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【オバちゃんの読書感想文】「恐れのない組織」エイミー・C・エドモンドソン著

今回は小説じゃないけど。人間の心理や感情、それに伴う脳の活動などなど、興味があるオバちゃん。ちょっと今までとは違う分野の本について。

本を読むと、ページを捲って先に進むことをつい優先しがちなオバちゃん。でも、感想文を書こうと思うと、読み方が変わる。小説の場合、小説の世界を飛び出して頭の中で色々考えを膨らませ、それをこの場で言語化することで、今までとは一味違った小説の読み方をしている気がする。

実用書、ビジネス書の場合、想像力や話の膨らませ方などの点では広がりは少ないものの、自分の経験に則して理解したり、状況を想像したりしながら読むが、それをさらに言語化しようとすることで、本に書いてある内容を自分のものとして内包する作業が必要となってくるような感覚になる。

この本は、しばらく前に読んだものだが、今回もう一度手に取ってみた。

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「うわっ、危なかった〜。」と、ギリギリ失敗を免れた経験ってあるよね?私だけじゃないはず。

例えば、会議で使う資料をまとめたのに、1ページ違うものが混じっていたのに気づいてもう一度作成し直した、クライアント先に行こうとして住所調べたと思っていたのに、なぜか違う住所を手元に持っていた、メールの宛名を「田中さん」と「中田さん」で間違って送るところだった、などなど。日々の仕事の中で失敗の影に実際の失敗の何倍もの、いわゆる「ヒヤリ・ハット」があるのでは?

医療現場でこの「ヒヤリ・ハット」の研究をしたのが著者のエドモンドソン博士。大きな事故を起こさない施設と起こしがちな施設を比べた時、「ヒヤリ・ハット」の数ってどのくらい差があると思う?

実は、なんと、「ヒヤリ・ハット」の数だけで言ったら、事故を起こさない施設の方が多いという結果が出てきたらしい!

そこからこの本がスタート。なんで「ヒヤリ・ハット」が多いほうが事故に繋がらないかというと、一般的に「ヒヤリ・ハット」は実際のミスではないので、報告義務がなかったり、「ヒヤリ・ハット」であることに気づかなかったりするらしい。なので、逆に現場にどんな「ヒヤリ・ハット」があるかを把握している施設は、その影に隠れているミス、事故を事前に防ぐことができている、ということ。

では、どうして「ヒヤリ・ハット」を把握できる施設とできない施設があるかというと、例えば部下・後輩が

「すいません、100個オーダーすべきところ、100ダースオーダーして1200個届いてしまいました」のような報告をしてきた時、あなたなら何と言う?

「何してんだよ(怒)」や、「お前、馬鹿じゃないの?」というような反応が返ってくるような組織の場合、オーダー入力直後に「うわっ、このシステム、単位が『個』じゃなくて『ダース』なんだ、危ない。急いでキャンセルして、再オーダーしよう」ということが起こっても誰もこのケースを報告しないだろう。ミスして1200個の品物が届くなんていうような状況に陥らなかったとはいえ、ミスをしかけたことを責められるかもしれない、仕事ができない人間だと思われるかもしれない、という気持ちがあったらそりゃ誰だって報告・共有なんてしないはず。でも、組織レベルで考えた場合、一人が危うくしかけたミスは他の人が本当のミスとしてしてしまうかもしれないので、報告・共有してくれたほうがありがたいもの。

じゃ、どんな組織・チームだとそういう「ヒヤリ・ハット」を共有してくれるのか、ということが本書に書いてある。

これって会社組織だけでなく、家庭や地域でもある気がする。「え、そんな事もできないの?」と責められたり、「あの人、あんな事故起こしたんだって」ってうわさ話を立てられたりすることが手に取るように分かる場合、全力で隠そうとするのは当然。だから、どこででも通用する考え方なんだけど、自分がミスしかけたということをここでは言っても大丈夫、むしろ、言うことが中長期的にメリットになるというのがその場にいる人全員で共有できていると良いんだろうなぁ。

このような「危なかった〜」を注意喚起として報告・共有することに不安を抱かずにできる場のことを心理的安全性のある場、というようだ。心理的安全性は組織であればその長となる人が提供できるのが理想的だが、現場での協力体制も無視できない。家庭では親が鍵を握るということだろう。

そう考えると、我が家では心理的安全性を提供できているか、微妙に心配になってくる(苦笑)

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