連累と歴史への真摯さーミニ読書感想「過去は死なない」(テッサ・モーリス・スズキさん)
歴史学者テッサ・モーリス・スズキさんの「過去は死なない」(岩波現代文庫、2014年6月17日初版発行)が非常に勉強になりました。戦争責任とは少し異なる「連累」という考え方と、歴史の「真実」よりも「真摯さ」を追求する大切さを学びました。
連累(インプリケーション)とは、戦争責任とは少し異なる。著者は以下のように説明します。
もう70年余り以前の戦争の行為について、心の底から「今を生きる私たちの責任だ」と言うことは難しいかもしれない。しかし、「現在」は確実に「歴史」の上に成り立っている。連累とは、その連なりを意識することのようです。
そうすると「責任を負う」と言う形とは別の在り方が見えてくる。つまり、歴史の上に立った「現在の責任を受け止める」ということになるでしょう。
日本の国際的な位置付けや、北朝鮮や韓国の現状は、第二次世界大戦以前の歴史が大きく関わっています。そうした現実が現在発生している以上、その現実を将来に向かってどう変えるのか。変えていけるのか。それが連累的な発想です。
この発想の結果、生まれてくるのは「真摯さ」です。本書のメインテーマはこの真摯さの方。
タイトルの「過去は死なない」が意味するところは、小説やテレビ番組、映画、漫画などさまざまなメディアで描かれる「歴史」が、その時の社会情勢によって大きく左右されるということです。つまり過去は固定化せず、現在の書き手の視点によって流動化しうる。
著者は日本研究にも精通し、「坂の上の雲」や「はだしのゲン」「ゴーマニズム宣言」を俎上にのせる。メディアが歴史への眼差しを変える以上、「真実」は期待できない。過去は死んでいないのだから、単一の形では取り出せないのです。
だからこそ「真摯さ」。私たちは、歴史を連累し、過去の上に立つ現実を受け止める誠実さを持つ覚悟があるのか。それがあるならば、歴史修正主義的な姿勢は自ずと回避され、被害国や被害者の目から見て、真摯といえるような歴史を選択するはず。それが真摯さの要諦です。
いわゆる右でも左でもなく、歴史を見つめるための視点を本書から得られました。
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