サラ金を定点観測すると社会が見えるー読書感想「サラ金の歴史」(小島庸平さん)

サラ金の歴史書とは聞いたことがない。しかしこれがとにかく面白かったです。1982年生まれの若い研究者・小島庸平さんの「サラ金の歴史 消費者金融と日本社会」。源流が「素人高利貸し」だったこと。融資の対象に見られていなかった庶民を「包摂」しつつ、返済に苦しむ数多くの人を生んだという光と闇を、小島さんはバランス感覚を持って見つめている。包摂するための金融技術に目を向けているのも大きな特徴です。へ〜とうなる学びが盛りだくさんの良書でした。(中公新書、2021年2月25日初版)


源流は素人高利貸し

サラ金は「サラリーマン金融」の略称。それまで商店主や中小企業までしか融資場の信用を得られなかった中で、会社員にも枠を広げたことが革新的だった。業者としてサラ金が誕生したのは1950年代だが、小島さんは戦前まで遡って、サラ金の「前史」から紐解き始める。

するとサラ金の源流は「素人高利貸し」だと分かる。

戦前にいわゆる貧民窟と呼ばれた困窮世帯が集まる地域に高利貸しはいた。彼らは「使い」と呼ばれる部下を走らせ、地域の中から少しでも金を貸せそうな者を探す。使いは「走り」という更なる部下を駆使して地域の隅から隅まで調べる。そうやってわずかな金を貸付け、1日少額ずつ返済させる仕組みが存在した。

この時の貸付は純粋に経済的不足を補うよりかは、「任侠」の側面が強かった。「俺が助けてやる」という態度の表明だ。借りる側としても明日の金に困るよりも、コミュニティの中で従順さを示すために金を借りていた。

なぜそうした情緒的な側面が強くなるかといえば、貧民窟では高利貸しもまた困窮し、上昇が困難な存在だったからだ。わずかな手数料収入を重ねることで成り上がりたい、そもそも人に金を貸せる重大な人間になりたいという意識があった。

少し時が進むと、素人高利貸しは会社員社会にも登場する。社内の知人にお金を貸し付けるのだ。これは今で言う「資産運用」だったのではないかというのが小島さんの見方。1929年に大恐慌が発生し、預貯金金利が低い傾向にあったため、信用できる知り合いに有利子で貸し付けた方がリターンが大きかったという。

このように、日本にはインフォーマルな消費者金融が根付いていた。密接な地域・個人間の人間関係で信用度を評価し、確実に利子を得る。ウェットな評価と貸付の仕組みが、その後サラ金が興隆する下敷きになったという話は面白い。


あの手この手で信用評価

金融機関が会社員に金を貸さないのは、返済の信用度が低かったからだ。担保にとれる資産も多くない。純粋に金融的に評価すると信用を与えにくい存在を、さまざまな観点からスクリーニングする方法がサラ金の「金融技術」だった。

たとえば、初期のサラ金は公営団地に入居する家庭を狙った。団地の入居審査を通るくらいであれば、その家庭は一定程度堅実だと信用したのだった。この方法は後に「有名企業の社員には無条件で貸し付ける」という方法にも応用される。いずれも、所属する組織の厳格な審査を「拝借」して信用審査を行う手法だった。

笑ってしまったのは、1960年代には「会社員の生活費には貸さないが、遊興費には貸し付ける」という方法で成功した業者があったことだ。小島さんは当時の新聞から業者の声を拾い上げている。

 「生活費が足りない、サラリーをもらってなおかつ苦しいという人は、生活のどこかに欠陥があるからですよ。そんな人に貸せばコゲつくだけです。部下に飲ませる金がほしいとか、つきあい、レジャー資金を求めてくる人は、概して仕事熱心。バイタリティーもあって必ず返済します」(『毎日』一九六七年八月三日付朝刊)

見栄を張って部下を飲ませようとする会社員は成功する。これもまた、当時の社会情勢を見抜いた上での信用審査の置き換えだった。

どういうことかというと、当時の社内評価は「情意考課」と呼ばれ、仕事終わりの飲み会や、取引先との私的な付き合いも仕事の成果としてカウントされるウェットな人事効果が一般的だった(今もそういう側面は残ってる)。だから、部下との飲み会に見栄を張る人間は出世するというサラ金の見立ては正確だったのだ。しかも、借りるには所属企業や連絡先をサラ金に開示するため、ますます逃げきれない。「金を借りてる」とバラされたら情意考課には悪影響だ。

 いかにサラリーマンにとって遊びの資金が「健全資金」とはいえ、勤務先の住所と電話番号が記された名刺をサラ金に渡すのは、出世の可能性を担保に取られるようなものである。だから、返済には必死にならざるをえない。社員の「人格」を重視する情意考課は、サラ金企業にとって、マーケットを拡大し、資金回収の確実性を高める上で、極めて有用な人事制度だった。(p109)


再び盛り返す素人高利貸し

この後の本書中盤から終盤にかけては、サラ金の伸張と共に多重債務者や返済苦による自殺が増えたことなどをしっかり扱う。苛烈な取り立てを行うために、サラ金業者はどうやって自身のメンタルをコントロールしたのかも取り上げる。

そのどれもが興味深いが、本書の最終盤で触れられる個人間金融の再興隆がクライマックスだった。

サラ金の金利規制が厳しくなった現在、再び個人間の金の貸し借りが増えていると言う。2019年には、肉体関係を条件に金を貸し付ける「ひととき融資」がインターネット上で横行していることが報道された。

小島さんは、再び「個人」が登場するのは必然だったと説明している。

 こうした個人間金融の形を変えた「復活」は、決して奇異なことではない。出資法の上限金利は、長い時間をかけて二〇%まで引き下げられた。しかし業者以外の上限金利は、現在も一〇九・五%のままで変更はない。つまり、個人間の貸し借りであれば、上限金利はサラ金が生まれた頃と全く変わっていないのである。だからこそ、強化された規制の下で金を借りにくくなった人びとに対し、高利を取って融資する「個人」が現れたのだろう。貸付金利を引き上げ、債務者の免許証や保険証の写真をメールなどで送らせて信用情報を把握すれば、ネットを介した資金賃借にはそれなりに持続可能性があるらしい。(p297-298)

もともと金融からこぼれ落ちる人をターゲットにしていたサラ金の規制が強化されれば、かつてかれらを狙った素人高利貸しが顔を見せる。素人の信用評価がサラ金で洗練化されたように、サラ金の金融技術の試行錯誤が素人に転用されているようにも見える。

フォーマルな金融とインフォーマルな金融は綱引きを繰り広げていて、その時代の社会情勢によって振り子のように立ち位置が変化していくようだ。この動きを見ることができたのは、小島さんがサラ金を定点観測してくれたから。視点の置き場によって社会はこれほど違った形に見えるのかと、驚く思いだ。



次におすすめする本は

「チョンキンマンションのボスは知っている」(小川さやかさん、春秋社)です。香港の有名な放浪者・低所得者向けホテルで蠢くアングラ経済を、中からウォッチしたレポート。インフォーマル経済の不可思議さや強力さがよく伝わります。



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