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耳鳴り潰し82

 綿矢りさ「ウォーク・イン・クローゼット」読了。表題作とともに収録されている「いなか、の、すとーかー」について書こう。今気づいたけどさりげなく夢野久作「いなか、の、じけん」リスペクトだ。

 故郷で仕事を始めた陶芸家の主人公がストーカーに悩まされる話。東京時代からついてきた中年女性だけではなく、幼馴染の女性まで本性を露わにして迫ってくることになる。終盤には何が彼女たちをそうさせたのかを、自覚する。

 おれは何もしていないのにターゲットにされた被害者じゃない。おれは、しすぎるほどしていて、そしてこれからもしていくつもりなのだ。そう、発信を。受け取る人がどうとるかまでは分からないものを、ずっと世間にばらまき続ける。

綿矢りさ「いなか、の、すとーかー」より

 作者はデビュー当時、その若さと容姿に注目が集まった。私は作家に対して、その生い立ちやら政治姿勢やら容姿やらにあまり興味を持てず、作品とだけ向き合う形を取っていた。喧噪がおさまってきた頃に遅れて読んだデビュー作に、当時私は打ちのめされていた。といった話は以前どこかに書いた。

 ストーカーに対して、「そういえば私って発信してきたんだ」と気付くって凄いことである。誉められることもあれば批判されることもあればストーカーがつくこともある、それが発信という行為なのだ。覚悟なしで発信していようと、否応なしに巻き込まれていく。そんなことを考えた話。

 次いで中島らものエッセイ集「ロバに耳打ち」も読了。ふと巻末に添えられた作者情報に触れると、「2004年脳挫傷のため死去。享年52」とあった。氏の訃報に触れてから20年にもなるのだ。当時若者側だった私は、いつの間にか氏の側の年齢に近づいている。自分だっていつ死んでもおかしくないのだから、全てを遺言のつもりで書いていく、と去年か一昨年かその前かぐらいにどこかで書いた気がする。思い出せないでいる。

 夜のお片付け~布団敷き、の際には子どもたちの気に入りの曲を流す。この日はシャッフル再生すると、まず一曲目は息子のお気に入り、Imagine Dragons「Believer」が流れた。

 続いてSystem Of A Down「I-E-A-I-A-I-O」

 続いてDeep Purple「Space Truckin'」

 Ado、友成空、ドリフターズ、といった曲が多かった最近の中では、やや異色な流れ。普段はシャッフルでは聞かず、最近の子どもたちの好みに合わせている。

 我が家の子どもたちは、原曲を聞く前から「Space Truckin'」のイントロを歌っていた。理由はこれだ。

我が家の三歳児も「Space Truckin'」のイントロのギターリフを口ずさんでいる。幼稚園で習っているらしいABCソングの次くらいの頻度で「デデ、デ、デ、デー。デー、デー、デデ!」とやっている。
 きっかけはお風呂だ。娘のココと息子の健三郎と一緒に入る際、私が洗っている間、二人は湯船に浸かりながら遊んでいる。私が洗い終わってもまだ遊び続けたいので「どっちから洗う?」と聞くとお互い相手を指差して決まらない。そこで私が「どちらにしようかな、天の神様の言うとおり」のノリで、「Space Truckin'」のイントロに合わせてロボットの動きをする。二人に交互に手を差し伸べる。リフの終わりに手が指していた方を先に洗う。

泥辺五郎「音楽小説集」内「Space Truckin'」より

 後半二曲の間ほぼ踊っていた娘に、ふと「Space Truckin'」がらみの思い出話をする。
「パパが中学の時の話なんだけど、当時の部活で練習試合に行く時に、部員は自転車で相手の中学に向かっていたんだ。少し道を間違えて、焦っていた。テンションがおかしくなって、この曲の『イェーイェーイェー、スペーストラッキン!』というところを歌いながら自転車をこいでいたら、『先輩、頭おかしくなったんですか』って後輩に言われた」

 いや、当時の同級生とは部活中音楽の話ばかりしていたから、そこで歌うのは全然自然なことだった。パパにとっては。

 なんの話ですか。


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泥辺五郎
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