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旅行で寿命を悟る
二泊三日、あるいは三日目でまだ物足りなければ三泊四日の旅行をしようと思って計画を立てていた。
計画を立てるのが面倒臭かった。
最後に旅行らしい旅行をしたのは一年半前だが、その時は計画を立てるのも楽しかったのにな。
これじゃあまるで学校の宿題だな。
本来なら一か月前に行くはずだった旅行を半ば惰性でいざ出発。
脳の劣化を感じた。ワクワクできなくなってる。
結論、一泊もせず帰ってきた。
一番最初に向かったのはとある城。円安の影響なのか外国人旅行客が大量におり(9割外国人)、待ち時間30分との記載。まずお城の観光をやめた。
待つという行為が嫌いな自分にとって、30分はきつい。
いつでも行ける場所と言えばそうなので、なんだか「もう良いや」ってなってしまった。
USJなどのテーマパークなどにあまり行きたく無い理由は、待ち時間が長すぎて気分が萎えてしまうから。
移民政策で日本はもう外国人ばかりの国になるのかな、とか一抹の不安を感じた。
一発目の目的地で既に出鼻をくじかれ、ただでさえ惰性で始まった旅行の気分がさらに盛り下がった。
一日目は城以外の場所はそこまで目新しい場所をめぐる予定はなく、数年前によく来ていた場所を懐かしむみたいなノリだった。
本番は二日目以降なのだが……。
素直に「帰りたい」と思った。
何だろう。気分が晴れない、重い。随分歩いたせいで足が既にボロボロだ。
何をしているんだろう?
旅行が好きだったのに、それすらも好きになれなくなってきたのか?
好きなものすら好きになれなくなっていく。
生きる意味の無さがまた上乗せされていく。
周りにはカップルや友達同士で楽しく行きかう人が嫌でも目に入る。
人と一線を絶対引いてしまい深く関われない自分にとって、誰かと何かを共有できるのは羨ましい光景だった。
最後にそんな経験をしたのはもう随分と前だな。
孤独で、好きがどんどん無くなっていって、その先にあるものは何なのだろうか。
明確に改めて 自分は長生きしないのだろうなと悟った。
生きていても意味がない。前々から分かっていたことだが、今回の旅行でその重圧がさらに強くなった。
ホテルをキャンセルし、私は帰路に着いた。
帰りの電車で中で携帯に入っている音楽の再生リストからランダム再生しているとタイミングが良いのか悪いのか。「Not Sad Anymore」が流れた。
別れた恋人との未練を断ち切り吹っ切れる、という曲。
現世に未練がない自分と一緒だと思った。
でも大きく違うところは、希望か絶望か。
この曲は未練・呪縛からの解放、先にあるのは希望。
自分は自暴自棄に近いものによる生の解放、先は絶望。
このまま眠るように死にたい。解放されたい。
旅行の帰り道は希死念慮がいつも強く現れる。
けど今回の旅行で湧き上がる希死念慮は、また違うタイプの色だった。
思えば旅行に行ったのも誕生日だから何か特別なことをしなければならないという強迫観念の表れだったのだと思う。
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