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"どうでも良い"は無駄なのか

 皆様は床屋、美容院、美容室での会話好きですか?衣料品店で店員さんが話しかけてくるの好きですか?

私は大好きです。

 "世の中で最もどうでも良い会話"などと揶揄される床屋、美容室での会話です。

 しかし、私個人的にはあのどうでも良い会話をしたいが為に髪を切る際は、車で1時間弱程度の距離にある美容室にかれこれ15年ほど通っています。来店の際は互いの近況や最近食べた物、最近ハマっているコンテンツ、昔話etc…様々な取り留めのない会話をしています。

 時々どうしてもお互いの都合が嚙み合わなくて、私の住まいの近くにある俗にいう1,000円カットで軽く髪を空いて貰うのですが、ああ言ったお店は基本的に"数"をこなさなくてはなりませんので、常連でもない限り会話が無く大変寂しいです。私はどうもこのパーソナルエリアに人がいるのに会話が無い空間が苦手です。かと言って、私からいきなり"世の中で最もどうでも良い会話"を展開するのも何だか変な気もするので、モヤモヤしながら散髪をされています。

 思い返せば、タクシーを利用する際も会話はいつも私からです。
 『最近どうですか?コロナ禍開けて人は増えました?』とか『随分人通りが多いですけど何かあるんですか?』とか、それこそどうでも良い話を始めます。悪い顔はされません、タクシーの運転手というのは基本的にはお喋りさんが多い印象です。

 衣料品店でも私はそうです。どの色の服を悩んでいると『お悩みですか~?』なんて声を掛けていただけたら完璧です。実際私はどの色の服を購入するか迷っているのですから、第三者の意見というのは非常に重要です。普段私はどういう色の服を着るでどちらのカラーが似合うのだろうかだとか、この色のアウターに合わせるなら何色のボトムスが良いのだろうかとか、そういう話が聞けます。つまりは、個人的な主観だけでは無くて客観的な意見を聞ける訳ですから、私の思いつかないコーディネートを提案していただける可能性があり、新たな知識や多角的な見方を得られるという事になります。

 最近は、こういった"業務外の会話はしないお店""お客様で出来る事はおまかせする(セルフサービス)"のお店が増えてきました。

 こうしたサービスやコンテンツが増えた理由としては世の中が"効率化"や、俗に言う"タイパ"を求めるようになったからだと私は思います。

 確かに、ガソリンスタンドはセルフ形式にすれば給油をするという行為をする人員と、窓を拭いたりといった+αのサービスを提供する人員を雇わなくて良くなります。つまり、人件費や作業時間の削減出来るので、企業形態としては非常に"効率的"と言えるでしょう。セルフうどん店も増えましたが、注文を受ける人員をわざわざ雇用しなくても良いので、これも同様の理由と考えます。

 さらにコロナ禍もあり、不必要な密集や会話を避ける風潮が高まり、床屋や衣料店はお客様に対して自身からアクションをしないようになりました。

 この話を周りの友人と話すとこういった会話や接触の少ないサービス形式の方が助かるといった方の方が多いようです。理由としては『元々他人との会話が苦手』だとか『一人で服や商品を選びたい』といった理由が多いようです。

 私自身は第三者の意見や、私の持ち得ない物の見方を知りたいのでこういった世間の風潮というのはとても寂しいのですが、周囲はそうでも無いようで、そんな"オールドタイプな接客"を好む私の事を『老人』だのと小バカにしてきます。


 私の仕事も接客が大部分を占めるのですが、なるべく業務外の会話というのを重要視しています。というのも、リピーターというのは仕事のサービスのクオリティの良さで訪れるというのはその通りですが、店員の対応やトーク力でも大きく左右されないでしょうか?少なからず私はそのクチです。

 体験談を書きます。

 私の仕事のメインが接客だというのは先ほど書いた通りですが、ある日新規のお客様が来訪されました。私はいつも通りの接客をし、それこそ業務的な会話をして資料等をお渡ししてお客様をお見送りする過程となりました。ふとお客様の乗ってきた車を見ると、30年ほど前の輸入車でした。少なからずその車両に対しての拘りや思い入れが無いと容易に維持管理は出来ないモデルです。
 それに対して私が、そのモデルを所有している事に対して賞賛をし、装着されていたホイールの銘柄や希少性についても少し話をすると、お客様も今までの業務的なやり取りから一転し、表情も和らいで一気に車談義となりました。

 結果として、そのお客様は新規顧客となり今日までの継続的な取引が続くようになりました。
 今でも勤め先を訪れた際は、私を指名して下さり、業務的な話は"そぞろに"して、お客様の車に新しく装着したパーツの話といった車談義に花を咲かせています。

 同じように、身に着けている衣服や装飾品を賞賛して、少しお互いに語りあうという接客をする事によって、継続的な取引をしていただいている顧客は、私の担当という範囲では比率として多いです。

 恐らくは、業務外の雑談をする事によって、互いの壁が低くなるのと『あの時こういう会話をして○○が好きな人だ』といった具合に、記憶に残りやすい人にもなっているからだと私は思います。

 個人的には仕事における持続的なお付き合いというのは、業務的な部分以外で決め手が出てくるものだと思っています。


 労働者人口の約半分の仕事がAI(人工知能)によって代替可能という試算という記事を以前に読んだことがあります。

 確かにAIの方が、我々が本当に必要としている製品やコンテンツ、サービスを提供してくれますが、果たしてそれで継続して利用しようという気持ちになるでしょうか?少なからず私はそういう気持ちにはなりません。

 コンテンツやサービスの提供というだけであれば、AIの方が優れていますが、そこから先のビジネスにおける"雑談""おべっか"というのは人工知能では難しいと言えます。

 例えば、お客様が西陣織のネクタイをして私と商談をするとします。一通りの業務的なやりとりが終わり、私は『そのネクタイ素敵ですね、西陣織ですか?』と、お客様に聞くとしましょう。するとそのネクタイの思い出や思い入れといった話になり、西陣織なので京都で料理が美味しいお店の話などに繋げる事が出来ます。
 しかし、私はそこまで京都にも西陣織にも詳しくないので、先方の知識を聞いて自分自身の知見として吸収できますし、次に会う機会があった時の話題としても残しておく事も可能です。

 これを逆にAIに『その素敵なネクタイは西陣織でしょうか?』と聞かれたところで"膨大なデータベースに基づいた答えの分かっている疑問形"でしかないので、言わば嫌味に近いようなニュアンスになってしまうのではないでしょうか。

 こうした膨大なデータベースを持っていない人間味のある部分こそがビジネスにおいて大切であり、それが"人と人との繋がり"と言えるのでは無いでしょうか?


 "効率化""タイパ"を求める世の中の流れに対して逆行するように巷では"レトロブーム"というのもあります。

 スマートフォンで簡単に聴ける音楽もわざわざカセットテープやレコードで聴いたり、あえて90年代のビデオカメラのような荒い画質で動画を撮ってSNSで上げたりといったのが主だったレトロブームです。

 我々世代はカセットテープは子供の頃当たり前に使って来ましたし、荒い画質のカメラ映像も馴染みのあるものですが、若い方にはそれが逆に新鮮だというのです。俗に言う"エモい"という表現になります。

 音楽を聴くのにも今は画面を押せば当たり前に次の曲に飛ばす事が出来ますが、カセットテープだと頭出しというひと手間を、レコードだと針を上げて、曲間の溝が刻まれていない部分に落とすという行程が必要になります。

 若い世代の方々はこういった"ひと手間"が逆に人間味を感じて新鮮との事のようです。

 スマホの台頭、AIの進化、効率化やタイパの追求、と世の中は日々目まぐるしく変化してどんどん無機質になっていると私は感じます。
 若い世代が古い機械の"ひと手間""人間味"を感じてくれるのであれば、同じようにビジネスにおける"無駄な雑談"にも心の通う温かみを見出して欲しいなと願います。そうすれば、今後年老いていく私や私のような"老人と揶揄されるアラサー世代"が楽しく買い物や仕事が出来るような世の中が少しでも長く続いてくれるのでは無いかなと思うのです。

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