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きみと、Paris in Love の残り香。
今思えばここでステイにすべきだったのだ。
好き、と言われると困る場合もあるけれど、推し、はいい。恋愛感情なく人として好かれていると、少し大胆に心を許して安心して関わることができた。
明日は出社する?と毎日のように確認してくるようになっていたきみに、私からも明日出社?と尋ねるようになった。明日こそリモートする、と言うきみに、別に自由にしてくれていいと思いながらも、えー来てよー、(きみの名前)いないとつまんないじゃん。と目を見て笑って返すようになった。そう言うときみは必ず来てくれると知っているから。
こう言ったらきみはどんな反応するんだろう。
どんな行動をとってくれるんだろう。
そんな、恋の駆け引きというよりかは、いたずら心に近い気持ちできみと関わっていた。
だからあの日だってそんなつもりじゃ、なかった。
あの日も、いつも通りきみと昼ごはんの約束をしていた。だけど昼休みに急遽打ち合わせが入って、そのあとの14:00頃から空いていた時間も埋まって、気がつけば9:30〜16:00まで休憩のないスケジュールができあがっていた。
14:00頃まで私の様子を伺いながら待ってくれていたきみに「ほんとごめん、昼は厳しいかも、夜ならいけるんだけど」と伝えた。
きみは本当にわかりやすい人だ。あの時もきみは一瞬、目を見開いて呼吸を止めて「動揺」という顔をしたけれど、すぐに思い直して 誰か誘ってみるか、と言った。自発的に(2人なわけない、なに勘違いしてんだ俺)と独白を入れているかのような間があった。
お昼は2人で行くけど、夜ごはんは2人では行かないんだなぁとぼんやり思った。ただきみについての新しい発見をした、みたいな感じで、そこに対して残念だとか、ほっとしたとか、なんの感想も持たなかった。
梅雨の時期だったその日は雨だった。雨に濡れたリュックを背負った同期の姿や、お店で傘をどこに置くか迷った記憶なんかがある。その日、私たち6人は同期がたくさん住んでいるきみの街の居酒屋さんを2軒はしごした。
2軒目はきみのお気に入りのお店らしかった。
このつくね、おいしいんよ!と私に薦めてくれたそれは少しコリコリとした食感があってタレと卵がちょうどよく主張していてとてもおいしかった。つくね界隈でナンバーワンかもしれないと、思わず目を見開いて、おいしい!と声を上げた。え、なに(私のあだ名)がかわいい!とみんなが盛り上げてくれる中、きみは私の顔を見て一瞬静止して目線を逸らした。そして、おいしいやろ?と変な関西弁で訊ねた。
飲み会へ行くと、ときどき、私はこの場にいなくてもよかったんじゃないかと、思うことがある。社会人に入ってからも幾度となくあって、そんなとき顔を上げると、きみが少し疲れたような顔でジョッキに口をつけていたり、すぅっと存在感を消して少し退屈そうに背もたれにもたれかかってスマホをいじっていたりすることがあった。
だけどきみは、それで終わらずにきちんと会話に戻る。退屈そうにするのは良くないことな気がして、自分から会話に戻ることもできない私はそれまできっと我慢していた。だからきみを見て、自分のペースで無理せず楽しむような身の振り方があったんだなって思った。
その日のきみは、疲れたとか退屈とかではなく、しんどそうだった。だから飲み過ぎじゃない?と言って、店員さんに水を注文して、すっときみに差し出した。
そんな私たちを見て、みんなが「おい!そこ、イチャイチャするな!」
「またふたりだけの世界に入って!」と、言っていた。
きみが住む街から私が住む街までの終電は、23時48分。
みんな近所だから終電という概念がなくてあまり焦っていないから、23:30くらいから私はひとりで焦っていた。カバンまで持ちはじめる私を見て「そんな焦らんで大丈夫やで。ここから駅まで3分あれば着くから」と同期が言った。
結局みんなでお店を出たのが23:40。
(私のあだ名)、やばいかも、(きみの名前)、送ってってあげて、と言う同期の声を背に、きみと私は走り出した。
23:45、駅に着いた。
なんかあったら連絡ちょうだい、と言うきみにありがと、バイバイ、と言って、改札を抜けようとするとピコーンと音がした。ここに来たとき、改札をうまく通り抜けてしまったらしい。
え、やばい、と思いながら急いで駅員さんにエラー処理をしてもらって、改札を抜けたのは、23:46。これなら間に合う、と1・2番線のホームに向かって走りだしたのが、23:47。電車に飛び乗って、よかった乗れた、と肩を撫で下ろしたのも束の間、それが反対方面行きだと気づいて電車を飛び降りたのが23:48。急いで正しい電車に乗ろうとして、その電車の扉とホームドアが閉まってしまったのも、23:48。
え、え、え、どうしよう、え。
とりあえず、連絡しなきゃ、とスマホを取り出した。
きみに電話して、逃した・・・と言ったら、え?乗れた??良かった!ときみは言った。アホか、乗れてたら電話しとらんわ、と、の・が・し・た!!!と叫んだ。
きみも、「え」と言ったあと、「…とりあえず降りてきて、さっきと反対側ね」と言った。
私が指定された場所へ行くと、きみはすでにそこにいた。
姿を現した私に、なにやってんねん!ときみは言って、
私は間に合ったんだよ、だけど逆方面の電車乗っちゃって、気づいた時には正しい方もう行っちゃっててさ、とひとしきり言い訳を並べて、
とりあえずごめん・・・と謝った。
はぁーーっとため息を吐いたのち、きみは「俺ん家、来るしかなくない?」と言った。
今思えばホテルに泊まるとか、1万円以上払ってタクシーに乗るとか、カラオケで始発までオールするとか、いくらでも方法はあった。だけど、終電を逃すというイベントが自分の人生に発生するとは思ってなくて、そう言われてそう・・・だな・・・と思った
けれど、きみには彼女がいて、私には彼氏がいるから即座に「いや、ダメでしょ、だって(きみの彼女)・・・」と言ったけれど、そんな私の言葉を遮ってきみは「そりゃ(きみの彼女)には言えないけど、でもそうするしかないでしょ!」と言ったから、そこまで言われたらそうするしかない気がしてきて「…ごめん、」と、きみの家にお邪魔することを認めた。
彼氏でなくても男の人の家でふたりきりということは、つまりどうなってもおかしくないということくらい、私もわかっていた。
普段なら彼に対して死ぬほど罪悪感をおぼえたと思う。だけど当時の彼は、ことあるごとに別れようと言って、私が火傷していても気にせずESを書いていたくらい、態度も行動も酷かったから、彼に対してはもはやほとんど何も感じていなかった。
もしそういう展開が待っていたとしても、きちんと断ればいい、断り切れないのならそれは自分の時間管理の至らなさが招いたことだし、と思った。だけどその中のどの感情よりも、きみはそんなことする人じゃない、という信頼の方が大きかったから、きみについていった。
きみの家は駅から出てすぐの公園とショッピングモールを抜けてすぐのところにあった。築年数はそこそこ行っているマンションの1Rのお部屋で、だけどきみの掃除と整理整頓が行き届いている綺麗な部屋だった。
バッグを置いたあと、「…お風呂はここね」と言って扉を閉めようとするきみに「なんか服借りてもいいですか…」「使ってもいいタオルはありますか…」と尋ねると、半ズボンとTシャツを渡して、「…風呂場にあるタオル好きなの使って」「…あとお風呂場、鍵閉まるから」と言った。
洋室とお風呂場の扉を閉じた後、顔を手のひらで覆ってはぁーと息を吐いた。
緊張して、なぜだか恥ずかしくて、顔が熱かった。今絶対顔が真っ赤なんだろうな、と思った。
シャワーを浴びている間、自分が何も持っていないことに気がついた。
あまりに突然な想定外のことすぎてふたりして動揺し、コンビニにも寄っていないせいで歯ブラシも、下着の替えも、コンタクトケースも、翌日用の化粧道具も、ない。ドライヤーも明らかにあるの見えているけれど、なんか勝手に使うの申し訳ない。不幸中の幸いなことに次の日は土曜日だったし、化粧に関しては自分のスキルじゃすっぴんとそう対して変わらん、歯磨きや下着は何も起こるわけがないから隠し通す、うん。大丈夫。
そうやってシャワーから出ると、床に布団が敷いてあって、デスクのモニターからYouTubeで音楽が流れていた。
「…お待たせしました」と言ったはいいけれど、いつものようにきみの目を見ることはできなくて、きみからも動揺が伝わった。
「…先、寝てていいから。おやすみ。」と電気を消してきみは扉の方へ歩いていった。
少しの間、布団の上で三角座りをしていたけれど、寝るしかないかと思って横になった。
しばらく経ってきみが帰ってきて、横たわる私を見て「…寝た?」と呟いたから、「…起きてるよ」と答えた。
「俺、そっちで寝るから、ベッドで寝てください」と言うきみに、
「ダメダメ、泊めてもらってる分際でベッド借りるわけにはいかない」と断ると、「女の子に床で寝かせるわけにはいかない」と言ってきみは「だからほら、ベッド行って」と私の腕を掴んだ。
ただでさえ恥ずかしくて熱い身体が、きみに掴まれたところだけさらに熱を帯びた。「腕、熱っ」と言ったきみに「暑いよ!!!」と言って咄嗟に振り解こうとした私の腕をさらに捕まえたきみに
「いやいやいや、これ以上私の罪を増やさないで…家泊まってるだけでも問題なのにベッドに寝たなんて(きみの彼女)に殺されるよ…」と伝えたけれど、ううんと首を振る。私も負けじとううんと首を振ると、「俺にも意地があるから…」と訳のわからないことを言う。私も、とよくわからないところで張り合って、
結局じゃんけんをすることになって私が勝った。勝った人がベッドと言うルールだったけれど、「勝者が決めるの、だから私は布団で寝る!」と言った私に、「敗者が布団で寝るの、だからベッド行って」とやっぱり連行されたから、仕方なく「わかったよ、ありがとう」と言ってベッドに乗ると、すぐに分厚い布団を頭の上まで被せられた。
すぐに顔は出して、他も暑いから剥ごうとしたけれど、すぐにまた布団を被せられた。足だけでもいいから出したいと膝下だけ出してみたら、懲りずに黙って布団を被せられた。
見上げるといつもより鋭いきみの目線が刺さって思わず布団に顔を埋めた。
男の子特有の雄って感じの、あんな表情をきみも持っていたんだなって思ってどうしたらいいのかわからなくなった。
布団から顔を出すと、きみがこっちを向いていたから、慌ててきみに背を向けた。
それから何時間経っただろう。何度寝返りを打っても目を瞑ってみても寝られなかった。
一度、お手洗いへ行こうとベッドを出たタイミングがあった。きみは寝ているようだった。
帰ってくるときみは布団の上できょろきょろしていて扉から現れた私を見て、はぁ〜っと息をついて「よかった。どっか行ったかと思った」と行った。こんな夜中にどこへ行くんだ、どっか行ったらきみの家に着いてきた意味はないだろう、と思いつつ「どこも行かないよ」と笑った。
ベッドに入って少ししてきみから「寝た?」と問われて、「寝てないよ」と答えた。なんでやねん、とツッコむきみに「…寝れるわけなくない?」と言うと、きみは本日何度目かのため息を吐いた。
身体を起こしてベッドに腰掛けるときみも隣にやってきた。暑いんだよ、うん、さっき腕めっちゃ熱かったもんな、みたいな話をした気がする。
暑いから、という理由で、敷布団が寒いというきみと入れ替わって敷き布団に戻ったきたのに、少し経ってきみからの「…こっちくる?寒いでしょ」という呼びかけに、寒くないのに応じたのはなぜだったのだろう。
シングルベッドの中で、きみと向かい合わせになった。あまりの視線の引力に背を向ける方が不自然とすら思えるほどで、私たちはしばらく見つめあった。
かろうじて距離を保つために、きみとの間に無造作に放り出していた手に、きみの手が伸びてくるのがわかったときも、手と手が重なったときも、私は振り解きはしなかった。
どんな反応をすべきなんだろう。
とそればかりを考えていた。
きみから重ねられた手を、握ってみた。
握られた手を、握り返してみた。
きみはどんな顔をしているだろうと、きみを見つめてみた。きみはきみで私をじぃっと見つめていた。
たしかに緊張はあるはずなのに、きみに近づくにつれて、ガチガチだった身体が緩まり解かれていくのを感じた。
それでも、それ以上のことは何も起こらなくて気恥ずかしくなって枕で顔を隠した。急に歯磨きできていないこととか、顔がすっぴんなこととか、ドライヤーで乾かせていなくてぐちゃぐちゃな髪とか、腕と足のムダ毛とか、そんなことが気になった。だけど、それ以上のことはなにも起きないと、心のどこかでわかっていたから、服の中の下着とかムダ毛とかまでは気にならなかった。
少し顔を隠したあと、おそるおそると顔をあげてみると、きみの視線は全く場所を変えずに私を見つめていた。
きっと、私にとっての「心が動いた一瞬」はこの時だった。
いつもよりも真剣で鋭くて、それでいてやさしさとあたたかさに溢れた瞳と繋がれたきみの手があれば言葉なんて必要なかった。
実際どれくらいの時間が経っていたのかはわからないけれど気がつけば少しの間、目を閉じて眠っていて、ふと目を覚ますと早朝になっていた。
きみはきっとその間もずっと私のことを見ていたのだと思う。確かめようはないけれど、絶対、そうだ。
ずっと(きみの名前)に聞きたいことがあったの。
と切り出した私にきみがどう返事をしたのか、もう覚えていない。だけど、恥ずかしくなって枕で顔を隠しながら「…なんで私が推しって言ったの?」と尋ねた私に、きみは「推しに理由なんてある?」と好きに理由なんてある?と同じように言って、
そして「いくつかきっかけがあって、その積み重ねだから」と答えた。
たとえば?、と尋ねると、たとえば?!と驚いたように言って、配属発表のときかわいかったからかな、と答えた。
え、なんかあったっけ、と言うと、あったよ!!と勢いよく答えて「わかんないならいいや、もう終わり!」と一方的に私が推しの理由を答えるのをやめてしまった。
(私のあだ名)の推しは(クラスのイケメン1)でしょ?なんで?と少し拗ねたように言うきみに、
そんな本気で言ったわけじゃないよ、そこまで関わりあるわけじゃないし、と笑って言うと、
じゃあ本当の推しはだれ?と少し緊張したようにきみは尋ねた。
本当の推し、なんていないんだけどなぁ、と思いつつ、こう言ったらきみはどんな顔をするんだろう、と気になったから、照れたように微笑んで言った。
(きみの名前)。本音は隠すタイプなの。
きみは目をまんまるにして、え、とつぶやいて、続けて頬を緩ませて、嬉しい、ありがとう、と言った。
*
少し時間が経って、朝ごはんいる?フレンチトーストでも作ろうかなって思ってるんやけど、と言うきみに、いいの?ほしい!と伝えた。
あ、卵なかったわ、普通に焼くだけになっちゃうけど、と言いながらきみは私のために朝ごはんを準備してくれた。
スープと紅茶、どっちがいい?と聞かれて、
それぞれどんなやつ?と尋ねると、選択肢にある紅茶は Mariage frères(マリアージュ・フレール) というパリで有名なお店の Paris in Love という名前の紅茶であることがわかって、迷わずそれを選んだ。
これ変わっててさ、青い紅茶なんよ。
そう言ってお湯が注がれたマグカップは、たちまち透明感溢れる美しいインディゴブルーに染まっていった。
そのあとは、きみのモニターから流れるYouTubeの音楽たちについて話して、アスレチックへ行くというきみと一緒に家を出て駅へ向かい、途中下車するきみと電車の中で別れた。
あまりに自然でいつも通りだった。
結局、手を繋いだ以上のことはなにもなかった。
手を繋ぐくらい、とも言えるし、手を繋いでしまった、とも言える。だけど私にとっては後者だった。
集まりがあれば必ず誘ってくれるのも、毎日毎日お昼ごはんを一緒に食べようと誘ってくれるのも、遠回りしてまで一緒に帰ろうとするのも、周りが「お似合い」「いちゃいちゃすんな!」と茶化すのも、
彼に別れ話を切り出されたと話したときに、少ししてガチャガチャのネジ巻きコダックが動いている動画を送ってくれたのも、
クラスの一部で集まっていたときにLINEで実況中継してくるのも、そこで知ったクラスの誰と誰が今気まずいとか、カップル誕生しそうとか、そういう情報を私に教えてくれるのも、
私が推しと言った男の子が物件を探しに来るタイミングで3人でラーメン食べに行かん?と誘ってくれたのも、
何か話そうとして辞めたきみの目を見て「言って?」と言った時に「その目、ずるい。」と言ったのも、
たまに動揺した顔をするのも、
そこには友達として以上の感情が含まれていたからなのかもしれない、と思ってしまったから。
朝、自宅に着いてきちんと睡眠を取ろうとベッドに入った。
眠れたけれど、眠るまでも眠ったあとも起きてからも、思い出されるのは私の手に触れたきみのぬくもりと、私を見つめるきみの瞳だった。