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腰痛の仮説的病態論



 腰痛は簡単に治せると題して、腰痛の原因と治療法とその実践方法を説くにあたり、「医学原論」を武器に腰痛を私なりに論理的に解明すると目標を掲げ、前回は腰の仮説的常態から腰痛の原因まで説明しましたので、今回はそれを踏まえて腰痛の仮説的病態論まで踏み込んでみたいと思います。

腰痛の仮説的病態論を仮定する


 腰の仮説的常態とは、上半身の重さを支えられ、問題無く全身が運動できる状態を維持している事、であると仮定しました。
 そしてここから腰の病態を仮説的に考えてみると、腰痛とは上半身の重さを支えられなくなり、徐々に、あるいは急激に全身の運動に支障をきたしていく過程であると仮定する事ができました。
 上半身の重さを支えられなくなる原因としては、何が考えられるのかと言えば、前回述べた通りではありますが、慢性の腰痛で言えばまずは体重の増加によるものと、加齢などによる支える力の弱まり、後は運動不足により上手な身体の使い方を忘れ、支え方が悪くなってしまった等が考えられます。
 例外的ですが私の場合は認識によるものでした。
 急性の腰痛で言えば外傷が考えられますが、交通事故やスポーツ事故等が多いのかなと思います。
 原因としては以上となります。次は腰痛の病態について私なりに展開してみます。

腰痛の仮説的病態論の過程的構造に踏み込む

 ここから「医学原論」を指針とすれば、腰痛は運動器官の歪みであり、「病態論の過程的構造の論理(病気の生成発展の論理)」が該当するのではないかと思います。
 つまり、病気とは一般的に機能が歪み、実体が歪むという過程があり、さらに機能が歪みかける段階、機能が歪んでしまった段階、実体が歪みかける段階、実体が歪んでしまった段階があるという事です。
 当然に腰痛も腰という運動器官の歪みなので、腰の機能が歪み、実体が歪んでいくという過程をたどるのが一般的という事なります。
 もちろん、外傷によるものは実体からくるものなのでいくらでも例外はありますが、ここで対象としているものは非特的腰痛に分類されるものです。
 この非特異的腰痛、つまり原因は不明とされている慢性腰痛に関しては、上記の「過程的構造の論理(病気の生成発展の論理)」が見事過ぎる程に該当すると私は考えています。
 そこで解りやすいように番号をつけてみました。

①生理構造としての機能が歪みかけている段階
②生理構造としての機能が歪んでしまった段階
③生理構造としての実体が歪みかけている段階
④生理構造としての実体が歪んでしまった段階

 私はド素人のため、全ての腰痛を知っているわけではありませんが、上記の「過程的構造の論理(病気の生成発展の論理)」は全ての病に貫かれている性質のため、腰痛も同じ過程を辿って進行していくと考えられます。
 つまり私が言いたい事は、数ある腰の病は、実は全てこの慢性腰痛を原点として生成発展していき、様々な症状を呈し、様々な病名がつけられているだけなのだという事です。

腰の生理構造としての機能が歪みかけている段階

 
 それでは腰痛を病態論の過程的構造の論理(病気の生成発展の論理)に照らしてみましょう。
 前提である腰の病態論が仮説のため、これ以降は全て仮説となる事を明記しておきます。まずは①の生理構造としての機能が歪みかけている段階です。
 腰痛の病態論で言えば、腰の機能が歪みかけている段階であり、それは上半身の重さを支えられなくなってきて、全身の運動に支障がでかけている段階という事です。
 おそらくこの段階の人が最も多いのではと思います。私もこの段階と次の段階を行ったり来たりしている様な状態でした。
 具体的には、思い当たる事がないのに腰に痛みがあり、立っているだけや座っているだけでも痛みや疲労感感じている状態です。
 これは誰にも経験があるだろうと思います。洗い物をしていても痛い、運転していても痛い、という状態で、取り敢えず座って休みたくなる状態です。私の治療法が有効なのがこの段階です。
 外傷以外の全ての腰痛の生成発展はここから始まり、進行してヘルニアや〇〇症と呼ばれるものに発展していくと捉える事ができるため、治療が簡単なこの段階で何としても食い止める事が大事であり、これに勝る予防は無いと言っても良いでしょう。
 この段階では検査しても何も異常は見つからないため、原因不明、つまり非特異的腰痛と呼ばれ、診断がつかず、従って具体的な治療法も無いというのが一般的です。
 しかし前回説いておいた通りに、本当は原因も明確に存在し、それに対する治療法や予防法もあるため、ここについては次回以降、実践方法と併せてしっかり説明する予定です。

腰の生理構造としての機能が歪んでしまった段階

 
 次に②の段階、生理構造としての機能が歪んでしまった段階です。腰痛の病態論で言えば、上半身の重さが支えられなくなり、腰の負担が増した状態が継続した事により常態的に全身の運動に支障が出てしまった段階です。
 この段階は私の経験から言えば、ぎっくり腰になりやすくなった段階であり、ふとしたきっかけでぎっこり腰になってしまう状態、もしくはぎっくり腰でなくても腰の疲労感や痛みが強く、常に動きが制限されてしまった状態です。
 
 ぎっくり腰には疲労性のものと急性のものがあるとされており、あまり褒められたものではありませんが、私はどちらも経験豊富です。
 疲労性のものは徐々に腰に負担がかかっていき、ある時ついに限界を超えて、立っていても座っていてもつらい状態になることです。
 私も月曜から金曜まで働いて、土曜の朝にはついに布団から出られなくなる事がありました。つまり疲労が蓄積して発症するタイプのぎっくり腰です。長距離を歩く事で次の日に発症した事もあります。

 急性のぎっくり腰とは、よくあるぎっくり腰で、よく腰をやってしまったと表現される事があります。
 重いものを持った時や動き出した時などに起こりやすいのですが、私の経験上、重い物の持ち上げ方が悪いと起こりやすかったです。
 しかしこれは持ち方のせいではなく、耐えられない程に腰が疲弊していたからです。何故なら持ち方が悪かったのはきっかけに過ぎず、いつもならぎっくり腰にならなかったわけですから。
 もし何気ない動作で起こってしまった場合は、より進行している状態かもしれません。何故なら重さなどの負荷がかかっていない状態で起こってしてしまったので、腰の疲弊もかなり強まっていると言えるでしょう。
 ぎっくり腰になってしまった場合は、個人でできる治療法よりも専門家の指示にしたがい、専門的な治療を受けた方が良いでしょう。私の実践している治療法、予防法は逆効果になってしまう恐れがあります。
 ぎっくり腰の状態で検査すると炎症などの反応がでるかもしれません。そうなると診断がつく場合もあり、特異的腰痛と非特異的腰痛の中間的な状態だと言えるのかもしれません。
 また、ぎっくり腰とは次の段階とのちょうど中間的な状態と言えるのかもしれません。

腰の生理構造としての実体が歪みかけている段階

 
 次は③の段階、生理構造としての実体が歪みかけている段階です。
 この段階は私は経験がないのですが、腰の実体というと骨、筋肉が思い浮かびます。
 特に顕著なのが骨ではないでしょうか?例えば腰椎が圧迫されてヘルニアになりかけている状態だったり、骨が癒着しかけていたりと、検査すれば診断がつくようになってくる段階です。
 ここまで来ると完全に運動に支障をきたしている状態で、痛みの程度も強まっているはずです。
 外傷の場合はいきなりこの段階になる場合もあるでしょう。
 一般的にはこの段階から特異的腰痛に分類されることになり、ここまで来てようやく診断がついて治療を始める事になりますが、ここまでくるともはや手遅れの感すらあります。
 何故ならよく言われている通り、手術をしても治るかもしれないし、治らないかもしれないというなんとも頼りない治療しかできないからです。
 しかし、まだ歪みかけている段階なので、やり方によっては治る事も期待できます。

 では、なぜ実体が歪んでしまうのかと言うと、それは常にかかりつづける上半身の重さにより、実体が耐えられなくなったからだと言えるでしょう。
 これは上半身の重さとの相互浸透による病気への量質転化の結果と言えるかもしれません。従ってこの過程を辿らせない事が真の治療法、予防法と言えるかもしれません。
 腰痛に限らず全ての病気はこうなってしまう前に手を打つ事が大事であり、だからこそ私の治療法が多くの人の役に立つと確信しています。何しろ、この段階に来るまで専門家ですら診断も治療もできない状況なのですから。

腰の生理構造としての実体が歪んでしまった段階

 
 最後に④の段階、生理構造としての実体が歪んでしまった段階です。この段階は上記の相互浸透による量質転化がさらに進行してしまい、腰が変形してしまったり、あるいは一部欠損してしまったりして、運動が全面的に阻害されてしまった段階と言えるでしょう。
 具体的にはお年寄りの腰が曲がっているのが常となってしまった状態、骨が癒着してしまった状態、骨折などにより神経が損傷し、半身不随になってしまった状態などです。

 この状態は腰痛の最終段階、完成形態と言えるのかもしれません。誰にでもあるありふれた腰痛も、食い止める事ができずに進行してしまうとここまで来てしまうおいう事であり、これが病気の生成発展という事です。
 恐ろしくなりませんでしたか?誰にでもある腰痛は放っておくといずれはこうなってしまうかもしれないのです。
 やはり腰痛に限らず、全ての病は①の段階で食い止める事が何よりも大事で、「医学原論」にも説かれてある通り、機能が歪み始めた段階を見逃さずに手を打つ事が大事であるという事に例外はない、と再確認できました。

慢性腰痛の原因はたった一つである


 私が描いている腰痛の過程的構造の論理(生成発展の論理)とは、およそ以上の様なものになります。
 本当なら瀨江千史先生が「医学原論」で「全ての腎臓病はたった一つ」と断言しているように、全ての腰痛はたった一つであり、一つが発展していったものだと言いたかったのですが、対象にしているのが一件だけということと実力不足によりどうしても慢性腰痛の原因はたった一つである、と仮定する事が限界でした。
 しかし、腰痛を生成発展するものと捉える事は間違っていないはずです。
 腰痛の病態を生成発展するものとして考えてみると、原点は上半身の重さを支えるという機能の歪みから始まり、最終的には実体が歪みきって完成するので、やはり①の段階で何としても食い止めねばならない、そうでないと動く事すらできなくなり、それは実質的に死を意味するという事が解りました。
 運動器官の病とは言え、人間は全てで生命活動を担っているのですから、何か一つの病が進行しきると生命維持に関わるという事です。
 そうならないために、今腰痛に苦しんでいる人もこれからもっと苦しむ事になる前に、まだ治せる段階で是非とも腰痛の生成発展を食い止めて欲しいと切に願っています。せっかく治せる方法があるのですから。

 私の腰痛の仮説的病態論は以上となります。次回は「医学原論」を武器に腰痛の治療法を展開してみます。

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