最後の旅
ホームで周囲を見渡す。平日のまばらな駅はスーツ姿の人々と、僅かに休日を満喫している人たちが自分なりに過ごしている。その人々に注意しながら、最後の風景を焼き付け、新幹線に乗り込む。
車両の中はすっからかんで少し安心した。私が選んだ指定席、窓際に体を沈める。丁度、真上にある荷物置き場に自分のボストンバックを置かず、安心を求め
るように抱きしめた。帽子で自分を隠しながら、また外の風景と人々を眺める。
落ち着かない。体の中にまだ熱が残っている。私は興奮していた。目を閉じれば、昨夜のことが鮮明に映し出される。それが怖くて、寝られない。これから起こることを考えると、私は何かを見続けることで落ち着かせることしかできなかった。
ふと誰かと目があったような気がして、窓から顔を離した。どうしよう。離れるべきか。誰もいない車両を意味もなく見渡した。何度も深呼吸しながら、ボストンバックの中に手を突っ込む。
硬いグリップはひんやりとしているが、どこかほんのり熱が残っている。それが、少しだけ冷静さを与えてくれる。今いる車両のドアに目を向け、力を入れた。
心音が、秒針のように刻んでいる。
扉がゆっくり開く。その瞬間、全ての音が止まった。
スーツの男がいる。まさに標準的なサラリーマンの男。その完璧なまでの標準さは、体に少し隙を与えるように安堵させる。私に向かってくるように歩いてくる。徐々に近づく男は、間近に迫ると私の前で体を止めた。
グリップに力が入る。でも、視線は合わせまいと、寝ているように窓に体を任せ、帽子を下げる。
「佐久間?。」
唐突に、私の名前と懐かしい声が聞こえた。
「佐久間だろ。」
私は帽子をあげ、男の顔を見た。そこには十年ほどあっていなかった、学生時代の悪友「金本」がいた。
金本は、私の隣にズカズカと座る。このズカズカと私の隣に来る感じ、指定したかどうかもわからないのに、我が物顔で座る。この感じが懐かしく、こんな状況にも関わらず、笑顔がほころぶ。
「10年くらいか、どっか行ったっきり消息掴めなくてさ。」
「それはお互い様だろ。」
と、朗らかにグーパンチ。
十数年来の再会は、お互いを一番楽しかった頃にタイムスリップさせる。今は心の底から安心した。しかし、それはタイミングがあまりにも悪すぎた。そこには決して戻ることができない日常があって、今日までの間のことを猛烈に後悔していた。
「そういえば、どっかのビルが、人だかりですごくてさあ。さすが大都会。ヤバい連中がらみの事件らしいよ。なんか金庫から金が無くなってるとか、人が死んでるとか。」
金本の、唐突に振られる話題に心臓が締め付けられる。この悪趣味な感じも昔からだが、今の私に突きつけられているようで、それを受け付けることができない。
違う新幹線で行こう。金本を巻き込むことはできない。何より、今こんな状況で会いたくなかった。今の私には、金本と向き合うことはできない。あまりにも申し訳ない。あの頃に戻れるなら。と、何度も思った。
私は、金本の顔を眼球によく焼き付け、目を閉じた。今なら金本も鮮明に思い出せる。
「コーヒーでも買ってくる。」と、何事もないように座席から離れた。その瞬間、私の脇腹に固く冷たいものが強く突きつけられた。それはサプレッサー、消音器のように見えた。
「ごめん。」
金本が小さな声でつぶやいた。謝るなよ。むしろ、私は嬉しい。金本の手でなら、せめてもの救いだ。私は、知らないうちにボストンバックから手を離していた。「ありがとう。」そう返せないのが悔やまれる。
スーツ姿の男が、新幹線から降りる。同じようで、混じり合う事のない人の雑踏に紛れていく。私は、それを眺め続けているようにもたれかかっている。ずっと、ずっと見えなくなっても、その背中を感じ、見えなくなる金本を見送るように。意識のない目は金本の方に向けられている。
もう決して動くことのない私を乗せた新幹線が今、動き出した。