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旅行・食事

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国内外の旅行と食事について
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謹賀新年:愛宕神社の火迺要慎(ひのようじん)

「一年の計は元旦にあり」と言われるが,実行しない計画に意味はない.何をしたか.見るべきものはそれだけだ. というわけで,脚力を中心に身体を鍛えることも兼ねて,1月2日には大文字山に登り,1月3日は愛宕山に登った. 山城国と丹波国の国境にある愛宕山(標高924m)の山頂に鎮座する愛宕神社は,古くより火伏・防火に霊験のある神社として知られ,全国に約900社を数える愛宕神社の本社である. 「東海道中膝栗毛」にも とあるように,古歌にも詠まれている. 大文字山は京都人に愛さ

クリスマスに夫婦で缶詰@JWマリオット・ホテル奈良

2024年のクリスマスイブ=誕生日は東京出張で,12月25日のクリスマスから3連休(というか1月6日まで13連休)のはずが,25日の朝は講義,夕方にはオンライン会議,26日午後にもオンライン会議,27日もオンライン会議2つと学位審査という生活で,代休も有給休暇もほぼ機能していない.まあ,これが平常運転ではある. そんな中,たまにはゆっくり過ごそうと,JWマリオット・ホテル奈良に夫婦で宿泊してきた.1泊だけ.それも1泊2日の小旅行ともゆかず,25日12時までの講義を終えてから

マカオのホテルは★★★★★

人生初のマカオで,コンラッド・マカオ(Conrad Macao)に宿泊した.学会会場の隣にJW Marriott Hotel Macauがあったが,宿泊料金が高すぎて諦めた(Bonvoyのプラチナエリート会員なのでマリオット系列優先).それならマカオだしヴェネチアン(Venetian)にしようかと思ったが,こちらも宿泊料金が高いので諦めた.それでも,コンラッド・マカオも★★★★★の高級ホテルだ. なお,香港経由でマカオ入国管理施設までバスで行く方法は先日書いた通り. マカ

マカオの街

マカオは中華人民共和国の特別行政区であり,香港と同様に「一国二制度」の原則の下にある. マカオの歴史1550年代初頭,ポルトガル人が澳門に辿り着いた.内港の入口に寺院があり,そこは地元民から阿媽湾(アマガオ)と呼ばれていたが,ポルトガル人はこの呼び名を真似て,それが徐々にマカオという名に変わった.その後,ポルトガル人は,広東省の官吏の許可を得たうえで短期間に,中国,日本,インド,ヨーロッパ貿易の主要な中継港となる街を築き上げた. ローマカトリック教会は,フランシスコ・ザビ

香港に入国せずに,香港経由でマカオへ

結論だけ先に書いておく.香港国際空港に到着したら,入国手続きも荷物のピックアップもせずに,Transfer Desk E2を目指して,そこでバスのチケットを買え.後は言われた通りに動けば,バスに乗れる. では,丁寧に説明しよう. 学会参加のため,生まれて初めてマカオを訪問した.マカオには関西国際空港と成田空港からマカオ航空の直行便が出ているが,便数は少ない.今回は国内出張の狭間にマカオに行くため,往路は羽田空港から香港経由でマカオへ(全日空ANA利用),復路はマカオから直

レインボーブリッジを自転車で快走した

レインボーブリッジや東京ゲートブリッジなどを自転車で走行する特別感あふれるライドイベント「グランド・サイクル・東京」に参加した.昨年は抽選に落選して参加できなかったので,ようやく願いが叶った. 飛行機輪行と富士山と研究室同窓会イベント前日の昼,京都(伊丹空港)から東京(羽田空港)へ飛行機輪行した.とても良い天気で,飛行機から富士山が綺麗に見えた.見事だ. レインボーライド前日のこの日,移動の他には何も予定がないので,事前に卒業生に声を掛けて,研究室(ヒューマンシステム論分

二者択一ではない機内食

海外に行くとき,飛行機の機内で食事が提供されることが多い. その機内食が,ビーフかチキンか,和食か洋食か,みたいな二者択一形式ではないことを知っているだろうか. ビジネスクラスの話をしているわけではない.普通のエコノミークラスでも,食事メニューを選ぶことができる.ANAの場合,「特別機内食」として提供されているメニューになる.特別機内食は,宗教上の理由で食べられないものがある乗客や,健康上の理由で塩分や糖分や脂質などを控えたい乗客のために用意されている.それでも,誰でも利

アメリカとメキシコの国境へ徒歩で行く

サンディエゴまで来たので,折角だから,メキシコとの国境まで歩いて行ってきた.とは言っても,アメリカ側国境の町サンイシドロ(San Ysidro)まではトロリーを利用した.サンディエゴから40分ほど. トロリーに乗車しているのはヒスパニック系の人ばかり.サンイシドロ(San Ysidro)に着くと,英語を話している人は皆無で,スペイン語しか聞こえてこない.メキシコに来た感が凄い.これもアメリカか. サンイシドロ駅で線路は途切れるが,そのまま進行方向へ進むと,メキシコへの歩道

巡礼路のもう一つの終着地 ムヒア

フィステーラ(Fisterra)フィステーラ岬からフィステーラの街へ移動し,散策した. ムヒア(Muxia)巡礼路の終端であるフィステーラ岬には,「Km 0.000」の道標がある.スペインのガリシア州には,もう1箇所,巡礼路の終着地であることを示す「Km 0.000」の道標が置かれている場所がある.それが,フィステーラ・ムシアの道(Camino de Fisterra y Muxía)の終着地,ムヒア(Muxia,ムシーア)だ. ムヒアのミラドイロ・ヘスス・キンタナル(

巡礼路の終着地 地の果て(フィステーラ)

サンティアゴ・デ・コンポステーラからのエクスカーション. ムロス(Muros)スペインのガリシア州にある小さな港町.州都サンティアゴ・デ・コンポステーラの西にある.町の歴史地区は重要文化財に指定されている. カルノータ(Carnota)ガリシア地方にある高床式穀物倉庫は「オレオ(Hórreo)」と呼ばれ,田舎に行けばどこでも見掛けることができる.教会の近くに設置されたカルノータのオレオ(Hórreo de Carnota)は,長さ35m,幅1.9mで,オレオとしては最大

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を少しだけ歩く

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を目指す,長い長い巡礼の旅.巡礼者は何十日もかけて巡礼路を歩くが,その最後の数kmだけを歩いてみた. まず,学会会場から,なんちゃって巡礼の旅の出発地点になるモンテ・ド・ゴソ(Monte do Gozo,歓喜の丘)まで歩く.この丘は,巡礼路で初めてサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂が見える場所であることから,歓喜の丘と呼ばれている. 歓喜の丘には,まさに遠くにサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂が見える場所に,巡礼者の像(Mon

サンティアゴ・デ・コンポステーラ:聖ヤコブが眠る大聖堂のミサ

キリスト教世界三大聖地として崇敬を集めるサンティアゴ・デ・コンポステーラで,十二使徒の一人,聖ヤコブの墓がある大聖堂を訪れ,ミサにも参加してきた. スペインの北西,ガリシア州にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)の旧市街は1985年にUNESCO世界遺産に登録された.小さいながらも美しい街だ.さらに1993年には,サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(El Camino de Santiago)がUNESCO世界遺産に登録

魚沼の里で八海山雪室を見学→雪室貯蔵酒を試飲

新潟の南魚沼に来た. 昼過ぎに到着して,そのままロードバイクで「魚沼の里」に向かい,「八海山みんなの社員食堂」で遅めの昼食にするつもりだったが,南魚沼は大雨.仕方なく,ロードバイクはホテルに預けて,タクシーで向かった. 魚沼の里は想像を遙かに上回って美しいところだった.芝生が広がる敷地に,ポツンポツンと店舗や蒸溜所や蔵がある.八海山みんなの社員食堂も,とても開放感がある建物だ. 八海定食・魚定食と迷ったが,フライを食べる気分ではなかったので,日替定食(さわらの幽庵焼き)

日田市大山町の方々が素晴らしかった

3泊4日で大分と日田を訪れた.日田市大山公民館での講演とその後の懇親がとても刺激的で素晴らしい体験だったので,記録しておく. 5月9日午後に京都から大分まで移動した.まず,新幹線で小倉まで,そこから大分までは特急「ソニック」を利用した.ソニックが揺れすぎる.とても酷い.JR特急に乗る機会は少ないが,乗れば揺れる印象がある.私が揺れに弱いのもあるが,とてもパソコン作業ができる状況ではないし,本も読めない.どうやら「振子」が原因らしい. こんなことなら飛行機を使うべきだったか