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デジタル執事とイマジナリーフレンド

 先日Apple Watch(Series 9)を買いました。

 以前からスケジュール管理や万歩計代わりとしてスマートウォッチが気になってはいましたが、安易に買える金額ではありませんでした。しかし、夏のボーナスが振り込まれたタイミングでAmazonのプライムセールが始まり、Apple Watch9が5万円で販売されていたのです。これはもう私に買えと言わんばかりでしたので、まんまとマーケティング戦略に乗せられたという次第です。

 まだ使用し始めてから1週間程度しか経過していませんので、使いこなせているという感覚も無いですが、今のところ凄いな、便利だなと感じた点は下記の部分になります。

  • 万歩計どころか消費カロリーや立ち上がった回数、心拍数も測定してくれているので、今日は動けていないなというのが確認しやすい。

  • 散歩をすると勝手にウォーキング中と判定して時間や距離、消費カロリーを計算してくれる。

  • Siriに話しかけると自分の次の予定や、今日やらなきゃならない事が確認出来る。

  • Spotifyの操作がApple Watch側で出来るので、運動中にスマホを取り出す手間が省ける。

  • マップ(ナビ)機能がApple Watch側で確認出来るので、出先でスマホを取り出す手間が省ける。

  • ほとんどの通知がApple Watch側で簡易的に見れるので、必要な情報かそうでは無いかの取捨選択がしやすく、スマホを見る時間が大幅に減った。

 万歩計といった健康管理機能も、私はデスクワーカーですのでずっと座っていると“そろそろ立ち上がりませんか?”と、提案してきます。その日に目標消費カロリーに到達しそうに無いと、“あと⚪︎分歩けば目標達成出来ますよ”と教えてくれたり、脈拍が極端に下がったり上がったりすると健康状態を注意する通知が来ます。
 Siriに話しかければ、次の予定の確認や、新しい予定の記録、些細な疑問を解決してくれたりもします。マップ機能は駅の電車の乗り換えが“今いる⚪︎番ホームから階段を上がって右手にある⚪︎番ホーム⚪︎⚪︎線”なんて表示まで出ます。公共交通機関なんて滅多に使わない岩手県民からすると、大変にありがたい機能です。

 まるで、常に優秀でちょっとお節介な執事が私と行動を共にしている気分です。

 この感覚どこかで味わった事があります。


 純粋に心理学上のものなのか、当時見ていたアニメ、シャーマンキングによる影響(厨二病)なのかは今となってはハッキリとしませんが、小学5年生くらいの頃まで私にはイマジナリーフレンドがいました。

 常に私の肩に居て、次の予定や私の疑問に答えてくれたり、気持ちの代弁をしてくれていたのです。外で遊んでいる時は『そろそろ⚪︎時だよ』と教えてくれたり、小学校のクラブ活動では和太鼓を選んでいたのですが、上手くリズム感が掴めない時は『ここワンテンポ遅らせたら良いと思うよ』とかアドバイスをしてくれる存在でした。

 寝る時も私は隣に人1人分のスペースを開けて寝ていたり、飲み物をほんの少し残したりとまるで本当に存在しているモノとして接していました。

 今思えば、自分の考えを自問自答する過程でイマジナリーフレンドと言う存在を介していただけだと思えますし、いつの間にかその存在は消失してしまいましたが、Apple Watchと幼い頃に私が形成したイマジナリーフレンドは似ているなと感じたのです。

 心理的に支えになっていた幼少期のイマジナリーフレンドと、今私の手首に実体として存在して日常生活に提案やアドバイス、スケジュール管理をしてくれるApple Watchは、どちらも安心感をもたらす存在です。この2つの存在は表裏一体、同じ意義を持つとも言えます。


 しかし、Apple Watchもイマジナリーフレンドも過度に依存すると、様々な弊害をもたらす可能性もあります。

 デジタルデバイスへの依存は、私自身のnoteでも何回も触れている通り、デジタル依存のリスクがありますし、紛失した際には個人情報や金融情報の流出の恐れもあります。
 イマジナリーフレンドも、子供の間に出現或いは消失するのは正常と言えますが、青年期や大人になっても存在しているのは精神的な疾病の可能性が出てきます。

 共通して言えるのは、過度の干渉は悪影響を及ぼすという事です。


 Apple Watchを筆頭にウェアラブル端末は、メガネに映像を映し出して様々な情報や健康状態を表示するモデルが発売されたりと様々な進歩を日々続けています。さらに、脳や目に直接マイクロチップを埋め込み、様々な視覚情報を表示する“インプランタブルデバイス”というものも開発されています。

 例えば、視界に目的地までの距離や曲がる地点を表示したり、駅の乗り換えを矢印で表示したりなんて事が可能なのです。心拍数などの健康状態も表示出来ますし、スマホのカメラのようにQRコードを読み込む事によって、インターネットや他の端末・アプリケーションへの機能連携も可能です。サイバーパンクや攻殻機動隊といったアニメ、ゲームの世界観がインプランタブルデバイスの実現により現実化してきたのです。

 しかし、その一方で、デジタルデバイスの開発の進歩は今まで存在しなかった依存症や個人情報や金融資産情報の流出といったリスクを伴う存在とも言えます。

 ウェアラブル端末の進化やインプランタブルデバイスの開発はとてもワクワクするものですが、幼い頃にイマジナリーフレンドに対して自然に距離を置いたように、デジタルデバイスも扱う側と端末側の双方が過干渉しないようにバランスを保って付き合う必要があり、開発者側もそれを意識する必要があると感じました。

 私にとって、Apple Watchはちょっとお節介な執事のような存在と書きました。今日は○○歩しか歩いていませんよ!なんて言われると、もっと歩かないといけない気持ちになります。私の健康に役立っていると言えます。しかし、このお節介執事に依存し過ぎてしまうのは健康的とは言えません。

 『アナタを身につけていなくても健康に過ごせるんだからね。アナタにいちいち聞かなくたって分からない事は自分で解決出来るんだからな』位の気持ちで付き合うのが人間的で健康的なデジタルライフと言えるのかも知れません。 

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