チーズケーキに魅せられて
今日は休日だったのですが妻も娘も出かけていたので、私は一人電車に乗り、隣町のデパートに買い物に行くことにしました。
私はもともと買い物がそんなに好きな方ではないので、目当てのお店以外を覗くことはあまりありません。
目的の商品を購入し早々に帰ろうかとも思ったのですが、腕時計を見ると家を出てからまだ一時間足らずしか経っていませんでした。
そこで私は「わざわざ電車に乗ってきたのだからお土産に甘いものでも買って帰ろう」と思いなおし、エスカレーターに乗って一階へ移動しました。
和菓子売り場やケーキ売り場を覗きながらプラプラしていると、最近妻がよく「チーズケーキが食べたい」と言っているのを思い出したので、私は入り口の近くにあったモロゾフの販売店で、デンマークチーズケーキを買って帰ることにしました。
モロゾフのデンマークチーズケーキは、クッキー生地の中にチーズケーキの生地を流し込んで焼き上げたシンプルなベイクドチーズケーキで、私は直径17cmのホールを一つ買って帰りました。
夕方になると妻が帰ってきたので、さっそくコーヒーを淹れてチーズケーキを食べることにします。
妻は何度も食べたことがあるらしく「これ美味しいんだよねー」と言いながら食べ始めました。
私は初めてだったので「へえー、そんなに美味しいんだ」と、まずはお味見程度に、小さいフォークで上の方をちょっとだけすくって口に運びました。
「あっ、本当だ美味しい」
想像以上に酸味がビシッと効いていて、レモンの風味がとっても爽やかです。まったりとしたクリームチーズも嫌なくどさがなく、上品な大人のチーズケーキといった感じでした。
私はいつもチーズケーキを食べていると途中から飽きてきてしまうのですが、このチーズケーキなら最後まで飽きずにペロリと食べられそうです。
「これめっちゃ美味しいね」と言いながら妻の方を見ると、妻の顔には「だから前から美味しいって言ってるじゃない」と書いてありました。
今度はすこし大きめにカットして口に運びます。
美味しさを噛み締めながら「うんうん」と頷き、まだ湯気がたつ熱いブラックコーヒーを一口啜りました。すると口の中でレモンの酸味と、クリームチーズのまろやかさと、コーヒーの苦味が三位一体となって旨味の波が押し寄せます。
「うわっ、これめっちゃコーヒーに合う!」
私はしばらくそのマリアージュを堪能してから、ゆっくりとコーヒーを飲み込みました。
するとコーヒーが食道を下っていくのと同時に、喉の奥の方からフワーっとバニラの香りが鼻に向けて立ちのぼってきました。
さっきまではあまり感じられなかったはずのバニラの芳醇な香りが、今や口の中だけでは収まりきれずに、自然と鼻から漏れてしまうほどに溢れています。
「あっ、バニラも入っていたのか?!」
こんな芳醇な香りに一口目で気がつかなかったなんて、料理人としてなんとお恥ずかしい。
もう一度味と香りをじっくりと確かめるように、全神経を舌と鼻に集中させてチーズケーキを口に運びました。しかし不思議なことに、先程のような芳醇なバニラの香りを感じ取ることはできませんでした。
しかし私の鼻から口にかけては、先程の芳香の余韻が確かにまだ残っています。
私は狐につままれたような気持ちで、再びコーヒーを口に含み、ごくりと飲み込みました。
するとやはりバニラの香りが立ちのぼります。
「はっ、そうか、そういうことか!」
名探偵が密室トリックを見破るように、私はこの香りのトリックを見破りました。
それはチーズケーキに練り込まれたバニラ風味の香料が、コーヒーの熱によって揮発性が高まり、一気に香りが立ちのぼるという仕掛けになっていたのです。
チーズケーキの中に隠されていたその香料は、息を潜めて自分の出番が来るのをじっと待ち続け、熱いコーヒーが喉に流し込まれた瞬間に「今だっ!」と解き放たれるのです。
しかもそのバニラ風味の香料は、レモンの爽やかな香りを邪魔しないようにフィリングには一切入れられておらず、クッキー生地にのみ練り込まれているという、なんとも巧妙かつ入念に考えられた手口なのでした。
私は心の中で「全部まるっとお見通しだ」と言いながら、チーズケーキを一口食べてはコーヒーを一口啜り、そこに立ち込める芳醇な香りに恍惚の表情を浮かべるという行為を、飽きもせずに何回も無心で繰り返していました。
そしてチーズケーキの最後の一口を食べ終わり、一人にやにやしながら顔を上げると、そこには心配そうに私のことを見つめる妻と娘がいるのでした。