子ども本位で育てるーミニ読書感想『子どもの発達障害』(本田秀夫さん)
児童精神科医として30年以上の経験がある本多秀夫さんの『子どもの発達障害』(2021年10月15日初版発行、SB新書)が勉強になりました。我が子の発達の遅れ、特性の強さなどに悩んだ時の入門書としておすすめできる一冊でした。
その要諦は「子ども本位」で育てること。親の都合や、「世間一般の普通」に引きずられない子育て。これは定型発達の子への対応でも、同じように大切かもしれません。
子ども本位の子育てというとスローガン的ですが、著者は次のように説明します。
この説明に、深く納得します。子どもに発達障害やその疑いがある時、親が何を苦しむかと言えば、「我が子は普通と違う」と思うからです。普通と比べ、あるいは普通であってほしいと願い、心が揺れ動く。著者は、そうした考え方を「親の都合」と整理する。それは納得感がある。
普通であってほしい、普通であれ。その思いは親の都合。もっと言えば、それは定型発達者の親の都合です。ほとんど「自分のようになれ」と言っているに等しい。そのことに気付くと、親の都合がいかに過酷であり、反対に子ども本位がいかに必要なことであるかが見えてくる。
著者は、近視のメタファーを持ち出して、このことをもう少し具体的に解説します。
近視の子に対して、何の手助けもなしに、「通常視力の子と同じようにがんばれ」と言う親はいないでしょう。そんなことをする先生も、クラスメートもいない。しかし、発達障害の子に対しては、往々にして「なるべく普通に振る舞え」という圧力がかかる。
それは近視の子に対してただ「見ろ」「見える努力をしろ」と言うのと同じなのです。
近視の子にメガネを与えたり、座席位置を変えたりするように、発達障害の子に必要なのは特性を持ったまま生きるための「道具(スキル)」と「環境」を大人が用意すること。道具と環境が与えられれば、グレーでもグレーらしく生きられる。
このマインドセットは、発達障害の子と24時間近く共に生きる家族として、とても大切な基本スタンスだと感じました。折に触れて思い出そうと思います。
私たちは近視の子に「見ろ」と言うように、難聴の子に「聞け」と言うように、発達障害の子に「普通に生きろ」と言ってはいないだろうか?