療育と『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(吉川浩満さん・山本貴光さん)
文筆家の吉川浩満さん&山本貴光さんによる『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(2020年3月14日初版、筑摩書房)を再読しました。やはり、これは名著。善く生きるための羅針盤になる。
1度目に読んだ時は、エピクテトスの「権内と権外を腑分けする」という哲学の要点に心を惹かれました。そのこころを「風を憂うより船上を楽しむ」とい言い換えて、自らの学びにしました。
当時はこんなパートに心を惹かれた。
自分のコントロールが及ばない物事に心をかき乱されない。それが「権外」。そうではなく、「権内」を見定めて、そこに注力する。
今回、再読した自分は、発達障害の可能性のある子どもの親として読みました。すると、感動ポイントが少し変わった。
それは「権内と権外を見分けるにはどのようにしたらいいのか?」という疑問について、エピクテトス哲学では「練習あるのみ」としている部分。著者らはこのように対話している。
ひとつの基準、たくさんの練習。これは権内か、権外か。権外なら、惑わされずにいこう。この繰り返し。
これが、発達を促す療育と重なりました。
療育には「ABA」という方法があります。これは好ましい行動があればそれに褒賞(ほめたり、ご褒美をわたしたり)で応え、その行動を強化するやり方。これもまさしく、「ひとつの基準、たくさんの練習」です。
療育を繰り返すと、「発達の再近接領域」という、いわば「できそうでできない」部分が少しずつ「できる」に変わっていく。これは、まるで権外が権内に置き換わっていくようではありませんか。
実は本書の後段では、エピクテトスが活躍した古代ローマ期と異なり、さまざまな科学的知見やテクノロジーで権内/権外の境界が変動していくことが指摘されている。この変動は、療育のようなトレーニングでも起こりうるように感じました。
権内/権外と障害を繋げて考えると、シンプルに考えれば障害を権外ととらえ、どうしようしがたいものとして受容するやり方が思い浮かぶ。しかし本書は、それだけではなく、境界をずらしたり、ずれていく境界に気づく大切さも語られていました。
再読しても発見に溢れる。本当に良書だと、深い感慨にひたりました。