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異想随筆集「選択制外骨格」(全文読めます)


 来年、ではなくなっていた。今年の四月から娘は中学生となる。制服はスカートとスラックスを選べるようだ。両方持って気分で履き分けることもできそうだ。かつて娘は「スカートを履くのが嫌だから」と中学生になるのを嫌がっていたが、最近ではそういうことも言わなくなっていた。


 三年前に書いた記事がある。「中学校制服のスカートを恐れる娘の話」というものだ。

娘は、積極的にスカートを履きたがらない。持っていないわけではない。元々履く頻度は高くはなかったが、一、二年生の時は嫌がったりもしていなかった。
家では特に問題なく履いている。

スカートめくりなんてことはいつの時代でもなくならないだろうから、「スカートを履いていたことで嫌な目にあった経験」というのがあるのだろう。
それなのに中学生になれば毎日スカートを履いていかなければならない、という決まりに縛られてしまうのが恐ろしいのだろう。

泥辺五郎「中学校制服のスカートを恐れる娘の話」より

 三年で少しは時代も変わったということだろう。人はそれ以上に変わっている。

 スカートとスラックスを選択できるよりも先に、外骨格と内骨格の選択制が始まった。これまでのように内側に骨を持つのではなく、昆虫や節足動物と同じように、外側に骨格を持つこともできるようになった。しかし成長期に外骨格を選択すると、身体が大きくなるたびに脱皮しなくてはならないので、今のところ成長期を過ぎるまでは外骨格は選択できない。これも時代によって変わっていくことだろう。脱皮による成長の方がむしろ望ましい、となれば、幼い頃から外骨格で生きることが普通になるかもしれない。

 今のところ外骨格を選んで生活しているのは、主義主張というよりも職業上その方が合理的なので、という人が多い。警備員や警察官や介護業界、肉体労働系の現場など。顔を元のまま残すか、顔も外骨格化するかでは意見が分かれている。それもやがてはスカートかスラックスか、程度の問題になっていくのではないだろうか。


建築現場での女性外骨格作業者

 愛する夫や妻が外骨格を選択した場合、失われた肉感を求めてしまうのでは、という心配も杞憂だったようで、内骨格から外骨格に変わった程度で愛情は変わるものではない。うちも妻が現場系で働いているから、政府が外骨格奨励制作を始めて間もない頃、早々に妻は外骨格化した。基本的に元の身体を再現しているため、たわわなお腹はそのままに。

 外骨格と内骨格の人々が入り混じった中で、生まれつき外骨格の子も増えてきたと聞く。様々に複雑な感情を硬い殻の中に閉じ込めてしまわなければよいが。

 というような話を書いていたら、学校から帰ってきた娘がタイムリーに中学校の制服の話を始めた。
「スカートとスラックスの両方があります!」
「どっちにするの。両方持っておくのかな」
「スカートだけど。え、両方ってできるの?」
 スカートが嫌だった三年前の娘はもういないようだ。
「パパはどっちにするの?」
「スカートは履かないよ」
「内骨格か外骨格か」
 そっちの話か。

「身体が良くなることはないんだから、外骨格にしちゃいなよ」
 そういう考え方もある。というか多数派だ。
「弱り切ってからだと、外骨格化手術もできないみたいだし」
 むしろそれを望んでいるのかもしれない。
「両親が二人とも外骨格だと、寂しくないか?」
「何が?」と娘はきょとんとしていた。今の子の意識はそんなものなのだ。

(了)

外骨格警察官


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