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世界の終わりには花を育てよう。

ゴミ袋が有料化したときに、料理の際に出る野菜・果物の皮、ヘタや種だけを一か所に集めることにした。可燃ゴミにそれらを混ぜないように別のゴミ箱を用意したら可燃ゴミが軽量化して、臭いが減った。
集めた野菜くずたちを一旦、米糠と少しの土といっしょに蓋つきのポリバケツに入れて屋外で保管して発酵させる。次のゴミを入れるとき、蓋を開けると独特の匂いがするが不快ではない。純粋に植物のみだから。
夏は外気温のせいで発酵がよく進むからより匂いが強いが、冬はほとんど感じない。

しばらく溜めたら、狭い庭の一角に深い穴を掘って、ゴミを投入し、農協で無料でもらった米糠と買った籾殻燻炭を上からかけて、掘った土を戻して埋める。そのまま雨風に晒す。
それを何年も繰り返している。
気温が高いと早く分解されて、黒い土になるが、寒い時期は掘るとまだ黄土色の粘土のような状態である。

さらに植物の残渣を今日は集めて燃やして灰を作った。それも混ぜる。
トケイソウの伸びきったツルをすべて整理して揚げ物の廃油をかけて燃やした。隣家は離れていて地続きでないので助かった。
周りは田畑でみんな野焼きするから、誰も文句は言ってこない。
ところで、トケイソウの葉や茎には鎮静作用があるそうだ。
今日は煙をうんと吸ったが大丈夫だろうか。
明日、目が覚めないかもしれない。

黒くなってさらっとした土は、園芸や野菜の栽培に使う。
気が乗らない年はなにも作らないため、土が増える一方だ。

ほんとうはこまめにゴミを混ぜ返したり、もっと栄養バランスを考慮してなにか肥料を足すべきなのかもしれないが、考えるのも買い物に走るのもなんだか、という気持ちになり、最も手に入りやすいものだけを使って、そしてそのいい加減に作った土で生きられる植物だけ生きたらいい、と思うようになった。

変な話だが、これはサバイバルのためにやっている。
種か苗さえあればなにかを作れるように、土を予め作っているのだ。
私はもう十分生きたので適当にするが、こどもたちはこの先どんな世界を生きるのかと考えた。
何年も前から食糧難が来るぞ、バッタが飛来するぞ、などという終末論的な言説に私は染まるようになった。
その影響で、面白半分にサバイバルについて考えるようになった。
もし、肉類が手に入らなくなったら。
野菜が十分に行き渡るように小売りされなくなったら。
戦争を知らない私たちはどうやって食べていくのだろう。
作るしかないではないか。

一番簡単な、ジャガイモとタマネギを実験的に作った。
手を抜くと、収量が少なく、サイズが大きくならないことがわかった。
こまめに芽かきや追肥が必要だった。
それでもなんとか少量だが、食べられるくらいの野菜を作ることができた。
ほんとうは農薬や肥料などなしに作れたほうがよいに決まっている。
それで土を自家製することにしたのだ。

たまに、買ってきた野菜の一部や果物を腐らせてしまうことがある。
でも、これ全部土に還せるのだ、と思うととても気がラクになる。
青かびが生えても大丈夫。全部自然に任せる。
おかげでなんか変な虫がいっぱいいるし、たまにネズミも産み付けられるけど、夏になるとヘビが来て食べているようだし、みんなかわいい。
冬眠してるカエルも、植木鉢に挟まって死んでるヘビも、なんかウネウネしてる幼虫も、勝手に走って行く小動物も。みんな協力してくれてる。
いただきます、御馳走様とは、料理を作ったひと、材料の生産者、動植物、協力してくれたすべての生き物に向かって放つ言葉なのだ。
こどもたちにはそれを体感していてほしい。

大変な世の中にならなければ一番いい。
ただ、いまの世界のままってことはないのだろうと思う。

こどもたちは野菜を作れるだろうか。
そのときに考えたらいいけどね。

私は自分で作ったサツマイモを食べて生きられるだけ生きて、これまでに植えてきた宿根草を眺めて暮らすのだろう。
新しいお花を誰かと交換したりして。

贅沢な暮らしをしてきたなって思い出しながら。


覗いてくれたあなた、ありがとう。

不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。

また私の12ハウスに遊びにきてくださいね。

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