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耳鳴り潰し153

 三時半起床。娘は最近五時台に普通に起きてくる。休みなので息子は六時台に起きたが二度寝。再び息子が起きてくるまで、学校とのやり取りの通話録音のテープ起こし。1時間17分のテープ起こしがこの日だけでは終わらず、これを書いている本日の少し前までかかる。時間のかかる一番の原因は私の活舌にあった。前後の文脈と自分の記憶から正解にたどり着けるが、全く他人が聞いてたら分からない箇所がいくつも出てくるんじゃないか。活舌って大事。17488文字。

 最後は突然の私の激昂で通話は終了する。自分でもその理由がその瞬間には分からなかったが、経緯をまとめていくと見えてきたものがある。根本的に「加害児童と被害児童が同席し、担任及び権威ある教員立ち合いのもとでの話し合いの場」とは、「加害児童への反省を促す場」ではなく「被害児童への許し強制圧迫空間」であるところだ。

 これ以上はここで書くことではないとして。

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 地域の小学校での夏祭り、この日は子どもたちの通う小学校で開催。昼から娘は友人と行き、この日は門限は設けず祭りの最後までの滞在を許す。息子も後で行くものと思っていたら「暑いからいい」とのこと。確かにこの夏始めの頃は楽しんでいた夏祭りだが、回数を重ねるごとに、楽しさより暑さと人混みのつらさの方が勝っていったようだった。一応「お友達も来てると思うよ」と確認もしたが、何度も断ってきた。

 息子の反応を見て「ハレとケ」について想いを馳せた。日常とは違う祭りなどの特別な「ハレ」に向けて、日常の「ケ」を過ごしていくという、日本的な概念である。実は日常が楽しければ、特別な「ハレの日」、たとえば今回の祭りなり何かのイベントなり、というのは特に必要なことではなくなる。むしろ規則正しく楽しい毎日のリズムを崩しにくる厄介事、という捉え方の方が近くなるのではないか。毎日理想的に楽しく過ごせていれば、わざわざそれを打ち壊すイベントは必要ないのに、イベントを楽しむ人を見て心をざわつかせ、自分も参加すれば楽しめるのではないか、と。本当は日常過ごしている楽しさがその人にとって理想的な形であるのに、それを自ら崩しに行ってしまう、というような。

 というわけで久しぶりのドラゴンボールごっこなどを含めて長時間息子と遊んで私はふらふらになる。

 ぬいぐるみ小説集「長い城の廃墟の上を歩き続けるパンダ」追加。
 あんまりかわいくないパンダの話。登場人物に疑問をぶつけて会話をさせれば、勝手に話が転がりだしていくこのシリーズ。昔「長城計画」という話を書いた覚えがあるのだけれど、それがどこでだったか、どんな話だったかを思い出せない。



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