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【恐怖の正体(春日武彦)】【#読書記録26】

みなさんは「恐怖」を感じることはあるだろうか?

程度はあれど、世の中にはあらゆることで「恐怖」を感じる瞬間がある。

本書はそんな「恐怖」を定義し、筆者の経験談や解釈を交えながら「恐怖」について説明を施していく。

筆者は精神科医を生業にしており、その知識と経験を活かして本書を執筆している。加えて筆者自身が「甲殻類恐怖症」を自白しており、エビやカニなどの甲殻類に対していかに恐怖を感じているのかも記しているので、同じように何かの恐怖症を持つ人は共感ができるかもしれない。

さて、本書の第一章では恐怖の定義づけを行っている。

①危機感、②不条理感、③精神的視野狭窄――これら三つが組みあわされることによって立ち上がる圧倒的な感情が、恐怖という経験を形づくる。

春日武彦『恐怖の正体』P.14

上記の定義に沿って、本書はそれぞれの恐怖経験について解釈・説明を試みている。ただ必ずしも「①危機感」を覚えるわけではなく、その場合別の要因があると述べられている。

本書は六章構成。
第一章の「恐怖の生々しさと定義について」から始まり、「恐怖症の人たち」「恐怖の真っ最中」「娯楽としての恐怖」「グロテスクの宴」「死と恐怖」という章立てをしている。

恐怖といってもさまざまなケースがあり、本当に命の危機を覚えるようなシーンもあれば、映画やドラマのように身の安全が確保された状態でも覚える恐怖がある。

本書の特徴として、紹介される恐怖体験や作品紹介が非常に多い。さらに筆者自身の感性が豊かであるがゆえに、「そんなこと感じたこともなかった」というようなモノの見方がされている。(自分自身が鈍感なのも影響しているかもしれないが)

甲殻類恐怖症の筆者が、甲殻類を見たときに起こる感情を引用しよう。

わたし個人の恐怖症について述べると、甲殻類恐怖に該当する。
まず、海老と蟹が駄目である(それなのに世の中には、草履海老とかヤシガニとか、ちょうど海老と蟹の中間みたいな姿の恐ろしい生き物すらもいる!)。絵や写真を見ただけで、うろたえる。もちろん蝦蛄だって駄目だし、ヤドカリも駄目である。あんなものを美味しいと喜ぶ神経が分からない。それどころか咀嚼して体内に取り込むという行為そのものが、理解の埒外である。姿かたちがおぞましく、料理の中に少しでも甲殻類が入っていたら、たとえそれを取り除いても、既に「汚染」されているという理由で拒絶せずにはいられない。当然のことながら昆虫も駄目で、触るのも嫌だ。つまり外骨格系の生き物全般が駄目なのである。

春日武彦『恐怖の正体』P.22

そのあとも甲殻類に対して湧き上がる負の感情を丸々2ページ分書き連ねている。筆者の着眼点とそれを実現する描写能力は一読の価値がある。

なお、前述した三つの要素にこの甲殻類恐怖症を当てはめるが、「危機感」については別の要素として「嫌悪感」に置き換えられている。精神的余裕がないときに甲殻類に出会ってしまうと、精神的視野狭窄に陥り、徐々に嫌悪感が精神を蝕んでいく。この急速な嫌悪感の拡がりにもう自分ではどうしようもない、手遅れになってしまう感覚(不条理感)を覚えさせる。そのように述べている。

正直なところ、恐怖症を何も持たない投稿主なので、嫌悪感ぐらいまでは理解できるが、それ以降のおぞましさ、というのが理解の範囲外になってしまっている。ゴキブリなどの害虫と家の中で対峙してしまった場合はぞわぞわとしてしまうことはあるが、「気色悪い」の一言で終わりにしてしまう。
ただどのように恐怖を感じているのか、興味深い文章だった。

このように恐怖自身の理解を深める本としてもよいが、恐怖の描写に優れた映画や小説の作品が紹介・解説されているので、この夏ホラーな要素を探している方にもおすすめの一冊である。

それではまた、次の本で。


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