【人に固有の能力とは】 ナショナルシアターライブ 「フランケンシュタイン」
人体とは、電気信号の集合体だ。
であるとするなら、科学の脈動を駆使すれば、人間だって作ることができる。
では、そうやって作られた命は、人間なのか?それともモンスターか?
生まれたばかりの「モンスター」は、太陽の光をただ喜び、鳥の鳴き声に驚き、土や草の香りを何に遠慮することなく吸い込み、空から降る雨に濡れては歓喜の声をあげる。
赤ん坊と同じように、周りの言葉を、善悪や汚いや綺麗の区別なく、真似て覚える。
目が見えない老人だけが、彼を対等に見て、読み書きを教えた。「見る」「見える」ということは、時に人を盲にする。
脳は、人に福音を与えるが、同時に人を愚かにする装置でもある。
世界に1つしかない存在と、その存在を知るたった1人の人間。
理解者は、お互いしかいない。お互いしか、自分の存在を肯定できる人がいない。話しが通じる人は、他にはどこにもいない。
2人とは、最小限の「群れ」の単位だ。
「人はなぜ群れるのか。」モンスターは問う。「寂しいからだ」と老人は答える。
「ではなぜ人は、殺し合うのか。人がいなくなったら、寂しくなるというのに」
この問いに、老人は答えられない。大人になると、こういう疑問に対して、心がどんどん麻痺してくる。考えても仕方ないから。考えても、現実を止められないから。考えても、辛くなるだけだから。考えるのが、面倒だから。
原作「フランケンシュタイン」が書かれたのは、1818年。江戸時代ですよ、江戸時代!!!!
そんな時代に、10代の女の子が、こんなSFを書いていたなんて、天才すぎる。そして未だにその中の問いかけが現代にも響くなんて、古典すぎるにもほどがある。
それを舞台化したダニー・ボイルも天才すぎる。
盆の使い方が何しろすごい。捩れるように上下していく盆の上の景色は、目の前で消えていく記憶のようだった。
そして、天井に飾ってある無数の電球。それがスパークする度に、心臓が一緒に飛び跳ねる。そこから、何かが伝播する。脳内シナプスと連動する。
ジョニーの怪物版を、最後にもう1回見たかったので、無理くり時間を作って見てきた。見納めできて、本当に良かった。
願わくば、生の舞台でいつか観てみたい。
前回コロナ禍で見た時のnoteはこちら。
明日も良い日に。