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 私たちの、最後の本屋

 今日、この町の最後の本屋を燃やした。

 理由はない。いや、もしかしたらあるのかも知れないけど、本屋の前に立った時、燃やしたいという衝動に駆られて、燃やした。

 この町は、何処にでも似た様な風景があるような、そこそこな田舎の街。かつては商店街だった名残を残した家しかない通りや、次々にできる全国チェーンのハンバーガー屋にファミレス。田んぼや砂利しかなかった場所を潰して、作った、無駄に広い駐車場を備えたコンビニ。その田舎の中ですら何店舗もあって、しかも別の会社同士が数メートル先に構えるドラッグストア。ドラッグストア。

 私の小さい頃からその風景は小さく生まれ、いつしかウイルスのようにその光景が蔓延していく。私の知っていた、私たちが住んでいる馴染みの風景は、徐々に新しく書き換えられて行って、私たちの記憶があった建物たちは消えていく。

 だからと言って、それに対して、怒りを込み上げたり、悲しみに暮れるなんてことはない。別に、声を上げて町を守ろうなんて気もさらさらない。むしろ、この町にそこまでする必要もないと思っている。だけど、ただ何となく虚しさを感じた。

 まるで、コピー機から出てくる印刷物のような町に、何処か納得のいかない自分もいる。自分の記憶を無許可で潰されている様なそんな感覚。でも、そんなこと、言ったところで自分にはどうにも出来ない。まず、それをした所で、だからどうした。その言葉に尽きてしまう。勝手に感じる無力な自分。

 そして、その町に置いて行かれていると感じる自分がいた。私は、私の知っているあの頃のコンビニと、小さなゲームセンター付きのスーパーと本屋くらいしかなかったあの頃の私から時間が止まっていた。

 体と頭はちゃんと成長しているのに、心がまだあの頃にいる感覚。

 本屋に行って、閉店するということを知った時、その感覚が私の体の中から脳天まで強く響いた。

 いつしか、私はバスで置いて行かれていて、もう見えない何処までも先の場所に町は既に行ってしまっていた。

 本屋は唯一、その陽炎の中にうっすら見えたバスの背後の様な存在。それでいて、私の人生の軌跡が残る場所でもあった。

 生まれる前から幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人。私がお腹の中で存在していた頃から、私が過ごした時間はそこにいた。

 簡単な医学書に、絵本、児童書、学習ドリル、漫画、ライトノベル、週刊少年漫画雑誌、ファッション誌、小説、エッセイ、自己啓発本、哲学入門書、週刊誌・・・。

 本だけじゃない。

 えんぴつ、クレヨン、筆箱、消しゴム、ノート、シャーペン、蛍光ペン、付箋、ボールペン、手帳、筆ペン、万年筆・・・。

 手にするものが、DVDをトレーに入れるように、記憶が再生される。

 これは、私だけじゃない。本屋で横切る数々の老若男女がそうに違いない。思い出せなくても、確かに本屋には人々の生きた時間が流れていて、それを象徴するような本や文房具たちが存在している。

 そして、今日、数多くの記憶が存在する本屋が一つ無くなる。

 この町の記憶でもある本屋。私の中では、この町の最後の記憶でもあった本屋。それが今日なくなる。この町の中であの頃のままなのは私だけになってしまう。

 そんな思いを秘めていた時、頭の中で、

 燃やそう。

 その言葉が浮かんだ。

 どうしてだかわからない。ある意味、自殺なのかも知れない。私と記憶の自殺。

 私は、自分の体をあるがまま動かし、灯油の入ったポリタンクを持って本屋に行った。途中、コンビニでマッチと二つ入ったサンドイッチを買って、真っ暗になった本屋に辿り着く。

 もう息のしていない本屋。眺めていると、息を吹き返すんじゃないかと思ってしまうけど、数日後にはもう何もなく抜け殻になっている。

 付近を散策して、手頃な石を探す。石を持って、入り口のガラスに目掛けて投げようとした時、誰かが来たことに気づいた。

 「やばい。」と頭では浮かんでいたけど、体は動かなかった。焦っていたとか、そういうことではなく、「別にいいや。」と、思っていた。

 しかし、相手は警察ではなく、パジャマ姿の女だった。女は何も喋らずに、私から数メートル離れた所で、入り口を眺めていた。

 私は、石を握った手を一度降ろした。

 「どうしました?。」

 女は、私をチラッと見て、視線を元に戻した。

 「昔、旦那と初めてこの町にきた時に、旦那が本を買おうとしてたんですけど。結局、買わずに帰っちゃって。」

 女の、その視線は一点に集中している。それは本屋を見ているんじゃなくて、当時の思い出に帰っていた。

 「旦那、『トイレしたい!。』って言って。ここのトイレあるかどうか分からなかったから。『家には確実にあるから帰ろう。』って言って帰っちゃったんです。それが、ここに来た最初の思い出で、この町に引っ越してきた一番最初の思い出。」

 女のその変な思い出に、思わず笑ってしまう。私も思わずその思い出に帰った気分になった。もしかしたら、急いで帰る新婚夫婦の横で漫画でも読んでいたかも知れない。

 「その時に、旦那が買おうとしていた本、今、思い出して。でも、もう・・・ね。」

 「入りますか?。」

 「え?。」

 女は、私の顔を見た後に手に握っていた石に気がついたらしい。私は、また、ガラスに石を向けた。

 「いや・・・はい。」

 その返事と同時に、私はガラスに向かって投げつけた。女は少しだけ悲鳴をあげると自分の手で口を抑えた。

 一度じゃちょっとヒビが入るくらいだったので、もう一度、投げて、あとは服の袖に手を覆わせ、石を持ったまま突き破った。

 私と女は、そっと入り、見慣れない真っ暗な店内を眺める。じっとしていると、目が慣れ始め、ゆっくりと本棚たちが現れる。

 昼間とは違う。人が誰もいない。入っただけでも、やっぱりここは息をしていないと感じた。眠っているんじゃない。もう、息を吹き返すことのない本屋。

 女は、旦那が買おうとしていた本を探し始めた。

 私は、ポリタンクを持って、店の中を歩き回る。

 ゆっくりと、暗い本棚を回る。やっぱり、私がいた記憶を感じる。私だけじゃない、町の人々がいた記憶。立ち読みをしていたり、何を買うか迷っていたり、目的も無くただ、本棚を見ながら歩いている人。それが鮮明に頭の中で映される。

 その中で、ふと、幼い頃の私が足速に漫画コーナーに抜けていくのがわかった。私は、私を追いかけた。

 漫画コーナーでどの漫画を買うか選んでいる私がいた。幼い頃の私、学生服を着た私、今の私と転々と変化していく私がそこにいた。ふと振り返ると、いろんなコーナーに様々な時代に変化した私がいた。

 私は漫画コーナーを、起点にその私を追いかけるように灯油を撒いていく。いろんな人が歩いていたのを感じながらを灯油を撒いていく。

 入り口あたりで灯油は無くなった。

 「何をしてるんですか?。」

 女は大きな本を持って入り口にいた。

 「燃やそうと思って。」

 女は携帯を出そうしたが、手を止めた。

 「私も見てていいですか?。」

 私と女は本屋から出て、マッチに火をつけた。小さく灯る火でフリーペーパーを燃やした。それは放物線を描くように宙を舞い、地面に着地すると火は大きく広がった。

 火は本に移り、やがて、壁や空間を火で埋め尽くされていく。いつの間にか本屋全体を火が包み、大きな煙が夜の空に消えていく。建物一つが燃えている只事ではない光景だということは分かるが、それはキャンプファイヤーのようで、正月のお焚き上げのようにしか見えなかった。

 それを見ていると無性に腹が減ったので、さっきコンビニで買った二つ入っているサンドイッチを食べる。

 「私も。」

 女は、そういうと勝手にサンドイッチを一つ食べた。

 「私、全部、終わらせようと思って・・・。これで旦那と町のの思い出は全部、終わらせられました。もう、あの頃の風景もないし。」

 女は、燃えた本屋と町を眺めていた。

 私は、この先が真っ暗闇でどうなるか分からない不安と、私とこの町の記憶を残した本屋が完全に無くなった、どうしようも無い虚無感で包まれた。

 でも、その感覚が新鮮で、興奮している自分もいた。

 もう、そこには昔の記憶と風景を残した人間は誰もいなかった。

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