【あの背中とは】 映画 「ルックバック」
人は1人で産まれて、1人で死ぬ。
そして、その間に続く「人生」とやら言う時間の大半を費やすこととなる「何か」に対峙している時、人はやっぱり1人だ。
その孤独の中で「何か」に対する「好き」や「情」を持て余してしまうことも、しばしばだ。でもどうしてもその思いを手放せずに、もう少し、もう少しと手を伸ばし、背伸びをし続けてしまう。
無邪気に手を伸ばせば星に手が届くと思っていた幼い年月を経て尚、好きなことを好きでい続けられることは、努力だ。それは、御花畑的な道では決してない。自分には才能がないかも知れないと思い悩み、のたうち回った挙句、もっと楽で楽しい毎日だってあるはずだとがむしゃらに逃げ、違う道に浮気なんぞしてしまったとて、好きはそこに頑とあり続けるのだ。悔しいことに。
道を、あるいはそのやり方を悩まずにいられる天才は、ごく僅かだ。この世は、手が届かないかも知れないけれども手を伸ばさずにはいられない人で溢れている。
だから、ただひたすらに見続けるしかないのだ。「好き」にかじりつこうとしている両手を。時折見上げた時に視覚やら聴覚やらに入ってくる思いがけない光景に、僅かながらでも背中を押してもらえるように。
これからどれくらいの作品に関われるかは分からない。その最中はいつも怖いし、不安だ。これで最後にしようと思ったことも何度もある。でも終わったら、やっぱりまた関わりたい、やらせて頂きたいと思ってしまう。
例え怖くて孤独でも。
台詞が僅かなラストの劇伴に、視界がずっと曇っていた。
井の中の蛙であることを思い知らされた時の、恥ずかしさ、いたたまれなさ、プライドの持て余し方にそわそわした。プライドゆえに、好きなことを好きと言えなくなって顔を背けても、衝動はやはり消えはしない。選ぶ道は、結局変わらない。
水たまりなんて気にもせず、スキップして帰りたくなるほどの嬉しさ。誰かに貰った一言で、世界の色は変わる。
空を仰いだ。
言葉に詰まって雄叫びを上げている私の上にも、お月様はいる。
私の背中は、どんなだろう。
明日も良い日に。