロマンを人々へ届けたい。もし規制が進み、映画館が閉鎖になっても、なんとか工夫をして上映を実現したい。そのため上映直前にもかかわらず、皆様に再度のお願いをし、資金調達をすることにしました。
このクラウドファンディングは8月27日までやってます。https://motion-gallery.net/projects/kujirabito
石川監督の苦悩はまだまだ続く。8月某日、一通のメールが届いたそうだ。「映画を楽しみにしていたが、でもこの状況の中電車で新宿まではとてもいけない」というものだった。
この映画をはみんなの物だ。これまで必死に協力してくれたみんなの物だ。来れない人を置き去りにして、果たして本当に上映していいのだろうか。というのが石川監督の「くじらびと」への想いだ。観たい、僕もどうしても観たい。監督も観せたい、どうしても観せたい。みんな想いは一緒だ。しかし、観られない仲間は必ず出てくるのだ。お金で解決できない問題が立ち塞がる。それは人の「想い」だ。
何か協力できることはないかと僕も模索している。多くの人たちに「くじらびと」を観て欲しい。でも僕個人が出来ることなんてたかが知れている。ならば僕はここで「くじらびと」を発信しようと思う。多くの人にこの記事を見て貰い、この映画をたくさんの人に知って貰おうと思う。
もし、これを読んだあなたがSNSやブログをやっていたら、是非この記事をシェア拡散して欲しい。多くの人に「くじらびと」が届くように。いつの日か「くじらびと」が観れますように。
奄美大島 泉 順義
※ 石川監督の許可を得て動画・写真・文章の引用を致しました。