1人で賢くはなれないから連帯して賢くなる仕組みを作るーミニ読書感想「啓蒙思想2.0」(ジョセフ・ヒースさん)
ハヤカワ文庫の新刊、思想家ジョセフ・ヒースさんの「啓蒙思想2.0」(栗原百代さん訳)が面白く、非常にためになった。理性による人間的社会の構築を説いた啓蒙思想を、ポスト・トゥルースや反知性主義が進行する現代に再駆動する。啓蒙思想1.0は個人主義に偏ったのに対し、ヒースさんの「2.0」は協働主義を取るのが最大の特徴。わたしたちは1人では賢くなれなかった。だから手を取り合い、連帯して賢くなる仕組みを作ろう。
事実ではなく「真実らしいこと」を重視するポスト・トゥルースや、専門家の知見を高慢だと否定する反知性主義。これらは近代の啓蒙思想1.0の後に誕生したのであり、その意味で啓蒙思想が不十分だったことを本書は素直に認める。「失敗」から「2.0」をはじめる。
知性的で進歩的な考え方を好むのはリベラル側だが、本書はむしろ保守側の考え方のメリット、有効性に目を向け、豪快に取り入れる。この点、カウンターカルチャーが実現不可能な提案を繰り返すことで実は現体制の維持に貢献している欺瞞を暴いた「反逆の神話」(ハヤカワ文庫)の論理を発展させているといえる。
保守側の思考のメリットとは、伝統や制度、構造を「外部足場」として活用している点だ。外部足場とは、知性を外的に支える補助装置を指す。桁数の大きな掛け算をする時に紙とペンがあると格段に楽になるように人間の知は外部足場で増大する。
いや、逆に暗算での掛け算は1桁が精一杯の人も多いように(自分も含め)私たちは外部足場がないと、知性の発揮が極めて難しい。さらに人間には、論理的思考の「システム2」より省エネの「システム1」で物事を捌きたくなる「ヒューリスティック」からも逃れられない。
だからこそ、保守的な制度が物事をスローダウンし、時間をかけて論理的思考する余地を生む外部足場になる。たとえば国会の二院制は意思決定のスピードが遅れるし、実質的な議論は少ないが、それでも「愚かな議論を2回している」ことは可視化される。それを見た時にようやく、我々は問題の本質に気付くのだ。
啓蒙思想1.0の不全の教訓は、愚かとは何かを熟知しても、「1人の人間として常に賢くはいられない」ということだ。ヒューリスティックの愚かさを指摘する「ファクトフルネス」や「ファスト&スロー」といった名著をいくら読み込んでも、航空機墜落やテロ事件を恐ろしいと思うことは止められない。
「賢い個人」を増やしても、社会は決して賢くならない。実際、ならなかった。それは個人である限り、人間は賢くなることが困難だからだ。
だから本書が目指す道は、社会のさまざまなところに外部足場を増やし、有効活用し、互いが互いに「賢くあろう」と声を掛けることだ。個人の知性ではなく、連帯による知性。それを信用し、拡張する。
ちなみに、外部足場と似た概念として、エンジニアリングなどの世界で使われる「クルージ」という言葉も出てくる。「問題の根本解決にはならないが、間に合わせのもので対処して問題を迂回する」という意味合いで、たとえば掛け算アプリでなぜか「5×5」だけバグを起こしたら「5×5は25と出力する」と別のプログラムを余計に作るイメージ。著者は人間の知性もクルージしていくことが重要だと指摘する。人間の知性はあまりに不完全だから、なんとかかんとか間に合わせるしかない。
ここまで書いてみて、「なんと当たり前な内容か」とも思う。本書の提案はまとめてみると至極当然で、劇的な要素は何もない。しかし、刺激的で革新的で、だからこそポスト・トゥルースに陥りやすい劇的主張に溢れる現代に、このプレーンな提案は貴重で重要だ。
こんなにも「まっとう」なことを書いた本がある。その事実こそ実は、我々の愚行を抑止する外部足場の一つなのだ。何度でも何度でも、私たちは本書を開き、天狗になった鼻をへし折ってもらうのだ。
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「反逆の神話」のミニ感想はこちらです。
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