まだまだ楽しいことはあるー読書感想#21「深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと」
スズキナオさん「深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと」は冬場のカイロのような温もりがある。それだけでは冬はしのげないけど、ありがたいし、気持ちが穏やかになる。この本には何気ないことが書いてある。ちっぽけなことが書いてある。それが日常の、人生の喜びなんだと感じさせてくれる。今日も明日も、まだまだ楽しいことはあると思わせてくれる。
ポテチをどうしても食べたい人
ナオさんはライターで、本書にはネット媒体を中心に発表した様々な文章が収められている。表題作であり、最初に掲載されている「東京ー大阪、深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと」で、大学生っぽいグループと乗り合わせたシーンが好き。
車内の静けさにだんだんと気を遣うようになりつつも、彼らはどうしてもポテトチップスが食べたくなったらしい。袋を開けて食べようとするのだが、とにかく車内はひっそり静まりかえっているので、ひとりがひそひそ声で「ダメだ。ポテチ噛む時、音が出る。食えない」と言っている。仲間が「いける。唾液で湿らせてから噛む。音が出ない」と言っていて、「そうまでしてポテトチップス食べたいか?」と思った。(p22)
まじで何気ない。でもおかしい。なんとか深夜高速バスでポテチを食べたい若者。きっと、別にそんなに食いたくないけど、仲間と一緒にいるとそれがゲームみたいになって、唾液で湿らせたふにゃふにゃのチップスを食べたいんだろうな。「そんなようなことあるよな」とも思える。
なんというか、別に書かなくてもよいことをナオさんは書いてくれる。余裕がなかったら見過ごしている風景。「そんなこと」と思うようなものを言葉にしてくれるから、読む方は脱力できる。そして意外と楽しいことに気付ける。
本当の話が書いてある
ナオさんの文章にはもうひとつ、「本当のこと」が書いてあると思う。たとえば「東京ラーメン遺産『福寿』の店主に会いにいく」。
ーー今、刻んでいるショウガはラーメンの味の決め手なんですか?
「どうだろうね……。わかんない(笑)」(p117)
分かんないのかい!と思ったけど、同時にサイコーだなと思う。そうだよな、別に全部にこだわってるわけない。もしくは仮にこだわってても、こっぱずかしかったり、あえて言うこともないよな。「わかんない」ってことあるし、別にそれでいいんだろうな。店主さんのお話は他も面白い。
ーー営業時間は平日は15時半からで、土日はお昼からですよね。何時ごろまで営業してるんですか?
「もうさ、麺がなくなったらすぐ閉めちゃうの。それでサイゼリア行ってステーキ食べるの(笑)。安いもん、サイゼリア。水飲み放題だしさ。ハハハ」(p121)
麺が切れたらすぐ店閉めて、サイゼリア。ほんとに、普通。いいなあと思う。
ナオさんも、話を聞く相手も、どっちも肩肘張ってない。上を目指すとか、強みを伸ばすとか、ブランドを確立するとか、そういうメッセージがまるでない。それがなんだかすごくありがたい。
ハッとする一文
でもナオさんは時々、すごくハッとする一文を出してくる。たとえばこれ。
目的地まで移動してる時というのは、人間にとって一番の”許された時間”なんじゃないかと思う。合間に生まれる時間だからこそ、目的を離れてゆったりと過ごすことができる。(p190)
たしかに、たしかに。まえがきも好きです。
しかし、考え方次第で、なんでもない日々を少しぐらいは楽しいものにすることができるという思いは確信に近い。年に1回か2回、ドーンと海外へ旅行するのももちろん最高だけど、遅い時間に起きた日曜日でも、「今まで通り過ぎるだけだったあの店に行ってみよう」とか、何かテーマを設けて散策してみたら案外いい一日になったりする、そんなイメージだ。思うようにならず、息苦しさを感じることもある毎日の中で「まあ、まだまだ楽しいことはあるよな」と少しでも前向きな気持ちになってもらえたら嬉しい。(p7)
ナオさんが示してくれているものは、まさに「今まで通り過ぎるだけだったけど、よく見たら案外いい」ものだ。ポテチをどうしても食べたい人も、こだわりを声高には言わないけどうまいラーメン屋も、見つけなくてもいいけど見つけられたのなら、うれしい。
だから、自分の人生も悪くないと思える。まだまだ楽しいことはある。それはナオさんの周りだけじゃなくて、自分の周りにもきっとある。(STAND BOOKS、2019年11月22日初版)
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池谷裕二さん「パパは脳科学者」(クレヨンハウス)です。脳科学者の池谷さんが娘さんが生まれてから4歳までの様子を綴り、脳科学的に成長のポイントを説明する本ですが、池谷さんの娘愛がとにかくすごい。育児は大変なことだらけのはずなのに、ラブ全開の池谷さんに癒されます。