【学ぶ#1-1】西田哲学:概要
日本の哲学者、西田幾多郎の哲学について自分なりに学んだ事を書いていきます。
1. はじめに
西田哲学はその時期によって大きく三つに分かれます。
前期:キーワード「純粋経験」
経験の直接的なあり方は主客未分であり、これを根源として考えた。
中期:キーワード「場所」
あらゆる事物は何らかの場所において存在する、これを根源として考えた。
最も広い場所は意識の及ばない「絶対無の場所」。
後期:キーワード「歴史的世界」「絶対矛盾的自己同一」
「場」という抽象的な概念から、この世界にどう参与しているかを考える方向を変更した。
「絶対矛盾的自己同一」など独自の用語を使って考えた。
と書かれても何のこっちゃだと思うので、自分が参考書(4章参照)を読んで「なんとなくわかった」くらいまでの軌跡を、これからnoteに書いていこうと思ってます。以下のような予定です。
【学ぶ#1-1】西田哲学:概要 →このnote
【学ぶ#1-2】西田哲学のキーワード理解:純粋経験
【学ぶ#1-3】西田哲学のキーワード理解:絶対無の場所
【学ぶ#1-4】西田哲学のキーワード理解:絶対矛盾的自己同一
【学ぶ#1-5】西田哲学を学ぶ意味はあるのか?
第1回の今回は、西田幾多郎ってどんな人?、なぜ自分が西田哲学を学ぼうと思ったのか?を書きます。合わせて西田哲学に通底する思想についても触れます。第2~4回では西田哲学のキーワードを自分なりに理解したものを紹介し、第5回ではイマココで自分が学んだこと、そこにどんな意味があったのか?(またはなかったのか?)、振り返ってみたいと思います。※見切り発車なのであくまで予定です。
注意
私なりの理解で書いていきますので、理解が浅い・間違ってるなどあると思います。興味を持たれた方は、参考書籍を4章にあげてますので、お手に取ってみてください。某ジャングルサイトではなく書店で買ってもらえると、書店散歩愛好者としては嬉しいです。
2. 西田の生涯
西田の生きた時代
思想とその人の人生は切り離せませんので、まずは西田の生涯を駆け足で紹介します。西田幾多郎(1870-1945) は日本の哲学者で、その哲学は初めて(人によっては唯一の)日本で生まれた哲学と評されています。鈴木大拙の生涯の友としても知られていますね。鈴木大拙は以前ノートで紹介しましたが、その思想に近いモノが西田哲学にはあります。ただし西田は宗教ではなく、あくまで哲学のアプローチで独自の思想を構築し「善き生」を目指しました。
西田は1870年に現在の石川県の農村で生まれ、1945年6月に亡くなりました。ほぼ明治維新から太平洋戦争の末期、という日本と西洋の激しい衝突期間に生きました。
日本文化:江戸幕府の解体。急激な西洋化とその反動。財閥・成金の誕生と格差。
社会:資本主義による軋みが、マルクス主義の台頭と社会主義国家、ファシズムによる全体主義国家を生む。
戦争:帝国主義時代。日清・日露・第一次世界大戦、日中戦争から太平洋戦への突入。
科学技術:相対理論、量子力学の確立による自然観の変更。科学技術を応用した戦車、戦闘機、核爆弾の製造。
これまでの価値観が壊れ、新しい知識・玉石混交の情報が多量に入ってくる中で、拠り所がなく多くの人が生きる拠り所を求めたのではと思われます(なんだか現代の状況にも似ている気がしますね)。そのような新たな価値観を探求した一人が西田でした。ちなみにこういった時代の流れを横に見たい時、情報の歴史という本(【7】)がとても役に立ちます。お高めですが、気になった人は騙されたと思って買いましょう。損はしません。
西田は日本の哲学者としては最も有名な人の一人だと思いますが、素行不良で中途退学したり、帝国大学の本科に進めなかったりと、エリートという言葉からは遠い学生時代でした。その後、中学校や高等学校の教諭をしており、京都帝国大学の助教授になったのは40歳のころです。就任翌年、主著となる『善の研究』を出しますがこの頃はまだ無名でした。ここから京都学派が形成されたり、「哲学の道」で思索する、などよく知られる西田の話が出てくるのです。遅咲きなんですね。当時の平均寿命は今より短かったことも考えれば、今我々が考える以上かと。若い時は意外と血気盛んとか、弟子たちとは結構おしゃべりしてた、とか色々な逸話があるようですがここでは割愛します(気になる人は【1】【3】)。
死別の人生
西田には特に有名な言葉があります。
彼の思想はここに全てが詰まっているといっても良いかもしれません。「驚き」は好奇心のようなものでしょうか、科学的アプローチなどがこの中に含まれるでしょう。それは哲学の方向性足り得ないと西田は言います。このような発言に至った大きな要因と考えられるのは、多くの近親者との死別でした。
西田 13歳:親しかった姉が死去(17歳)
西田 27歳:父死去
西田 34歳:弟が旅順で戦死
西田 36歳:次女死去(5歳)。五女死去(生後1ヶ月)
西田 39歳:四高からの友(藤岡作太郎)死去(39歳)
西田 48歳:母死去(76歳)
西田 49歳:妻が脳溢血で倒れる。
西田 50歳:長男死去(23歳)
西田 54歳:妻死去(49歳)
西田 70歳:四女死去(33歳)
西田 74歳:長女死去(49歳)
(西田 75歳:西田死去)
当時は現代よりも死亡率が高かったので、上記のような例は今ほど珍しい出来事ではなかったでしょうが、だからといって親しい人を失う悲しみが軽減するわけではありません。西田はこのような死別の悲しみの中で、生きる哲学を構築しようとしたのだと思います。
西田は学問するために学問をしたのではありません。実際、京都帝国大学を退官になってからも死ぬ直前まで論考し続けました。彼にとっては「哲学する」ことは人生そのものだったのでしょう。
3. なぜ自分は学ぼうと思ったのか?
イマココで読む動機
私は普通のビジネスパーソンで、哲学をガチで学びたいわけではなく、生きる指針として偉人の思想を学びたいというモチベーションで本を読んでいます。自分に合った生き方のヒントを探すのが目的なので、万人が納得する「真理」を目指す哲学より、「思想」「宗教」を探している、と言った方が近いかもです。ここでいう「宗教」は宗派的宗教というより、生きる指針として(直観的に)信じられるモノくらいの意味です。
現代の資本主義・新自由主義的な価値観。これって疲れますよね。そう思う新自由主義的価値観に合わない人たち(たくさにると思いますが)は、日々何とかやりくりしながら過ごしているのではないかなと。なぜこれほどまでに競争を強いるのか?お金を稼ぐ人が正義だというアメリカ的な価値観が、最近では日本でも臆面なく語られそれも違和感があります。かといって、歩みを止めればビジネスパーソンとしても国としても生きていくのが難しくなる。もっと知恵を絞ればもっと違う生き方があるのかもしれないけど。
そんな文句を言いつつ、現代日本で生まれ育った自分にもその価値観が染み付いています。たとえば宗教を信じることができれば一つの救いにはなるかもしれませんが、私は(日本人的な意味での)無宗教なので、生きる指針になるほどの強い信仰心は持てない。かと言って「好きなことをすればいい!」とかポジティブな言説は鬱陶しい(と思うときも私は多い)。
とりあえず一歩でも「善き生」に近づくにはどうするか?前章にある通り、西田は思弁のための哲学をしたのではなく、あくまで自分の人生を生きるために哲学をしました。偉人が人生を賭けて考え抜いた思想です。それも日本人と親和性があるらしい。生きるヒントがもらえるのではないかと期待して学ぶことにしました。
参考書籍をざっと読んだ感想
これからnoteを書きながら深く学んでいきたいと思いますが、ざっと読んだフライング感想を書いておきます(【学び#1-5】でより深く考えをまとめる予定)。
「西田哲学が日本人の思想と馴染む」と言われますが、これは間違いないと感じました。少なくとも自分には馴染む。キリスト教のような一神教の神を私はリアルに感じることはできません。一方で芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の静けさは感覚としてわかります。この直観による「理解」をわからない人に説明するのは難しいですよね。直観でわからないものは、最終的には本当の意味で理解できないのでは、と個人的には思います。この俳句の静けさにはその底に「一なる無」がありそれが「もののあわれ」にも通じる、そのような解釈もできる。この経験は純粋経験と言えそうです(詳しくは次回以降のnoteにて)。
これまで西田を学ぶ機会がなかったのはもったいなかったなと思ってます。なぜこれまで読んでこなかったと考えると、「哲学入門」的な書籍で(日本人が著者の本でも)西田に言及する書籍が少なかったのが一因だと思います。独自思想なので特異点的な扱いなんですかね?それとも(このnoteでは触れる予定ないですが)太平洋戦争との関係から?これほどまでに日本人の感性に合った思想が、学ばれる機会が少ないというのは非常にもったいないと感じました。
というわけで、西田哲学を学びたいと思う人が一人でも増えるようにこれから4つのnoteを書いていきたいと思います。
4. 参考書籍
基本的には原典を読みたい派なのですが、下記の参考書籍の著者達(=人文専門家)が口を揃えて「『善の研究』以外は難解すぎる」と言っており、小林秀雄に至っては「日本語でもない、外国語でもない、奇怪な言葉のシステムで書かれている」と評するほどなので、『善の研究』以外は参考書籍を読むにとどめています。
【1】西田幾多郎 分断された世界を乗り越える(櫻井歓)(講談社現代新書:link)
簡潔に思想とその人を説明する新書シリーズ。
110ページ程度と少なくて挫折しづらい。
少ないページの中で、西田の人生や前期から後期まで一通り大事な考えに触れています。
新書のテーマの通り、最初に西田哲学を概観するのに役立ちました。
【2】西田幾多郎 無私の思想と日本人(佐伯啓思)(link)(新潮新書:link)
あとがきに著者が書いている通り「西田哲学の解説書ではなく、私自身の関心と西田哲学を交差させて評論的エッセイ」です。
著者は西田幾多郎の専門家というわけではないので「良い加減」にエッセンスをまとめてくれています。
精確に西田哲学を学びたい方は専門的な解説書を読んだ方がいいとは思いますが、個人的には一番タメになりました。
西田哲学の「勉強」ではなく、それを自分の人生にどう活用するか?に興味のある方にオススメ。
【3】NHK100分de名著 西田幾多郎『善の研究』(若松英輔)(NHKブックス:link)
100分de名著はもはや古典を読む時のデフォルトと言っても過言ではないですね。
西田が哲学をする意味を掘り下げた形になっていて、西田という人物を理解するのに役に立ちました。
ただし西田哲学の概観というより、著者が西田に共鳴した部分を説明する形になっています。
個人的に「このように読んだらどうか?」という著者の問いかけが特に学びになりました。
【4】西田幾多郎『善の研究』を読む(藤田正勝)(ちくま新書:link)
西田研究の専門家よる解説書。新書で270ページ程度。
逐次的な解説ではなく、エッセンスをまとめる形で描いてくれてるので読みやすいです。
専門家が書いてあるので、西田が何を考えていたか精確に知りたい場合に役に立ちます。
【5】善の研究(西田幾多郎)(講談社学術文庫:link)
西田の代表作。初期思想の「純粋経験」と実存について考察されています。
まだ部分的にしか読んでません。が、そこまで難解な言葉では書かれていない気がします。
解説書を読んで気になる箇所を原典で当たる読み方をしています。
岩波文庫 vs 講談社学術文庫
岩波文庫版:解説書での参照ページはこちらが多く、解説書片手に該当箇所を読む場合は岩波が良いかも。
講談社学術文庫版:逐次注・解説になっており読みやすいです。私はこちらで読んでます。
【6】西田幾多郎 言語、貨幣、時計の成立の謎へ(永井均)(角川ソフィア文庫:link)
文章量は少ないです。しかし解説書ではなく、西田哲学にインスパイアされた著者の哲学書。
しかしそれがゆえ西田の言わんとしたことを書けている、と「はじめに」に書いてありました。
読むのに時間と根気がかかります。かくいう私も読み途中。脳に汗汗。
【4】まで読んだ後に取り組んだ方が良い気がします。
【7】情報の歴史21(松岡正剛 監修)(link)
千夜千冊で有名な知の巨人・松岡正剛が監修した唯一無二の歴史年表。
最近、松岡さん逝去のニュースがありました。ご冥福をお祈りします。
他にも面白い本がたくさんありますので、この機会に手に取ってみてください。
私の最初のnoteも松岡正剛さんの本の紹介でした。
縦軸に時間、横軸に政治、社会、技術、アート、などテーマごとの列が並べられ、これまで別々に確認していた事象を見開きページで一覧できます。
これまでバラバラに記憶していた事象が繋がり面白いです。
では次回から、参考書籍を読みながら、西田のキー思想を私なりに理解していく軌跡を書いていきます。
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