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分業が持つ「破壊力」を制圧する!

 アダム・スミスが見出していたように、経済規模の拡大(=G-W-G’過程である金儲け)のためには、「分業」が必須である。他方で、マーシャルは、分業の進展(より細分化されていく)には、市場規模、つまり分業によって生み出される財・サービスの「販路」の拡大が必要だとも喝破している。つまり、分業にとって、販路の大きさが制約条件になるということだ。
 
 グローバル化によって、この市場規模の制約が、地球規模にまで取り払われてしまった。そのため、巨視的に見ると「仕事の細分化」が圧倒的に許容される経済構造が生み出されてしまった。
 これを逆転させるには、それぞれの事業体がリーチできる市場を制限するのが、本質的な手法ということになる。極端な言い方をすれば、反「楽市」政策、市場分断政策を実施して、市場のセグメント化を進める必要があるということだ。

 同時に、労働において「構想と作業を統合」しつつも、生産性があがる、少なくとも現状維持できるように技術を発展させるということである。
 工程を分断することによって、その「狭い」範囲の作業の効率性を求めるのではなく、最終製品の作成工程、又はサービスの最後の提供までを一人の人間が担当できるようにし、その製造、提供過程全体をどう効率化していくかという方向でのテクノロジーの発展、メソッドの開発を進めていくことが求められるのだろう。
 つまり、テクノロジーで支えられた「新職人」というリスクテイクする生産者像(労働者像)を確立していくことが必要なのだ。

 その際、労働を行う「新職人」一人ひとりごとに、異なったスループットを制約する「ボトルネック」があるはずで、そのボトツネックを一つひとつテクノロジーとメソッドで解消していくのである。
 同時に、需要者側も自分の欲求に自覚的になって、差異を認識することが必須になる。お仕着せの規制品に我慢する必要はない。
 ただ、「待つ」ということも楽しめるような精神的余裕が必要になるし、探す楽しみを見出すことが必要になるだろう。

 実は、クラファンや各種のマッチングサービスには、そういった要素があり、テクノロジーは使い方次第という気がしている。

 同時に、経済制度的に、規模の大きい事業体に対する課税の強化、財・サービスの移動に対するコスト負担の強化などが求められるだろう。新しい「関所」ということだ。特に、資本移動に対するコスト負荷は、喫緊の課題だと思う。