中間組織としての「派閥」と組織内多元主義
昨今の報道でも、あたかも派閥解消が圧倒的な善であるかのような印象をばらまいています。
しかし、政治組織内の「派閥」をもっとも気嫌いしてきたのは、中国の皇帝=官僚制であり、派閥を作ることを「党錮の禁」という形で弾圧してきました。それでも、科挙の試験官-受験生の形での親分-子分関係が非公式に発生することはなくなりませんでした。
また、近代史では、派閥を忌み嫌ったのは、スターリンや毛沢東で、派閥の禁止とは、結局、党員を個人に分解し、直接かつ純粋に党首への忠誠を誓わせることと